“稼ぐ力”とかいう、不遜な言葉が世の中に横行しています。
稼ぐ力というのは、人間の労働に関して、稼げる労働と稼げない労働に二分する考え方です。
要するに、極めて新自由主義的な、競争によって相手を蹴落とすことすら厭わない、勝ち組と負け組とを分断して格差を拡大させる言葉なのです。
ほんの20~30年前までの日本では、勤労感謝の日というものが、実質的な意義を持っていた時代でした。
「働くこと」すなわち労働それ自体が、価値を持っていた時代です。
稼げる人は稼いだお金で裕福に暮らし、稼げない人も金がないとボヤキながらも、そこそこの収入を得ながら、働いて何らかのサービスを提供している、あるいはモノを作っているという事実により、人々から尊敬され、感謝される時代でした。
押し付けられた価値観
ところが、今はどうでしょう?
現在では、稼げる人は“勝ち組”と持ち上げられ、尊敬というよりは羨望や嫉妬の的となり、場合によっては叩かれたり恨まれたりしますし、逆に、稼げない人は“負け組”の烙印を押され、バカにされ、人としての尊厳すら踏み躙られるような世の中になってしまいました。
政党や政治家、マスコミは、この「稼ぐ力」を諸手で持ち上げて歓迎し、国民は「稼ぐ力」を持つべきだという価値観を押し付けてきます。
本当に、これが正しい価値観なのでしょうか?
例え稼げなくても、世の中にとって必要不可欠な労働、すなわち国民生活を安全に、快適にする上で必須なモノやサービスの提供する労働は存在します。
例えば農業や漁業、畜産業など。
例え稼げなくても、国民に安全で、必要な分の食糧を提供することが最重要課題であり、“稼ぐこと”は二の次で良いはずです。
次にインフラ整備。
道路や橋、トンネルや港湾などの交通インフラは、国民が生活する上で必要不可欠なインフラストラクチャであり、それ自体を使ってお金儲けを考える必要のないものです。
また堤防や砂防ダムなど、防災インフラは、それ自体は普段何の役にも立たず、お金を生み出さなくても、いざ自然災害が発生した時は国民の命を救うものです。
そして各種の行政サービス。
治安を司る警察や、火災や自然災害から人々を守る消防、外国の軍事力だけでなく 自然災害からも国民の生命財産を守る国防(自衛隊)、そして国民が社会生活を営む上で必要な戸籍の管理や各種許認可・証明、手続きを司る役所。
言うまでもなく、これらに稼ぐ力は必要ありません。
国民の生活と生命財産、安全を守り、かつ生活を円滑に営む上で必須なものであって、稼ぐ力など無くても良いのです。
さらに国民の生命と健康を守る医療福祉や、社会を営む上で必要な知識やスキルを国民に身に着けさせ、さらにそれを研究発展させつつより良い社会を築き上げる礎を作る教育。
これら、国民の生命財産と生活を守り、維持するために必要な業種に携わる人々の労働には、本来“稼ぐ力”などという不遜な言葉を、当てはめていいはずがありません。
“本当に大切なもの”を自ら手放してきた戦後日本
そして、これらの業種は、戦後日本の歴史において、悉く叩かれ続けてきた業種でもあります。
農業は保護され過ぎている!
無駄な公共事業は止めろ!
公務員は恵まれすぎている!
結果、これらの産業は衰退し、今では目も当てられない惨状を晒しています。
日本人は、長期化するデフレの渦中において、国民の間に湧き上がるルサンチマンに応えるように、メインストリームメディアが流してきたプロパガンダに国中で乗っかり、これらの業種を叩くことに勤しんできましたが、その結果、どうなったでしょう?
食糧生産は外国に依存し、
自然災害からの復興は立ち遅れるようになり、
役所の窓口には派遣業者の非正規職員が常駐し、
庶民が収めた税金は人材派遣会社に流れていく。
こうした変化の中で、国民の生活は豊かになったでしょうか?
