書評『軍神杉本中佐』(山岡荘八著)|「君たちは日本の真の偉大さを知っているか?」

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「君たちは日本の真の偉大さを知っているか?」

A:世界最古の王朝たる皇室をいただいている!
B:明治維新を経て、西洋列強と肩を並べ、アジア独立解放の先駆けとなった!
C:敗戦後の荒廃・混乱を克服し、奇蹟的な経済成長を実現、世界にも類のない豊かで安全な国になった!
D:和歌・俳句・能・歌舞伎など古来からの伝統文化・芸術が保持されていると同時に、マンガやアニメなど新たな文化を作り上げている!

「駄目々々。そんなことじゃない。君たちの答えは、そりゃすべて過去の日本の偉大さだ」

「成程過去の日本は偉大だった。が、お前らが、みんなそんな阿呆だったら、これからの日本も偉大であり得るか? おい! どうだ?」(p.194-195)

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杉本五郎の問いかけ

先頃、『軍神杉本中佐』(山岡荘八著 大義研究会監修 産経メディックス)という伝記小説を読みました。昨年出版されたものですが、原著は昭和17年(1942年)。上記の「」内のセリフは、主人公の杉本五郎(当時は中尉)が若い士官候補生たちに投げかけたものです。

A~Dは私ならこう答えてしまうかな、というのを並べてみたものですが、杉本さんの問いかけは現代日本人へ向けられたものとしても全く違和感ありません。

時代背景は現代に酷似

ちなみに時代背景は大正末~昭和初期。以下のような記述が出て来ます。
第一次大戦後の不況に端を発した長期デフレで、これまた現代日本に通じるところ大だと思います。(ただし、当時は変動相場制でなく、金本位制)

「時の内閣は、民政党の浜口内閣――。(中略)
浜口内閣の掲げた政策の中心は、金の解禁と、産業の合理化による財政建直しの節約一点に集中されていたが、果してそれらの政策が、国力を蓄え、民衆を幸にしたであろうか?
生産過剰の資本主義時代に、財閥から選挙費を得ている政党の建てた政策が、中小商工業の犠牲において、露骨な財閥擁護になるのはあまりに明瞭な宿命であった。
建艦の中止、産業の合理化、軍縮、消費節約――。
こうした消極政策によって、いよいよ失業者は巷にあふれ、その総数は百万乃至百七十万とさえ言われ、不況と生活苦は深刻を極めた。 不況になれば物価は低落する。
常に日本の国力の中核をなす農村でも、恐らく、農産物の値下りは十億円を超えたことであろう。
農民は虫のように生き、一度失った職は永遠に返って来ない――。そんな時代に、どうして人間が気節高く生き、国力の伸展を期し得よう。
産児制限、一家心中、もらい児殺し、争議、争議、争議――。(中略)

政府の政策、一つとして恕す(ゆるす)べきもののないのに、彼等は議会で多数を占めている限り、決して政権を放すことはないのだ。
政府はこの絶望状態を指して、 「世界的の不況で仕方がないのだ」と、釈明した。
果して施す術のない世界的不況であったのだろうか?
否! 政治の貧困と政治の無気力が招いた結果だったのだ。」

杉本五郎中佐と作家・山岡荘八

さて、物語の主人公、杉本五郎中佐ですが、彼は実在の人物で、戦前の大日本帝国陸軍の中隊長。
尊皇絶対の信念を胸に自己修養に励み、吉田松陰の再来と言われるほど部下をよく訓育、市民向け講師としても人気があったのですが、昭和12年(1937)支那事変にて戦死。倒れることなく、はるか皇居の方角へ挙手敬礼、立ったまま亡くなりました。

その彼の遺著となったのが『大義』(昭和13年刊)。彼の思想・日本人の進むべき道・心構えを記したこの本は、当時130万部を超える大ベストセラーとなり、若者たちに大きな影響を与えました。少なからぬ若者たちが杉本中佐にあこがれ、軍人を志したと考えられます。

作家・山岡荘八もまた、この『大義』に感銘を受けた一人です。『徳川家康』『独眼竜政宗』など戦後のNHK大河ドラマの原作者として有名ですね。この山岡荘八が杉本中佐の伝記小説として書き上げたのが、『軍神杉本中佐』です。
(こういったものを書いたために、山岡荘八は戦後公職追放となり、『軍神杉本中佐』は『大義』と共にGHQによって「焚書」の対象とされました……)

