杉本五郎中佐遺著『大義』|解説 第七章『生活原則』天皇と全体主義と中間団体 

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反ナチ運動家の牧師、マルティン・ニーメラー

戦前日本のベストセラー『大義』(杉本五郎著)の解説連載第9回です。 今回は第七章「生活原則」です。現代語での大意を示したうえで、これを現代に生かすべく、私なりの解釈・解説を行います。原文はこちらの「大義研究会」のサイトでご覧ください。

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第七章「生活原則」の大意

君民一如は、永遠の平和を世界に確立する唯一無二の大原則である。

一如的生活は人間としての特質であって、世界人類が意識していようとなかろうと、期せずして望んでいるのは一如である。君民一如を国体とする国家は、世界において我が日本のみ。

昭和三年十一月十日、昭和天皇の御即位礼当日、紫宸殿の儀において賜った勅語にはこうある。

「皇祖皇宗国ヲ建テ民ニ望ムヤ、国ヲ以テ家ト為シ民ヲ視ルコト子ノ如シ。列聖相承ケテ仁恕ノ化下ニ洽ク(あまねく)、兆民相率ヰテ敬忠ノ俗上ニ奉ジ、上下感孚(かんぷ)シ君民体ヲ一ニス、是レ我ガ国体ノ精華ニシテ当ニ天地ト竝(ならび)存スベキ所ナリ」
(天照大神以来、皇室の祖は建国にあたって国を家であるとし、民を自らの子であるようにお思いになった。そのお考えを受け継いだ歴代天皇のあわれみと慈しみは民のすべてに及び、民は皆協力して尊敬と忠義を天皇に捧げる。天皇と国民は心を通わせ、君民は一体となる。これが我が国の素晴らしさであり、まさに天地と共に続くところである)

この国体と同じように、親と子、師と弟子、夫と妻、資本家と労働者、兄と弟、自分と他人、仏心と凡心、神と人が一如、生も死も一如というのが実現すれば、この世はそのまま浄土となる。

君民相剋の国柄がそのまま生活に具現化したのが諸外国、特に欧米諸国の対立闘争の社会である。悲しいことに、この相剋生活を当然のものとして真似する者が横行し、一如の国体的生活は破壊され、対立・修羅の社会をこの皇国日本に実現させてしまった。

我執を抱えたままで一如はない。そこにあるものは対立闘争のみである。

対立を緩和して平和になったとしても、それは単に一時的な現象に過ぎない。
一如を実践するとしても、それが個人、家族、団体や地域の範囲までであれば、国が滅んでしまう。そのことは世界興亡の歴史が明確に語っている。滅びずとも国体の変革を招くこと枚挙に暇ない。

ただ我が国だけが厳然として天地のように揺るぎないのは、君民一如を国体としているからである。

君民一如とは、天皇に一体化することである。
大御心を自らの心とすることである。
断じて君民共和ではない。君民同和でもない。君民共治でもない。天皇に一元化することである。ここにこそ天地と同根不動の国体が生まれるのである。

我が国体を深く省察して、それを日常生活に具現する時、すなわち国体的生活を実践する時、争い合い奪い合う修羅の社会は消滅し、人類の待望する八紘一宇の大理想が実現するであろう。永遠に天皇を仰ぎ奉るのだ。これが人類浄化の最大原則である。

  利(もうけ)のみむさぼる国に正しかる
            日嗣のゆゑをしめしたらなむ

(解説)天皇の大御心とは

『大義』で語られる天皇は、神の裔として天照大神/太陽/お天道様の境地で生きようと努める存在です。すなわち、

〇 私心なく、何の見返りも求めず、
〇 すべての人々、生きとし生けるものに慈愛を注ぎ、
〇 世の安寧と真・善・美の発展に尽くす

それが大御心と言えましょう。この大御心を自らの心とすること、天皇に一体化・一元化する「君民一如」を杉本中佐は訴えています。

(解説)全体主義につながるのではないか?

