ジョジョの忠義な哲学 第7部~8部まとめ|忠義と永遠真理

この記事は約10分で読めます。
プラグマティズムのウィリアム・ジェームズ(左)と
忠義哲学のジョサイア・ロイス(右)
https://www.theunion.com/news/remembering-grass-valley-native-son-philosopher-josiah-royce/

 アメリカの哲学者ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Josiah Royce / Philosophy of Loyality)を漫画『ジョジョの奇妙な冒険』とミックスして超訳したものを、旧「進撃の庶民」ブログで連載させていただきました。  

 全8部のうち、1~4部5・6部のまとめを再掲したのに続き、今回は最終7・8部のまとめです。テーマは、忠義と真理の関係、そして忠義の最終定義。  

 通常翻訳版の第7章はこちらから、ジョジョ訳版第7部はこちらから読めますので、御興味のある方はどうぞ。

スポンサーリンク

定義のおさらい

「義」とはッッ!
1 自分自身の「外」にあって、自分自身よりも価値がある
2 単なる個人意思を超越している
3 人を他者と結びつける(絆を生み出す)
この3つを満たすもの。


[忠義の定義 ACT1]!
忠義とはッッ、 「自らの「義」を選び取ること、 その「義」のために懸命に行動すること」だッッッ!!!


[忠義の定義 ACT2]!
忠義は伝染する善であるッ
他人の忠義に敬意を払い、人類忠義の拡大を志す!
忠義に対して忠義であれッッ!


[忠義の定義 ACT3]!
忠義とはッッ あらゆる「道徳」の中心にして「良心」の要求!
「義」を選ぶにあたっては「果断」、「義」に尽くすにあたっては「誠実」となるッッ
「良心」は言う、「忠義に対し忠義」であれッッ!

「義」が内包するもの

上記が「忠義」とその対象である「義」の定義ですが、 この「義」。

小さいところでは「家族」にはじまり、「企業」「地域社会」「国民経済の成長」といった大きいものまであります。「義」は個人ではなく、人と人との「関係性」にある。

そして、最も重要な「本義」は「人類忠義の拡大」「あらゆる忠義の人生の調和、理想的統合」です。

これらの「義」とそれに対する「忠義」は、たとえ敗北や挫折、裏切りや死によって失われたように見えても、決して消えない価値を内包している。そこには「永遠真理」に連なるものがあります。

では「永遠真理」とは何か? それを考察するには、まず「真理」とは何かを明らかにしておく必要があります。

「真理」とは何か ~プラグマティズム~

真理とは、「観念と実体の一致」です。

目の前に長方形の紙切れがあり、そこに男性の肖像画と「壱万円」「日本銀行券」の文字が見える場合。

この紙切れが「実体」で、「この紙切れは一万円札だ」が「観念」です。

では、この「観念」が「真理」であると証明するにはどうするか?

お店に行って必要な物を買えばいい。 首尾よく買い物ができたら、「観念と実体の一致」が証明できたことになる。

そしてその場合、この「観念」は「必要な物を入手する」という実益を与えてくれたことになります。この「観念」は役に立ったわけです。

「真理」とは人間にとって実用上の「利益」を与えてくれるもの。実際に「役に立つ」と証明された「観念」こそが「真理」である。

このような考え方を、プラグマティズム(実用主義)と言います。

「証明」の「信用取引」

「酒は控えめにする方が、朝スッキリ起きられる」
「シイタケにはうまみ成分が豊富である」

といった生活上の「真理」はもちろん役に立つものですし、 学校で習う正弦定理や余弦定理(何の役に立つのか……と思う学生も多いでしょうが)も建築や製造業等において、大いに役立ち、日々「真理」であることが「証明」され続けています。

この数学の定理でも明らかですが、数多くの「観念」について、 私たちは自分で直接「役に立つ」と証明しているわけでもないのに、 「真理」であると受け入れてしまっています。 どこかの誰かが「役に立つ」と証明したことを「信用」して、様々な「観念」を「真理」であるとして利用しているのです。何といっても、その方がラクだし便利ですから。

世の中は、この「有益性の証明」の「信用取引」であふれているわけです。

「のどの風邪にはブロムヘキシン塩酸塩が効果あり」と、自分で実験したわけでもないのに、それを信用して市販の風邪薬などを購入する。

「貧血気味の人は鉄分が不足しているので、レバーを食べるとよい」とかいうのもそうですね。

「真理」は個人によって異なるのか?