親心の軍人

この『軍神杉本中佐』、おすすめです。戦前の小説なのに、たいへん読みやすい。きびきびした文体で本当に楽に読めます。作者の山岡荘八が杉本中佐の思想に共鳴しているからでしょうか、セリフにも地の文にも天皇・国民・国家への真剣な気持ちがみなぎっている。

パッと見、本書での国家観・信念は現代において「過激」「誇大」と捉えられかねないものですが、杉本中佐の抱く思い、言葉、行動には共感するところ大、その強靭かつ寛大な精神にはあこがれを抱かざるを得ません。

国民の、世界の人々の安寧を願う天皇の大御心の実行者すなわち「股肱の臣」として、杉本中佐は利己心を滅し去り、自ら手本となって士官候補生や兵士を厳しく訓育する。

「お前らの刻苦如何が、そのまま 陛下の御稜威(みいつ)を輝かせもし、さえぎりもするのだ。さえぎるものは言うまでもなく賊! 外にも内にも賊があふれている。刻苦せい! 刻苦せい! 寸陰を惜しんで刻苦せい!」(p.195)

そう言いつつ、厳しい野外演習では兵たちの先頭に立って走り、帰る時には兵たちが全員兵舎に入るまで、門の前で立っている。身銭を切って兵たちにたらふく食わせてやる。除隊する兵には、つてをたどって就職先をあっせんする。

まさに親心をもって部下に接する杉本五郎、ここまででも十分尊敬に値する人物ですが、私にとって何よりも、彼の思想が本物だと思えたのが結婚と家庭でのシーンです。

結婚にあたっての条件

この時代のことですから、恋愛結婚ではありません。長兄の妻の妹との縁談を持ってきた次兄に対して、五郎は二つの条件を出します。

「第一は俺に絶対服従のこと。第二は、俺が何時戦死しても、立派に子供を育てて行けるだけの覚悟を持っていること」

「男が本当に責任を持つつもりなら、絶対服従以外にないはずじゃ。国を見ればよく分る。政党政治は責任のなすり合いで、あげ足ばかり取り合うように運命づけられている。軍隊に二人の司令官があったら戦争は出来ん。そんな争いの種を撒いて、それが新しいなどと思ったり、俺が責任をもって、それが信頼出来んような女ならいらん」 (p.159-160)

この条件、普通なら怒って断りそうな条件を、相手の女性である定枝さんは受け入れます。しかも、逆にこれを頼もしく感じつつ、静かに「皆さんのいいように……」と答えるのです。この定枝さんもすごい。

ヒゲの中隊長、杉本五郎氏

もともと貴女のものじゃない

で、結婚の宴です。宴もたけなわ、お客たちがみんないい具合に酔っぱらった頃、五郎は定枝に上座へ座るよう言います。

「さ、座って下さい。ここへ座ってから聞いてもらいたい事があるんだ」(中略)

「何しろ今日は、貴女がいちばん大切なんだ」(中略)

(五郎の)眼は柔く和んでじっと新婦に据えられている。その眼の中からふしぎな愛情と、ふしぎな厳粛さとを受取ると、
「はい……」  
新婦もまた臆する色のない素直さで新郎を見返した。五郎ははじめてニコリと笑った。
「今日から、大切な 陛下の股肱を貴女にひとりお預け致します」
「はい」
「もともと貴女のものじゃない。大御心を心として生きる者ですから、お召しがなくとも死ぬべき時にはきっと死にます」
「はい」
「あとにはまた、 陛下の赤子も残るでしょうし……、決して楽はさせません。が、ひとつ宜しくお願いします」
「はい」
五郎は再びニコリとした。 (p.166-167)

子供を育てるも忠、お供を連れて歩くも忠

「もともと貴女のものじゃない」「決して楽はさせません」

ふつうのプロポーズの真逆です。でありながら、定枝は夫を信頼し、不規則な帰宅時間にも一定しない俸給袋の中身にも一切疑問を口にしない。五郎の生活のすべてが、何に集中されているか、ハッキリと理解していたからです。

