知らなきゃ損!ネットの政治議論で押さえておきたい3つの大前提

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 今回は政治と議論について、掘り下げていきたいと思います。というのも現代はネットが発達し、否応なく政治議論もネット上でせざるを得ない状況だからです。

 リアルですら政治議論は、なかなか難しいところがあります。ネットではさらに、技術が求められます。

 本稿では技術云々以前の、政治と議論の大前提について解説します。

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前提① 議論とは?

 そもそも議論とは何でしょうか?

「意見を出し合ってお互いを説得し合う」
「相手を否定して周りを味方につける」
「自分を大きく見せるために相手を論破」

 様々なイメージがあることでしょう。しかしまず、大前提として議論は「真偽がわからない問題に対して行われるもの」です。

 「Aが正しい、ないし間違っている」と、実験などで客観的に示せる場合に議論は不必要です。正しいか間違ってるかわからないからこそ、議論になる、ないし議論をするのです。

 この事実は、ひとつの回答を示しています。つまり「あなたが主張していることが、必ずしも正しいとは限らない」ということです。

 場合によっては2つの意見をアウフヘーベンして、よりベターな結論を得る手段が議論です。

 また議論の目的には、相手の説得があります。この説得は「こちらが正しいから従え!」ではありません。「お前が間違っているから撤回しろ!」でもないわけです。
 それは説得じゃなくて、押しつけですものね。反発するに決まっています。

 議論とは「真偽がわからないからこそ、よりよい結論やアイディアを得るために行う手段」ないし「真偽のわからない問題で、相手を説得するための手段」のどちらかです。

 もし「屈服させるための手段」としているなら、それはもはや権力闘争か何かです。

前提② 民主政治と議論

 民主政治には議論がとても大事、とはよく聞く主張です。けれど別に議論が大事なのは、民主政治だけに限りません。封建政治でも貴族制でも王政でも、議論くらいはありました。

 まずは政治における議論の役割、効用は何でしょうか?

  1. 利害調整や妥協、根回し、落とし所を探るなどの配慮としての議論
  2. 少数意見の認識と尊重
  3. 多角的な視野から物事が判断できる
  4. 決断の妥当性の担保
  5. むっちゃ簡単に言えば、みんなの納得感のために必要

 上記5つの役割や効用の中で、議論が「正しい判断をするために必要」なのは3.だけです。3.は例えばコロナ禍における、専門家会議のようなものです。感染症の専門家、経済の専門かなどの意見を聞いて妥当な判断を下すために必要です。

 余談ですが「民主主義によってみんなで議論すれば、正しい結論が導ける」という考え方は、ハッキリ言って妄想の類いです。お花畑と言っても良いでしょう。

 なぜなら……意見がまとまるはずがなく、議論は延々とループする中で「何がよりよい意見か?」ではなく「どの意見が議論を終わらせられるか」という力学が働くからです。

 したがって論理的にはどう考えても間違いだけれども、直感的に訴えかけやすい緊縮財政が民主主義の結論として蔓延るわけです。

 閑話休題。

 民主政治で議論が重要と言われる理由は、民主政治は市民が賢くないと悲惨なことになるからです。市民が愚かでも、民主政治は成り立ちます。結果が悲惨になるだけです。
 だから議論で、多少でも政治を勉強して当事者になってくださいね? というわけ。

 個人的には「人類がそんな急に、進化するわけないじゃん。急に賢くなれなんて、無理くね?」と思っていますが(笑)

 より大事なのは、議論によって少数意見を尊重するという部分です。国内でも立場によって利害が異なるので、同じ結論になることの方がまれです。
 しかし「なるほど、少数ながらこういう立場や意見もあるのか」と多くの人に認識させることが、民主政治における議論の役割です。

  1. 民主政治を担う市民が賢くなるため
  2. 少数派の意見も認識させるため

 なおネットで行われているような「相手を否定して自分の主張を押しつけること」は、民主政治で期待されている議論ではありません。
 議論とは必ずしも、言い合うものだけではありません。本を読んだり思索にふけったり……これらも立派な”議論”です。

前提③ 議論の目的と論破

 議論の本来の目的は「よりよい結論を得ること」「相手を説得すること」のどちらかです。

 とすると論破という行為は、議論になじみません。なぜか?

 すごく簡単な話ですが、現実社会でも否定から入る人って嫌われますよね。
「いやでもそれは違って~」
「でもさ、それはさぁ~」

 論破って要するに、相手の言っていることを全否定することです。したがって反発され、嫌われます。当たり前ですよね。
 これは「議論の内容がどうこう」ではなく、社会的生物である人間として自然なことです。

 ついでに一度否定から入ってしまうと、お互いに反発し合って否定しかできなくなります。建設的でないどころか、イライラして人生の時間の無駄にもなります。
 政治議論において論破の瞬間は永遠に訪れませんし、論破を目的とするだけ無駄です。
 論破した! 論破できた! と思うのは勝手ですが……。

 政治の議論ってとかく、否定から入る人が多いんですよね。あとネガティブを強調する人も多い。ポジティブから入る議論って、あまり見ませんよね。

主観的な政治議論への感想

 私はぶっちゃけ、ネット上の政治議論は嫌いです(笑)面倒くさいしイライラするし、時間の無駄ですし……。

 なぜネット上の政治議論がイライラするのか? と考えたことがあります。答えは簡単でした。ネットの政治議論の構造って「俺が正しくてお前が間違っている。だから議論しろ! 俺の正しさを証明してやる!」なんですよ。
 つまりもはや議論を仕掛けられた瞬間から、私の意見は否定されているわけです。しかもだいたい、全否定。

 否定から入られたら、当たり前ですがイライラしますよね。

 ですので今は、ネットで政治議論はしません。

 大抵ネットの政治議論は、泥仕合になります。どっちが否定から入ったか? などあやふやになり、反発し合って「相手を否定するための材料探し」になります。

 Twitterなら連投して相手を辟易とさせようとしたり、相手に○○信者などの蔑称をつけて煽ったり。
 イライラするだけでなく、人生における時間の無駄ですよね。

まとめ

 「政治議論は面倒くさいのでしない」と言うと、必ず「自分の主張に自信がないのか?!」とか「民主主義で議論は大事!」とか文句をつけて、議論を押しつけようとする人がいます。

 相手を否定して、たきつけてって「すごい自己中」だと思うんですよ。

 最近はTwitterでもよく発信してますが、基本、人に絡むときはポジティブにしか絡まないようにしています。
 政治経済議論は特に、なぜか否定から入る人が多いですが……ポジティブに入っていけば、もっと建設的な議論ができるのでは? と思います。

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