ですから何であれ「真理」の探究というのは、「人の役に立つ、有益である」ものだと言えます。

そして「忠義」は、自らの「義」のために役立とうと懸命に行動するわけですから、 「忠義」もまた、プラグマティック(実用主義的)に「真理」を求めてやまぬものと言えます。

ところがです。ある観念の有益性は個々人によって異なることが多い。人によっては逆に「害」になることもある。

上記の風邪薬やレバーの例でも「症状に効く(=役に立つ)」かどうか、個人差があります。

「真理」は個人によって異なる。状況によって異なる。
「真理」の価値は、それによって得られる個々人の「益」の合計、 すなわち「どれだけ多くの個人の役に立つか?」で決まる。

ということになりそうですが……本当にそうでしょうか?

個人で得られる以上の「益」

例えば「進撃の庶民」で訴えられている「積極財政による経世済民」が実現した場合。

国民各自の所得はもちろん増えるでしょう。しかしそれだけでなく、科学技術も文化芸術も発展し、日本全体が元気になる。国際社会での地位も高まる。また、家庭にも社会にも余裕が生まれ、虐待や犯罪も減ると思われます。

そこには個人で得られる以上の「益」がある。
「個々人の便益の総合計」以上の価値が生まれているのは明らかです。

では、この巨大な「益」全体を得る、すなわち「積極財政による経世済民」という観念が「役に立つ」と証明するのは誰でしょう?

当然、個人を超越した「日本という国家全体」ですね。

もう少し小さな例でも、
「夫婦は互いに思いやり、仲良くするのがよい」では夫・妻・子という個人のみならず、家族・親族全体に有益。
「出勤したら同僚に挨拶するのがよい」では本人や同僚個人のみならず、会社全体に有益。
さらにその有益性がどこまで広がるものか、正確にとらえることはできません。

忠義が求める「大いなる宝」

個人で「有益である」と証明できる以上の「益」。
それをもたらす「真理」が無数にあることは明白です。

「義」とはッ
1 自分自身の「外」にあって、自分自身よりも価値がある
2 単なる個人意思を超越している
3 人を他者と結びつける(絆を生み出す)
この3つを満たすもの
なので、
「忠義」はそもそも個人を超えたものを求めている。

家族や地域、自らの属する組織、祖国にとって「有益な成果」―― 個人的には手にすることのできない「大いなる宝」を、忠義の人は求めて行動します。

「忠義」の人にとって最も重要な「本義」すなわち、 「人類忠義の拡大」「あらゆる忠義の人生の調和、理想的統合」は、その中でも最大の宝でしょう。

「万物を統一的に見る世界包括的な理性」

とはいえ、この「大いなる宝」がホンモノだと、紛い物ではないと誰が言い切れるのでしょうか。個人では立証しきれないのです。我々人間では、その価値全体を自らのものとして受け取ることはできない。

立証できるとすれば、それは人間を超えた巨大な存在。

ジョサイア・ロイスは、それを「万物を統一的に見る世界包括的な理性」と呼びました。

「ジョジョの忠義な哲学」では、これを実在世界全体を本体とするスタンドとしてとらえ、
「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(What A Wonderfull World/WAW2)」と名付けました。

その能力は「無限抱擁/透徹理解」。

「万物を統一的に見る世界包括的な理性/WAW2」は、
この世の出来事すべてを包含し!
自らの内に変化のすべてを保有するッッッ
過去現在未来を問わず! 物質的なものであろうと精神的なものであろうと!
あらゆる経験、あらゆる事実を観取し、総合して理解しているッッ!

