『海山物語』 (ラドヤード・キプリング著 マクミラン発行 1923年初版 1951年再編集版) 底本 Land and Sea Tales for Scouts and Guides by Rudyard Kipling MACMILLAN AND CO.,LIMITED 1951 (First Edition November 1923)
(訳者より
20世紀初頭、イギリスのサセックス州。来るべきドイツとの戦い、第一次世界大戦に備えるべく設立された民間射撃場/ライフルクラブ。
クリケットが得意で、国防にも射撃にも特に興味のないジョーンズ青年。彼は友人に連れられて、この射撃場へやって来ました。誘われて射撃を試みるも、初心者のジョーンズがうまくできるはずもなく。一方で、民間有志のレンガ職人や肉屋、ボーイ・スカウトの少年たちは練習の成果を見せつけました。特に背骨に障碍のある少年ミリガンは見事な腕前。
そこへ、射撃の指導者である軍曹がさらなる遠距離射撃をジョーンズたちに見せようというのでした。)
塹壕の中へ
採点手が低い声で友人に言った。
「軍曹さんが、射撃を900ヤードの距離でやってみようとのことです。
それで私は待機してるところです。よろしかったら、塹壕に入ってみませんか?」
――控えめなウィンクがこの台詞を締めくくる。
「ありがとうございます。なかなか面白そうだ」
とジョーンズ。
風は少しおさまったが、太陽は変わらず強く、黄色いハリエニシダの花を照らす。
軍曹が移動するにつれ、そのまっすぐな背中がどんどん小さくなる。
「この梯子を下りるんです」
と採点手。
彼らは標的の下方、湿っぽい塹壕線に着いた。
足下は深いところまで固い石灰層である。
ウサギのパーソン
「そうです」と彼は続ける。
「弾丸は全部、ここに飛んでくることになります。
今年、場内のどこかでは1万4千発というところですが、ウサギの巣作りの邪魔にはなりません、どこも変わらずです。
射撃が終わると私たち同様、ウサギたちにもそれがわかるんです。
散弾銃を持って来たなら、1匹も見つからないでしょうがね。
といって、ウサギたちがライフルの前に出て来るわけじゃあないですよ。
ごらんなさい、パーソンがいます!」
採点手が指さす先、恐れ知らずの黒ウサギが射撃場の真ん中に座っていた。
採点手が900ヤード用の大きな的に向かって走ると、そいつはさっと跳ねて逃げる。
ジョーンズは、弾丸で割られた標的の枠や砕かれた木材の切れ端、背後で意味ありげに耕された土を見ていた。そうして彼は、陽光の下から塹壕の冷たさの中へと、ゆっくりとそれを感じながら下りて行った。
採点手は茶色の古い箱を開ける。彼はそこに糊と貼紙を入れていた。
「ここではカビが生えがちなんですよ」と彼が説明する。
「ウォーレンさん、私のところの墓守ですがね、
その人、塹壕は墓穴みたいで気に入らないって言うんです。
でも私に言わせれば、塹壕は彼の掘るものより、2倍も深くて3倍も広いんですよ」
軍曹の射撃
「オレは気持ちいい場所だと思うな」
とジョーンズは言って、細く切り取られた空を見上げた。
採点手が危険標識の旗を静かに下ろした。
何ものかが、尻尾を踏んづけられた猫のように泣き叫び、真っ白な石灰の欠片がいくつか、静かに塹壕の中へこぼれ落ちる。
ジョーンズは飛び上がって、塹壕の内壁にピタリと身を寄せた。
「軍曹が狙撃してるんです」と採点手。
「草むらの中の火打ち石を撃ったんですよ。
私たちも全部取り除くことはできませんから。
貴方が気づいた音は、弾丸のニッケル被甲がはげたのです」
「だけど、軍曹の銃声は聞こえなかったぞ」とジョーンズ。
「距離900ヤードでなくても、この風では聞こえないでしょう」と採点手。
「横に立ってください。射撃が始まってます」
頭上でトン、という音、一瞬の間があって、軋りながら的が落ち、長い竹の端に得点盤が掲げられる。貼紙で弾痕に継ぎが当てられると、再び的は上げられて、次の「トン」にご挨拶。もう1回、また1回。5回目は音が違った。
転倒弾
「変な音でしたね」採点手はそう言って、的を引き下ろした。
「弾丸が手前の方で跳ねてしまったに違いない。
いわゆる転倒弾になったんです。見てください!」
彼が指し示す先では、的のキャンバス地がいびつな三角形に引き裂かれて垂れ下っていた。
「もしあれが血の通った人間だったら」優しげに彼は続ける。
「まるで犂のように貴方の方へ落ちかかってきてたでしょう
……さあ、また射撃が続きますよ!」
6発目の音は交霊会でのそれのように、ゾクゾクするほど強烈だった。
だが7発目の後には弾丸が石を打つギャーンという音が続き、金属のねじれた小片が、ジョーンズのこわばった足下に落下する。彼はそれに触れたものの、落としてしまった。
「何だ、メチャクチャ熱いぞ」と彼は言う。
「弾丸が止まる時の摩擦のせいだ」と地理学協会員。
「でも、たじろぐほどの音じゃないだろう?」
何かを伝えるために……?
