今年は上級国民という言葉が、流行語大賞にまでノミネートされたようです。池袋高齢者暴走事故では、加害者が逮捕されない理由として「上級国民だからではないか?」とささやかれました。
下級国民、上級国民という言葉はネットで、普通に使用されます。それぞれに、きっちりとした定義があるわけではありません。
しかし「定義がないこと」と「その現象があること」に関連性はありません。様々な角度から「上級国民とは?」「下級国民とは?」を見ていきたいと思います。
上級国民は逮捕されない?
池袋高齢者暴走事故では、加害者男性が高齢ということもあり逮捕されませんでした。加害者男性はもと国家公務員でした。それ故に「上級国民への、忖度が働いたのではないか?」との推測も流れました。
【上級国民は逮捕されないのが現実】池袋暴走事故で逮捕されない理由と高齢者運転の問題点を解説!! | アトム市川船橋法律事務所弁護士法人 本部によれば、弁護士の中では「いわゆる上級国民と言われる層は、逮捕されにくい」というのは事実なのだそうです。
逮捕の要件とは、以下の3つです。
- 犯罪の疑義がある
- 逃亡の恐れがある
- 証拠隠滅の恐れがある
上級国民として想定できる層は、社会的信用や地位があり、家庭があり、それらを放り出して逃げ出すことはまずないと考えられる人たちです。
また池袋高齢者暴走事故の場合、加害者男性も怪我して入院していました。よって証拠隠滅の恐れないと判断されたのでしょう。
地位や資産があるからこそ、逮捕されにくいというのは事実のようです。
下級国民と上級国民の断絶と階級論
階級論と言えばマルクスです。ブルジョワジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)の階級論を、唱えました。
しかしマルクス以前にも、階級論は存在しています。自由主義陣営の階級論を、共産主義に置き換えたのがマルクスとすら言えます。
マルクス以前の階級論は「略奪階級」「生産階級」の2つに別れます。
現代で言えば「国家権力を支配するエリート層と、それに準ずる者たち」と「国家権力の支配を受ける側の一般庶民」と言えるでしょう。
具体的には「レントシーキングする大企業と政治家」と「レントシーキングされる一般国民」という構図です。
経済格差の広がりは、上級国民・下級国民感の文化の断絶も意味します。上級国民とか旧国民は、異なる日本を生きているのです。
2つの日本国民が出現した
産業革命当時のイギリスも、現在の日本よりさらに格差が拡大していました。イギリスも「2つの国民」が存在したのです。
そして日本にも、文化的・景色的に断絶した「2つの国民」が姿を表しつつあります。
例えば世界を股にかけるグローバルエリートに、スラム街の住人の気持ちが理解できるでしょうか? 文化・景色の断絶とは、このようなことです。
かつて竹中平蔵は、テレビ番組で「貧乏になる自由がある」とまで言い放ちました。彼にとって貧乏とは「なりたければ、なればいい」というものなのです。
低所得層の中にどれだけ「低所得になりたいからなった人」がいるのでしょう。これが「文化・景色の断絶」と私が表現するものです。
上級国民と下級国民の定義
様々な社会現象から、上級国民とはどんなものか? を掘り起こしてきました。
- 法律を決める側、もしくはそれに準じた地位ないし利権関係にある
政治家、官僚、レントシーカーやロビイスト、経団連や民間議員、それに連なるエリート層の社員etc…… - 確固たる社会的地位を持ち、生活不安のない人々
- 低所得層の低所得を「自己責任」と考える人々
上記のように、定義できるのではないか? と考えます。
逆説的に下級国民の定義とは、上級国民の逆です。
- 国家権力などの決定に参加できない、被支配層
※もちろん民主主義国家なので、主権は存在します。しかし「君の食料は存在する。ほらここに一欠片のチョコレートがあるじゃないか」と言われて、誰が納得するでしょう。 - 社会的地位は不安定で、生活不安も抱えている人々
- 低所得であることに、ある種の諦めや諦観を抱く人々。故に高所得層に対して、ルサンチマンも抱きやすい
この断絶の解決に必要なのはなんでしょう? 格差縮小のためには、MMT的積極財政や社会福祉の充実、再分配の強化などが必要です。
日本社会は、その真逆に突き進んでいます。
日本で「1つの国民」を唱える政治家は出てくるのか? 半ば諦観を持ちつつ、見守りたいと思います。