株主至上主義と新自由主義(ネオリベラリズム)、グローバリズムの関係性

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 株主至上主義、新自由主義(ネオリベラリズム)、グローバリズムの三種のイデオロギーは、相互に補完関係にあるとも言えますが、後二者、すなわち新自由主義とグローバリズムが前者株主至上主義を支え、より強めるという関係性にあります。

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株主至上主義

 株主至上主義は、経済、即ち企業、家計(労働者)など、これに関わる経済主体―――時には政府をも含む構造に対して、株主資本家を頂点とする絶対的な支配体制を敷くことをその理想とするイデオロギーです。
 言い換えれば、経済的な支配力、すなわちカネを持っている人間が一番偉い、一番強い社会を理想とするイデオロギーと言えます。

新自由主義(ネオリベラリズム)

 新自由主義(ネオリベラリズム)は、市場や経済の運営・構造において、政府という強力な権力を持つ機構は公平性や自由を保つために存在すればよい、とする社会を理想とするイデオロギーです。
 ゆえに、経済活動や市場の公平性や自由を妨げる余計な規制は不要と考えますが、その反面、公平性や自由を担保する規制は絶対に必要と考えます。
 この場合の公平性とは、強大な力を持っている企業も弱小な企業も、同一条件で競争させるという意味での公平性であり、いわば市場や経済において、何でもありの体重無差別格闘技大会を希望するようなものです。
 政府はその大会の運営もしくは審判役として存在するだけで、弱小企業を保護したり支援したりといった行動は原則として認められません。

グローバリズム

 グローバリズムは、世界から国境という壁を取り払い、ヒト・モノ・カネが自由に世界を往来し、全世界の人々が他の文化圏の人々の価値観や生活文化を認め合うことを理想とするイデオロギーです。
 国境を取り払うことで世界各地の間のヒト・モノ・カネの往来を容易にし、全く異なる言語・文化・習慣・価値観を持つ人同士の物理的な距離が近接した隣人として存在することを強制するために「喧嘩をするな」という絶対的な価値観を普遍的なものとして考えます。
 その実態、現実とかけ離れた他文化をお互いに容認させようと強制する多文化共生という名の他文化強制は、世界中で賃金下落、治安の悪化等混乱を招いています。

株主至上主義、新自由主義、グローバリズムの関係性

 三者の間には、何でもあり、ルール無用の体重無差別格闘技大会において、政府という強力な権力を持つ存在を審判席に座らせてオマケ程度のルールを監視させる役割と権限しか与えず(新自由主義)、試合場と場外を隔てるフェンスをも取り払って観客も選手として巻き込んで(グローバリズム)、全世界を舞台として巻き込んだルール無用のサバイバル、バトルロワイヤルを開催した上で、強大な力を持つ株主資本家が弱者を殴り倒し、時には殺して富を収奪するというような関係性があります。
 株主資本主義というイデオロギーの文脈において、経済的強者である株主資本家にとって最大の目の上のタンコブである政府の権限を狭め、ライバルである金融機関の融資という能力を封じ込め、株主資本家の力を相対的に高めるというのが、新自由主義、グローバリズムの役割と言えます。
 逆に言えば、新自由主義もグローバリズムも、株主至上主義の補完的な役割を果たすのでもなければ、完全な悪とは言い切れない側面もあります。
 あくまで株主至上主義と結びつくからこそ、庶民の生活を圧迫し、経済や社会に混乱を持たらすのです。

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