「保守」が「グローバリズム的改革」を望むのはなぜ?|明治維新と五箇条の御誓文から考える

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我が国の「保守」と言われる人たちは、なぜグローバリズム的改革を良しとしまうのか?
その要因の一つは、天皇の存在に重きを置かず、明治維新を一面的にとらえてしまっていることです。
明治日本に発せられた国是、「五箇条の御誓文」をカギに考えてみます。

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「保守」が「グローバリズム」「改革」を進めるフシギ

我が国の「保守」と言われる人たちは、なぜグローバリズム的改革を良しとしまうのか?

郵政民営化、TPPやFTAによる自由貿易推進、労働規制緩和など、国民生活を毀損するばかりか、国家のあり方をも変えかねない過激な政策。

そういった改革を多くの「保守」の人々が推し進めてきました。

政治家だと安倍前総理が代表例ですが、それ以上に自らを「保守」と思う国民の後押しゆえに、上記改革が進んだと言えます。(保守派の中には各政策に反対した人もいますが)

権力や商売のために「保守」を装っている人は別にして、なぜ多くの「保守」が「改革」を志向するのか。疑問を持たないのか。

それは「改革」こそが「保守」として「善」だからです。

言語矛盾のようですが、ここにはカラクリがあります。

「明治維新の理想化」

カラクリとは、

司馬史観的な、一面的な理解の下での「明治維新の理想化」です。

幕末~維新を経て、日清・日露の戦争に勝ち、世界の一等国の仲間入りをした明治日本。
国民一丸となって変革を成し遂げた。

これを理想的な国家像ととらえる日本人は多い。
「保守」の人々にとってはなおさらでしょう。
明治日本にこそ、「保ち守る」べきものがあると考えるわけです。

国是「五箇条の御誓文」

その明治日本の国是、それが「五箇条の御誓文」です。学校でも習いますので、ご存知の方も多いと思います。

条文と拙訳

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
(広く人材を集めて会議を開き、様々なことを公正に話し合って決めていこう/幕府のような一部権力者だけによる密室政治はよくない)

一、上下心を一にして盛んに経綸を行うべし
(上の者も下の者も心を合わせて国家を治め、整えましょう/幕府や権力者、お上に任せておけばよい、という政治ではいけない)

一、官武一途庶民に至るまで各其志を遂げ、人心をして倦ざらしめんことを要す
(役人・軍人から庶民まで、誰もが己の志を達成できるようにし、人々が希望を失わないようにすることが大切だ/江戸時代までのように、誰もが身分にとらわれて決まり切った人生を歩むようではいけない)

一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし
(古い悪習を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行いましょう)

一、智識を世界に求め大に皇基を振起すべし
(知識を世界に求めて、大いに皇国日本を発展させましょう)

仕込まれた「グローバリズム的改革志向」

最初の三つは、江戸時代までの国家、国民生活のあり方を大きく変えようというものです。

そして四番目。今でも納得の内容ですが、戦前の憲政史家・尾佐竹猛(おさたけたけき)によれば……

「旧来の陋習」⇒ 外国を敵視する「攘夷思想」

「天地の公道」⇒「開国和親の対外関係」「万国公法――国際法」

であると言います。

さすがに限定し過ぎだろうと思いますが、ともかくそういう解釈があり得た。

(参考『五箇条の御誓文の真実』伊藤哲夫著 致知出版社 令和2年5月 p.57-58)


さらに五番目では、「日本は遅れているので、世界/西洋を見習わなければならない」ということになる。
欧米から得た知識で、欧米風に国の仕組みを変えていく、それが日本発展の道だ、という考えが導かれます。グローバル志向ですね。

多くの「保守」が「保ち守る」べき理想とする明治日本、そのエッセンスたる「五箇条の御誓文」、

ここに見事に「グローバリズム的改革志向」が込められているわけです。
明治日本に理想を見る多くの「保守」が「改革を善」とみなすことになります。

旧来のしがらみにとらわれず、世界標準に合わせて改革すれば国は良くなる、と考えてしまう。
勇ましく改革に突き進む態度こそが、「保ち守る」べき大切なことだと思ってしまう。

軽視されている「天皇の御存在」と「王政復古」

しかし、これは一面的な理解が原因です。

最も大切な天皇の存在を軽視してしまっているのです。
(公教育でも、また司馬遼太郎を代表とする歴史小説でも軽視されているので仕方ない面もあるのですが……)