しかしながら、
この「一体化・一元化」は全体主義につながるのではないか。
個性や自由な思想・言論が圧殺されるのではないか。
そのような疑問が出るかもしれませんが、それは早計というものでしょう。

全体主義の特徴は、

1 どのようなイデオロギーとも、合わされる。たとえ自由主義であろうとも
2 無思想性が、全体主義の特徴
3 空気に流され、思考停止になる――アーレントは、悪の凡庸さと表現――
4 最終的に、破滅的な結末を迎える

ガッチャマンクラウズインサイトが全体主義を強烈に描いている件

「君民一如/大御心を自らの心とする」を実践した場合、全体主義となることはあり得ません。天皇の祈り、世の安寧と真・善・美の発展のためにどうすればよいか、それをプラグマティックに考え行動するわけですから、空気に流され思考停止しているヒマはないのです。

もっとも、この「君民一如」がイデオロギー化、すなわち

「自らの利害を隠蔽しつつ、その立場を正当化するための思想体系」

となってしまわないように注意が必要です。
無私の大御心が、私心・私欲・我執のために利用される。
大御心を楯にとって、自分の意に従わないものをバッシングし、マウンティングし、冷遇する。
同調圧力が高まり、それを是とする空気が蔓延すれば、悪しき全体主義へ堕してしまいます。民主主義や自由主義と同じように。

(解説)無私と個性

大御心に沿う者は私心を虚しくし、各々考え行動するのです。それでこそ、個性が発揮される。

哲学者の故・池田晶子さんも『14歳からの哲学』で「無私の人であるほど、個性的な人になる」と述べているそうです。(産経新聞 令和2年4月11日 産経書房欄)

とはいえ、個々人の力は弱い。大切なものを護ったり、大きなことを成し遂げたりするためには、人々の団結・協力が必要です。

(解説)中間団体とグローバリゼーション

そこで個人と国家の間に位置する組織が、我が国のみならず多くの国で形成されてきました。

それが「中間団体」で、農協や医師会といった業界団体、職業団体のほか、労働組合などが該当します。終身雇用の日本型企業もその一つと言えるでしょう。「中間団体」は、所属する人たちの利害・価値観を代表し、主張するものです。

しかし、近年、グローバリゼーションの進展によって、中間団体は衰退を余儀なくされています。グローバリゼーションの特徴は、中間団体を破壊し、個人を世界市場に直接対面させるところです。
 国境を越えて資本と労働力を自由に動かそうとするグローバル資本にとって、生産者、労働者、消費者の利害を代弁する中間団体は邪魔者でしかありません。ですから資本は政権と手を組み、「岩盤規制に保護された既得権益を甘受する前近代的な組織」という中間団体のイメージを作り出し、「規制緩和」の名の下にこれを解体しようとするわけです。

國分功一郎「私のオピニオン」『JAグループ』

(解説)利害調節では不十分

グローバル化による弊害を取り除くためには、「中間団体」の保護~活性化が当然に必要だと思います。
とはいえ、それが

さまざまな団体が利害を持ち寄り、それをぶつけ合いながらバランスを取っていくのが健全な政治であるという認識

同上

の下で行われるのでは不十分。

「対立を緩和して平和になったとしても、それは単に一時的な現象に過ぎない。
一如を実践するとしても、それが個人、家族、団体や地域の範囲までであれば、国が滅んでしまう。」

ということです。やむをえず調整するにしても、共通の基盤が欠かせない。

(解説)「民の安寧」のために声を上げよう

必要なのはやはり「君民一如」、大御心の共有です。
それがあれば、例えば農協が不当にバッシングされてグローバル資本の有利に規制改革がなされそうな時、地方公共団体や食品業界をはじめ各団体から反対の声が上がる。

土木・建築業界が害される時、電力業界が食い物にされる時、はたまた風俗業界が危機に陥る時もまた同じ。

「民の安寧」が侵される時、直接的・短期的に自分たちの利害に関わりが生じない場合であっても、各団体は大御心に沿って政治的パワーを発揮しようとする。個々人もまた同様です。

そのような国に、以下のような事態は生じないでしょう。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 
私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」ニーメラー財団による詩
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