この二人の間には四人の子供が生まれるのですが、杉本中佐は出産後で弱り気味の妻に代わって、平気な顔でオムツを洗い、子供を乳母車に乗せて買い物へ行く。

この時代の男性はなかなかやらないことだと思いますが、そんなことは意に介さない。二十枚近いオムツをきれいに物干竿に並べてこう言います。

「子供を育てるも忠、お供を連れて歩くも忠。いい気持じゃ」 (p.265)

表層的な「男子たるもの……」という感覚でもなければ、進取を気取る浅薄な「男女同権」的感覚でもない。周囲の目など気にしない。ただ必要なことを機嫌よく行う。それが天皇の大御心にかなうように。

真の「和」のための「大義」

とはいえ時代は満洲事変、五・一五事件、二・二六事件と不穏さを増していきます。
そんな中、杉本さんは知人らとの会合で、講演会で、部下の教育で「尊皇絶対」の精神を広め、同志の「和」を広げようとします。その一環として、友人から請われて書き始めたのが『大義』です。

余談ですが、作家の城山三郎も少年時代に『大義』を読んで大いに感化され、海軍の予科練に志願したそうです。さらに敗戦の衝撃、社会の空気の転換と『大義』の世界観を信じたい心の葛藤から、『大義の末』という小説まで書いています。

この『大義』は著作権切れのパブリック・ドメインなのでインターネット上でも読めます。私も全文読んでみましたが、仏教用語など少々難しい言い回しが混じるものの、実にストレートで力強い文章です。古びることのない、日本人の真実を訴えかけるものだと感じました。

日本国民を救いたい、未来の子供たちによりよい祖国を残したい、と少しでも思う人にはぜひとも読んでもらいたいものです。また、私が以前取り組んでいたジョサイア・ロイスの『忠義の哲学』にも通じるところが多いと感じました。

正しく筋を通すために

とはいえ、『大義』はあくまでも昭和戦前期に書かれたもの。その時代に最適化した表現・言い回しで書かれた物であって、現代人の多くにとっては「狂信的誇大妄想」の類と誤解されかねない。本居宣長や吉田松陰の文章がそのように言われるのと同じように、です。

杉本中佐の思想を正しく受け継ぐことが大切です。それこそが、戦前と戦後に正しく筋を通すことにもつながると思います。

そういうわけで、僭越ながら『大義』の解説連載に挑戦してみます。ラドヤード・キプリングの『海山物語』もまだ連載中ですので、同時並行ということになってしまいますが…… 

杉本中佐は兵学校出身、キプリングは軍人の子弟向けのパブリック・スクール出身。いずれも大学出のエリートでなく、自ら学んで祖国に尽くす道を追究した点は共通。日英比較という意味でもちょっと面白いかもしれません。再来週以降も、お付き合いいただけましたら幸いです。

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阿吽
4 years ago

奥さんへの言葉も、本物が言うからかっこよくなりますね。

(俺を信じてくれ、俺もおまえを信じる・・って感じですね。)

(奥さんを結婚式の席で上座に座らせたのも、みずからの(奥さんに対しての、とでもいえばいいのかな)忠を示すためでもありましたかね・・)

これが偽物が同じ言葉をまねて言ってみても、それではただのクズになりはてます。

当時も今も、このような本物ばかりなら良かったのですが・・、いかんせん、このような本物は、当時であってもそこまでは多くはなかったのでしょう。

(だからこそ、逆説的なことではありますが、このかたの本がベストセラーにもなったのでしょうし・・)

しかしだからと言って、この忠(生き様)は、多くの人の指標になったのでしょう。

wikiで見ましたが・・、検閲部分も含めてきちんと当時、世に出ていれば・・と、思います。

そうであれば、もっとこの人の正確な忠(生き様)を、誤解すくなくひろめられたのでは、と、思ってしまいますね・・。

Reply to  阿吽
4 years ago

ありがとうございます。
十七条憲法の第一条に「達者少なし」とあるように、「本物」が少ないのは昔から変わらずですね。

国を思う心はあっても、ついついわかりやすい敵を叩く快感に流れてしまったり、ルサンチマンにはまってしまったりする人は多い。自我の「賊」に囚われてしまっているわけですが……。

そういった人々(彼らもまた天皇の赤子)の中から一人でも多く「達者」が現れるよう、自己を練り、誠を尽くして世に向き合っていったのが杉本さんだったのだと思います。私も彼の境地に少しでも近づきたく、『大義』に取り組んでみようと思うところです。

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