長期化するデフレは回復の気配すら見せず、賃金は上がらず、まともに貯蓄すらできなくなり、国民生活は豊かになるどころか貧しくなっていきました。
デフレに苦しめられたとはいえ、国民の間に渦巻くルサンチマンは、結果として自身の首を絞める結果となったのです。
“経済”と“経世済民”
現在では、“経済”というと、“お金儲け”のことを指していると思われがちですが、元来は“経世済民”という中国古典に見える四字熟語で、經世濟民、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」と読みます。
【経世済民】は「世の中を治め、国民の苦しみを救うこと」を、表す四字熟語です。 またそうした政治を言うことが、そもそもの意味でした。略して【経済】です。
【経世】は『荘子:斉物論』に出ています。
春秋の経世、先王の志は、聖人は議するも弁ぜず。
〈訳〉 諸国の歴史にみる政策や古代の王の記録について、聖人は議論はしても(善し悪しの)分別はしない。【済民】は『書経:武成』に出ています。
惟(こ)れ爾(なんじ)有神、尚(ねが)はくは克(よ)く予(われ)を相(たす)けて、以て兆民を濟(すく)ひ神の羞(シュウ)を作(な)す無(なか)らんことを。
〈訳〉 有神よ、私に協力して万民を救い、神に恥かしくないようにしなければいけない。【経世済民】の略語としての【経済】は『抱朴子(ホウボクシ):東晋の葛洪(カッコウ)の著で道教の書』や『文中子:隋の王通(オウツウ)の著で論語にまねて作った書』に出ていますが、世を経(おさ)め、民を済(すく)うと、同じ意味で使われています。
ところが現在では、英語の「エコノミー」の訳語として【経済】が用いられ、国民をすくう、などと言う意味はこれっぽっちもありません。
economyの意味を見てみますと、
economyとは
主な意味
節約、倹約、むだを省くこと、効率的な使用、経済、(一地方・一国などの)経済機構、(有機的)組織、景気
元来の意味と比べて、何とさもしい意味であることか。
元来の経世済民とは、
「国家を統治する為政者は、万民を救うべし」
という意味です。
古代中国では国民を支配する統治者と国民は完全に分かれていたでしょうが、国民主権の民主主義国家である現代日本において、“為政者”とは、すなわち国民のことです。
政治家や議員はその代弁者に過ぎません。
自分たちで自分たちを救う、というのは奇妙に思えるかもしれませんが、こう考えてはいかがでしょう。
あなたの労働が、世の中の誰か(民)を救済する。
あなたの労働が、困っている人の救いとなる。
あなたの所得が、誰かの所得になり、誰かの所得が、あなたの所得になる。
すなわち、あなたの使ったお金が、誰かの所得になり、その人を豊かにする。
あなたの労働や消費が、あなたためだけではなく、世の中の他の誰かのためになる。
これこそが経世済民、すなわち“経済”の本質です。
政治云々抜きにしても、
私たち国民は、労働を通じて既に経世済民を実践しているのです。
ところが現在では冒頭で示したように、
自己の利益のためだけに世のルールを変えようとするネオリベラリズム(新自由主義)や、
他の誰かを蹴落として、自分だけが勝者になるグローバリズムなど、
そんな殺伐とした価値観が横行してしまっています。
今こそ我々はそういった価値観を捨て、社会の関係性の中でお互いに意識せずとも誰かを救い、誰かに扶けられる社会、すなわち“経済の本質”を取り戻すべきではないでしょうか。
門前小僧さんのコラムもお世辞抜きで素晴らしいです。
やすさんといい、門前小僧さんといい、ヤンさんに負けず劣らずのわかりやすく語られる才能を今まで出し惜しみしてきた罰(笑)として、これからどんどん発信されることを強く希望します。
私も数年間、読者様から大して反応がない中、朝刊進撃を書いてきましたが、己の論に理があれば、他者に伝播することを実感した経験が幾度もあります。
門前小僧さんにも、その快感(?)を是非とも味わっていただきたいです^^v
コメントありがとうございます
過分なるご評価をいただき、恐悦至極です。。。
新生・進撃の庶民に、少しでも貢献できたらこれ以上ない喜びです。
これからも(可能な範囲で)頑張りますので、何卒よろしくお願いします。