(参考 「司馬遼太郎の描く「竜馬」を尊敬している政治家への違和感 「天皇抜き」の歴史認識のおかしさ」 小島毅 2018.09.04

王政復古

本居宣長らの国学、水戸光圀以来の水戸学といった江戸時代からの思想的積み重ねの上に成った明治維新。
それは王政復古を理想とするものでした。

復すべき「古(いにしえ)」とは、初代神武天皇の時代。
天皇親政で、「民を利することが聖なる政治」(日本書紀 建国の詔)とされた頃。

天皇は民を慈しみ、民は天皇を敬う。
天皇は「人々の安寧と世の平和・発展」を祈り、民はその実現のために力を尽くす。

武家による幕府統治、徳川家を首魁とする各藩の連合国家から、「君民一如」「君国一体」の本来の国柄への回帰。

元来の理想を新しい世に生かすことであって、「維新」とも呼ばれます。
(余談ですが、維新の会はまるで「維新」ではないですね)

目的と手段

それが王政復古であり、明治の先人たちが「保ち守」ろうとしたものが我が国柄、すなわち「国体」です。

そしてそのための手段・手法・心構えが五箇条の御誓文。

ですから、あくまでも国柄を「保ち守る」ために改革を行う。
多くの失敗を重ねつつも、そうした努力を続けたからこそ、明治の偉業は成ったのだと思います。

昭和天皇は戦後すぐの「新日本の建設に関する詔書」の冒頭で五箇条の御誓文を掲げ、それについて

「叡旨、公明正大。又、何をか加へん。朕は、茲に誓いを新たにして、国運を開かんと欲す」

と述べられました。
五箇条の御誓文に修正すべき点はない、ということですが、それはあくまで我が国柄を踏まえられてのこと。

我が国柄を「保ち守る」ための御誓文であれば、「とにかく改革だ!」などという野放図なことにはなり得ない。

改革はあくまでも我が国柄を守り、天皇の祈り「人々の安寧と世の平和・発展」のためのものでなければならないのです。

「保守的態度」が肝要です

ではどういった改革案が正当なものとなるのか? 益と害の比較衡量はどう判断するのか? 国益に資すると見せかけて、ただ私的な権力や商売のために行おうとしているものがないか?

これが難しいところです。簡単に答えは出ません。

それこそ広く会議を興し、公論に決すべきでしょう。様々な観点から慎重に検討し、拙速は避けねばなりません。

伝統や常識を重んじる本来の「保守的態度」が肝要なのです。

本居宣長もこう言っています。

たとえ多少国のために悪いことであっても、従来から続いていて改めにくいものを急にとり除いて改めようとなさってはならない

『玉くしげ 美しい国のための提言』本居宣長 多摩通信社 平成19年9月 p.147

人の知恵はどれほど賢くても限界があって、測り知れないことはどうやっても測り知ることはできないものなのだから、善かれと思ってすることも実際には悪く、悪い事と思って禁ずることも実際にはそうでないことがある。また、今は良い事も後のためには悪く、今悪い事も後のためには良いという道理もあるのだが、人はそれを知ることができないこともあって、すべて人の考えの及ばないことが多いのである

前掲書 p.148

かつて郵政民営化に賛意を抱いた私には耳の痛いところで、反省ですが……

拙速が求められることもある

とはいえ、慎重に検討していられない場合もあり得ます。

コロナ禍において多くの国民が所得を失い、生活も希望も失いつつあります。
彼らを救う「聖の政治」は断固として早急に行わねばならない。

緊縮財政の転換、粗利補償や給付金など積極財政への改革こそは、まったなしです。

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阿吽
3 years ago

本居宣長の言葉ですが、これこそ皇室ですね・・。

天皇制廃止論者の極左は兎も角、右派・左派双方から広い支持を取り付ける現皇室は、それこそ国家国民の統合の象徴としては言い方は悪いですが良く機能しているシステムだと思います。

国家元首が菅義偉でも安倍さんでも、はたまた枝野さんでも、こうはいかないかと思います・・。(ドイツの国家元首である大統領も、スキャンダル等で何人か任期途中で辞任をしています)

しかも、他国の王族(タイ・スペイン)とかとも違って、金銭面での自由が少ないぶん、皇室スキャンダルの軽減にもつながります。

まあ、そのぶん、余分にご負担をかけることになるのは、なかなかに心苦しいものもありますが・・・。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
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