「天皇の国」の国防観・安全保障観を考えよう|『大義』第九章から

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尖閣から帰るいしがき
尖閣から帰るいしがき posted by (C)西表カイネコ

武漢コロナ禍の中、チャイナ(中国)による尖閣諸島付近の領海侵犯、挑発行為が毎日のように続いています。

積極財政(公共投資・研究開発投資)によって経済発展を遂げ、世界に覇を唱えようとするたチャイナ。衰えつつあると言えども、それに立ちはだかろうとするアメリカ。その間に挟まれた我が国・日本。

今回は、我が国の拠って立つべき「国防/安全保障観」とはどのようなものか、『大義』第九章「国防」(杉本五郎/著)を元に改めて考えてみたいと思います。

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国防/安全保障の定義

一般的な国防の定義としては、

「国家の独立と永続を確保すること。すなわち外敵の侵入・攻撃に対する国家の防衛、国策への妨害の排除に加えて、海外における利権の擁護なども含む」

というところでしょう。通常の国民主権の国ならば、これで十分。

しかし、日本ではダメです。なぜか。
日本は通常の国民主権の国ではないからです。

国民主権=天皇主権

確かに現憲法においては、主権は国民に存するということになっています。

とはいえその一方で、我が国は古来より君民一如を理想としてきました。
天皇は民(おおみたから)を慈しみ、民は天皇に忠義を尽くす。
互いに思いやって心を一つにし、力を合わせて一体となる。

また、国民に主権があるといっても、国民それぞれ勝手なことを考えていてはその行使はできません。国家としてそれを行使するとなれば、意志の統合が必要です。

それはどこにおいて統合されるのか。国会? 総理大臣? いずれも違います。
「国民統合の象徴」とされる天皇こそが統一点です。

すなわち、日本は「国民主権=天皇主権」と言い得ます。
もちろん、ここで言う天皇は一個人としての天皇陛下ではありません。

世界は天皇の大御心の下に

天皇とは神の裔、私心を捨て天照大神(太陽)の境地で世を慈しみ、人々の安寧と社会の発展を祈るお方です。

「四方(よも)の海 みなはらから(同胞)と思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」

「太陽」ですから、その温かい仁愛は世界を覆う。日本人だけが救われ、福利を得られればよいのではない。世界のすべての人々が救われ、すべての国が生き生きと発展することが、天皇の祈りです。

世界はすでに天皇の大御心の下にある。
私心を捨てて人類を救済することこそが、天皇の念願であり、日本が進むべき道。

日本国憲法前文と第12条と「皇道」

現憲法の前文においてすら、
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
とあり、

第十二条では、国民は自らの自由と権利を公共の福祉に用いねばならないとされている。
公共の福祉とは端的に言って、「世のため人のため」ということでしょう。

天皇の大御心を自らの心として、「人々の安寧と世の平和」のために尽くす。
すなわち「皇道」は現代日本においても、日本国家と国民の義務と考えられます。

よって我が国の国防とは、
「天皇と人類救済の大理想を護る。これを邪魔する朝敵を排すること」となる。

三種の神器と国防

さて、皇室には三種の神器があります。
一つは八咫鏡、これは天照大神の御神体であり、私心を排して世のすべてを把握する大真理、そして人類救済を目指す大御心の象徴です。

八尺瓊勾玉と草薙の剣はその実現手段を表す。
すなわち勾玉は優しさ、慈悲であり、剣は勇気、武力と言われますが……

勾玉には人々を養い、保護するための経済力(供給能力)の意味も込められていると考えたいところ。

大御心(鏡)に帰一し、経済力(玉)・軍事力(剣)を共に備えて、人類救済の実現に向かう。
それが我が国のあるべき国防の姿です。

皇道は成長を求める

ところが現実の日本はどうか。
この20年以上、経済力はほとんど成長せず、当然軍事力も強化できず、米中のダブル属国に落ちぶれようとしています。消費税増税と武漢コロナ禍でそれはさらに加速しつつあり、まさに危急存亡の秋(とき)です。

これはまさに我が国が正しい国防観を忘れ去っているから、特に皇道に生きることを忘れているからにほかなりません。なぜなら……

皇道に生きようとする者すなわち、意識的にせよ、そうでないにせよ、天皇の大御心を自らの心として「人々の安寧と世の平和」のために尽くそうとする者は考えるはず。そのためには我が国に経済力も軍事力も共に必要だと。それらを他国以上に成長させねばならないと。

皇道に基づく積極財政を

成長のためには投資が必要です。
政府による支出拡大、公共投資・研究開発投資を増大させねばなりません。緊縮財政など以ての外。

財政破綻? 自国通貨発行・変動相場制の我が国に政府債務増による破綻はあり得ない。
インフレ率を見ながら、支出額を調整すれば十分。
政府の借金(国債発行残高)は国民の資産(通貨発行残高)です。

このような積極財政/大規模政府支出が継続して行われれば、経済成長は間違いありません。
武漢コロナ禍において、国民の間に積極財政を求める声が大きくなっていることは真に心強い。
ただしそれだけでは、恐慌~生活不安から抜けだせばよしというのでは不十分です。

戦後の日本が経済大国化しただけで満足し、米国の属国状態を抜け出そうとしなかったのと同じ轍を踏むことになります。
経済が持ち直したとしても、ビジネスのために米中双方の機嫌をうかがうばかりの国、ダブル属国化は止まらないということになりかねません。
それで「人々の安寧と世の平和」が実現されるなら良いですが、そうでないのは火を見るよりも明らか。

私心・我執を排し、大御心に生きる。皇道を行くことが大切です。
それが我が国の世論・政治の念頭にあれば、軍事・外交も正しいもの、実を伴ったものとなる。

現憲法の制約はありますが、最先端技術をもって防衛力を強化し、米軍には退場いただいて、独力で「国防」を果たせるようにならねばならない。
十分な経済力(玉)・軍事力(剣)が備わっていれば、大御心(鏡)に沿う外交も説得力を増すというものです。

まことの道/王者の業

防衛力/軍事力強化、そして「朝敵を排す」などというと、すわ「侵略戦争を始める気か!」などと心配する方々もおられるでしょうが、大御心に沿う限り、そういう話にはなりません。

明治天皇御製
「おのづから 仇のこころも なびくまで まことの道を ふめや國民」(明治三十八年)

筥崎八幡宮にある扁額「敵国降伏」は醍醐天皇の御宸筆を模写したものだそうですが、これは、
「敵國の降伏するは徳に由る、王者の業なり」という趣旨であると言われます。
(武力で敵を降伏させるという意味ならば「降伏敵国」となるのが漢文の語順として自然です)

いずれも我が国の徳の高さによって、敵が自ずからなびき、従う。
そのような素晴らしい国になろうという天皇の祈りが込められたものです。

この祈りの下に、積極財政によって経済力・軍事力を共に養う。国民は安全で豊かな生活を送り、他国に対しても慈愛と道義をもって臨む。そのような国はまさに世界の鑑(かがみ)であって、各国がこれに倣って自らの国民を救おうとすることでしょう。

理想への一歩を

積極財政・消費税ゼロの世論喚起や政治家への要求は、世界平和・人類救済に向かう遠き道のりの一歩として、また我が国の理想を護る「国防」の一環として、たいへん大切なものです。

右派も左派も、改憲派も護憲派も関係ありません。まずは大御心を尊び、一人でも多くの方々がこの活動に参加、協力いただけるよう願っています。

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