というものです。

この「世界包括的な理性/WAW2」こそが、個々人にとって「役に立つ」「有益だ」という以上の価値、「真理の意味全体」を得る者なのです。

私たちの生活はWAW2の存在を前提としている

そんな荒唐無稽な、トンデモな……と感じられるかもしれませんが、 ある観念が「真理」であるかどうかを検討する時、現に私たちはWAW2の存在を前提にしてしまっています。

例えば、「政府支出削減のせいで、日本は経済成長しなくなった」という観念。
これが間違いでないと証明するために、政府統計を調べてみたり、誰かの書いた記事や文献を読んで考えてみたりします。

WAW2は「この世の出来事すべてを包含」するのですから、政府統計も記事も文献も当然把握しています。

いろいろと調べたり読んだりすることはすなわち、WAW2に問い合わせることと言えます。
さらにWAW2は「あらゆる経験、あらゆる事実を総合して理解」している。調べたことに間違いがないか真剣に検討することは、自分の考えが「WAW2の理解と一致しているか?」を検討することと同義です。

「WAW2と自分の理解にズレがある」というのは、自分の調査・検討に穴がある、見落としがあることになります。

WAW2は、「すべてをお見通しのお天道様」のようなものとも言えますが、それ以上の存在です。私たち一人ひとりの心も言葉も行動も、無意識下の身体反応や健康状態なども、すべて我がものとして抱き取った上で理解しているのです。

WAW2は「変化と拡大」を続ける

WAW2は、あらゆる経験の集積、全真理の総体。
真理の所有者はWAW2であって、真の「成功」も真の「便益」もWAW2だけが理解可能。
WAW2こそが、変化と拡大を続ける「永遠真理」なのです。

そう、「変化と拡大を続ける」わけですから、WAW2は完全な存在ではありません。

私たちが「忠義」に行動する、すなわちそれぞれの「義」のために役立つ「真理」を追究することは、WAW2すなわち「永遠真理」の成長に寄与するのです。

もちろん、「忠義」とて人のすることですから、間違いはあります。また、人間は個人的欲望と愚鈍さから逃れることは極めて困難。中世ヨーロッパの十字軍、アメリカの南北戦争、我が日本の大東亜戦争ですら…… 「忠義」でありつつも多くの残念な部分が含まれるものです。

とはいえそれでも、WAW2はそこにある「忠義」=「善」を正しく理解し、評価し、失敗の部分も含めて自らの「永遠真理」の体系の中にキッチリと収めてくれる。「忠義」であろうとする限り、完全な失敗にはなり得ない。

[忠義の定義 ACT4]!

そしてそんなWAW2すなわち「永遠真理」を「忠義」の人は信じている。意識していようとしていまいと、です。潜在的な敬神あるいは信仰とも言えます。

よって、忠義の最終定義は以下のものとなります。

[忠義の定義 ACT4]!
忠義とはッッ 永遠なるものを「信じる意志」!!
そして! その信念を行動で「表そうとする意志」だッッッ!!

忠義と「悪」

一方で、WAW2は「あらゆる経験の集積」でもありますから、この世の「悪」をもたっぷりと自らの内に組み込んでいる。

ここで言う「悪」とは単に道徳的なもののみならず、苦痛、寒冷、酷暑、疾病、飢餓、虚偽、犯罪、外敵、死……といったものも含みます。人間の歴史はこういう「悪」を消し去り、克服しようという努力の歴史でもあります。

「悪」がもたらす敗北や喪失は、「忠義」を鍛え、より高いレベルへ引き上げるチャンスです。

「悪」による試練がなければ、忠義はどうなるでしょう? 

忠義にとって、究極の「義」とはWAW2そのもの。
そして、WAW2にとっての最高善は「忠義」の善です。

どのような「悪」であろうと、WAW2の真理体系――「善」の内に組み込まれ得ます。
私たちがそれぞれ「悪」に直面して、「忠義」の努力を続ける限り。

「この素晴らしき世界」のために

「人類忠義の拡大」「あらゆる忠義の人生の調和、理想的統合」という困難極まりない「本義」を意識しつつ、それぞれ「忠義」に生きるならば、

私たち一人ひとりに、WAW2の真理体系における居場所がある!
他の誰もなし得ぬ行動、自分自身の意思が与えられる!

時に孤独に悩むことがあろうとも、WAW2の中で私たちは一つに結びついていると言えます。

そんな私たちに「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド(この素晴らしき世界/WAW2/万物を統一的に見る世界包括的な理性)は語りかけます。

「私は常に君たちと共にいる。世の終わりまで共にある」と。

その声が聞こえるように、真に「忠義」な心で生きていきたいものです。
家族のため、地域のため、そして 「国民誰もが豊かに安全に仲良く暮らせて、外国にへーこらせずにすむ日本」に近づくため。
そしてそれを通じて「この素晴らしき世界」のために。

Subscribe
Notify of

0 Comments
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments
当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x