普通の人が空気しか読まない政治家を選んでしまうのはなぜか。危機感がない時の考え方。

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実は今のままで現状維持を基本に続ければ、何も問題もなく10年後が迎えられるのではないかという希望は、全くないのである。

小池都知事が再選され、個人的には都民ではないのにもかかわらず、違う候補の都知事当選を夢見ていた口ではあったが、それは、夢であって、夢のまま終わってしまった形である。コロナ感染の拡大の兆候があったが、なぜか100人を超えたぐらいのところでうろうろしている状況である。特に東京都が何をしたわけではなく、ただ、深刻そうな顔をしてその数値を都知事が報告していただけであった。

https://president.jp/articles/-/36834小池百合子に清き一票を投じてしまう「普通の人々」はどこにいるのか 『百田尚樹現象』との奇妙な共通点東京都知事選挙は現職の小池百合子が2度目の当選を確実にした。午後8時に投票が締め切られると、NHKをはじめ各メディアが一斉に当確を報じた。今回の選挙では、小池に異例の注目が集まった。5月29日に発売されたノ…president.jp

ツイッター界隈では、わざわざ情報を発信するような人は、小池都政の問題点に気が付き、それを解消しようとしているほかの候補者にも注目していた。ただ、それ以外のところでは、旧来の右翼だのサヨクだのというところで、レッテルを張ったうえで考えるのをやめ、なんやかんや言っても、現職で、「そんなに問題を起こしていない」と思える小池いったくだろうということを考えていたわけである。

これは国政の安倍政権にも共通することである。

見た目は何かうまくやっているということを見せる。その場で見せる、ということが大事なのである。その場で見せなかったことについては、過去のことである。過去のことは「今をうまくやっていること」に比べたらどうでもいい、忘却の彼方の出来事だというのである。

今が、派手な動きをしていたら、それだけでざわざわしてしまう。むしろ、いつものようにやっている感じのする政治を見たいというのが、多くの人たちの気持ちだったというのだ。当然、それは、死にそうになるとか、生活がどうにもならないということに陥っていないことが条件であろう。幸か不幸か、コロナ感染拡大のために急減した経済活動でも、まだまだ、問題がなく過ごせている人々が多い。都市部においては、自治会も形骸化したようなところも多く、隣が何をする人なのかよくわからないことも多い。ましてや自分の住処から少し離れたところで起こっていることなどは、わかりようもない。仮に、貧困化が進んでいたとしても、自分の身であったり知り合いにそういうことが起こらない限りは気が付かないのである。

貧困化や治安の悪化が身に迫らないと気が付きようがないのである。そうすれば、テレビやメディアでなんとなくやっている感を表しておれば、それを横目にして生活している分にはそれで満足だったりするのである。自分の生活、そういう社会に対して、ミクロな世界ではそういう感覚となるのだ。社会は、空気のようなもので、わざわざ自分が考えなくても勝手に回っているという感覚である。

政治が影響を及ぼすのは、社会である。自分の周りだけのミクロな視点しかなく、その直感から抜け出さないままに、社会を見ると、なんと平和な社会に見えてしまうだろう。要するに、自分の見えているものをそのまま薄く広げたものが社会という背景画として見えるということである。そうなってしまえば、毎日見るテレビであったり、大手のネットニュースで見聞きする範囲でうまくやっていることを演出すれば、それで、十分魅力的な政治に見えてくるということなのである。

しかし、気が付いてしまえば、そんな社会は既に存在しないといってもいいだろう。自然災害一つとっても、山々のメンテナンスがなされていないが故の川の氾濫という面もある。インフラの期限切れのものの整備が行き届いていない状況も同じようなものだろう。そして、もっと身近には、そもそも日本は、食料をはじめ製品やあるいはサービスに至るまで、自分の国でやれることが相当少なくなっているということだ。何もやれなくなってきているのである。今のところは大丈夫な気配ではあるが、そのうち外国人の働き手が増えていくが、その来日者は彼らの祖国の中でも低い賃金の人たちが大挙してくることになる。日本は、作れないことによって、衰退しているため、仮にそういう外国人を呼ぶにしてもそのような人しか来ないような国になっているのである。

一部のカネばっかり扱うような金持ちと、物も大して作れない多くの貧困者があふれるような社会は、特に魅力的な文化をはぐくむ余裕も度量もない。これまでの先人が築き上げてきた遺産をむしばみ続けて、ボロボロになるのが落ちである。結局のところ、このような危機的な状況に目を向けるのが遅れれば遅れるぼど、気が付いた時のショックは大きくなるばかりであろう。その大きさは、一挙に社会が崩壊するレベルになるかもしれない。

元号が変わってもまだ平成時代の気分でいるとすれば、それは、現状がそれを許さない状況が進んでいることをあえて無視し、ただ座して崩壊を待っている状態であるといえるだろう。

小池都政や安倍政権を消極的に支持する限りはその破綻が生きているうちに訪れるのは回避しようがない。いつも考えていることの上に、その危機感を合わせて感じていただき、どういう選択を普段からすべきかということの習性を図っていく必要があるだろう。

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