数分の間があり、風と海の音、そして採点手が的をギュウギュウ補強する音が聞こえていた。
「軍曹さんは、最後に弾倉1本撃ち尽くすつもりだそうです」と採点手が明かす。
「風が止むのを待っているだと思います。ああッ 来ますよ!」
着弾―― 11発が3秒間隔で撃ち込まれた。
跳弾は1発あるいは2発のみ。
1発は的の枠の右側へ当たり、呼び鈴のような音を立てる。
2発はど真ん中を貫き、後ろの古い枕木を強打。
別の1発は土くれを塹壕へ跳ね飛ばしつつ、転倒弾となって的へ命中。
他のはあちこちへばら撒かれたが、いずれも射撃場の土に着弾した。
「軍曹さんは、もっとうまくやれるはずですがね」
と採点手は的を整備しつつ批評する。
「風に嫌気がさしたのか、それとも(彼はまたウィンクして)……あるいは誰かに何かを伝えようと思ったのでしょうか」
「全部当たったように聞こえたよ」とジョーンズ。
「だけど発射する音はまるで聞こえなかった。まったく恐れ入るよ!」
「ああ」と友人が言う。
「クリケットで言えば、48時間前通知で投球に挑まなきゃならないってところか。
幸運な場合でだが」
「転倒弾は禁止だよな」
とジョーンズは自分の感想を続けた。
採点手が旗と梯子を上げ、彼らは塹壕から陽光の下へと出て来た。
ジョーンズとミリガン
「かわいそうに、見てください!」と採点手が言って立ち止まる。
「ああ、ああ! 見つけてなかったなら、とても信じられなかったでしょう。
哀れな道化ものですよ。軍曹さんはお腹立ちでしょう」
「どうしたんだよ?」とジョーンズが甲高い声で言う。
「パーソンを殺してしまったんですよ!」
採点手は、まだ後足が動いている、つやつやした毛の黒ウサギを抱き上げた。頭の片側がなくなっている。
「打ち明けますが!」採点手は続けた。
「軍曹さんがこいつを撃つふりをすることは知ってました。
かわいそうなやつ! 好きなようにやって跳ね回って、自分は安全だと思ってたんですよ。
それで、こんな風に頭を見事に吹っ飛ばされるなんて。
ごらんなさい! ああ! ああ!」
ジョーンズにとっては、まったく不愉快なことであった。彼は気分が悪くなった。
・ ・ ・ ・ ・
1週間後、小型ライフル練習場の倉庫で、友人は彼のそばへ歩み寄った。
彼はズボンを膝までたくし上げ、ほこりっぽいしゅろ皮のマットに長くうつ伏せて、照準を200ヤードに合わせる。
自分の後ろに立ち、傾いていないか見てくれるよう、猫背のミリガンに丁寧に頼んだ。
「いや、今は大丈夫」ミリガンは偉そうに言う。
「さっきは傾いてたけど」
「ジョーンズ青年の寓話」完
(訳者より
撃たれた黒ウサギは、非常事態への危機感もなく「好きなようにやって跳ね回って、自分は安全だと思ってた」人たちの象徴。ジョーンズは、そんな「ウサギ」の一人である自分が撃たれたような気がして射撃に参加するようになった……というところでしょうか。
緊縮財政と移民受け入れによる国力毀損・国家喪失という危機が顕在化する中、「自分だけは安全だ」と思っている人がまだまだ多い我が国。これを自らの危機として考える人が増えることを願うところです。
短編小説の合間に詩が入るのが『海山物語』のスタイルですが、今回も同じくです。)
「船出」
ヘンギスト率いるサクソン族の群れ、
白馬の旗を風に広げた初めより、
この世を駆り立て 動かすものの何であれ
陸の上にも海の上にも 変わらずにあり
(まるでかつての大船が強風の中 進む海
今は同じく 通いの船が行くところ)
時も潮(うしお)も もろともに 昔語りに響く波
「敗れる者は悲しかろうな――悲しかろ!」
猛る暴風に手綱つけ、うねる大波をよくなだめる
そんなお守り おまじないなどありはせぬ
海の女神の気を晴らす 貢物などどこにある、
海の女神の従うは 益荒男(ますらお)以外ありはせぬ
(百尋千尋(ももひろちひろ)の海底(うなそこ)で 水の巡ってゆくごとく
それは同じく 流砂の動きの示すところ)
水の心は同じ言葉でただ嘆く
「敗れる者は悲しかろうな――悲しかろ!」
宴は果てて、昔話も語り終え、
夜明けはとうに過ぎている
我らは行こう 寒風の泣き叫ぶ埠頭へ
軍艦が乗組員を待っている
灯し続けた松明は 尽きて消えよう
ハープの弾き手も帰らせろ
風と戦は同じ歌をば ただうたう
「敗れる者は悲しかろうな――悲しかろ!」
栄光あれ、船を進める大きな櫂に、
浜辺が遠くなっていく!
栄光あれ、打ち鳴らされる大盾に、
掲げよ、我らが船縁高く!
栄光あれ、舳先を越える初波に、――
緩くしろ、櫂を漕ぐ手を! 緩くしろ!――
漕ぎ手座は満ちる、歎きの声に、――
「敗れる者は悲しかろうな――悲しかろ!」
(続く)