丸山穂高議員が「(北方領土は)戦争しないとどうしようもない」という発言で、方々から責められているようです。
維新は除名になり、自公からけん責決議を出され、議員を辞めるべきだ! という声も多いようです。
最初に結論だけ書きますが、丸山穂高議員の発言はずれていて現実的ではなく、考えが浅いものの、マスメディアや政治家の批判もずれています。
どちらも認知不協和といえます。
その理由にさっと触れながら、北方領土問題を含めた国際政治の現実を、解説していきたいと思います。
丸山議員「北方領土は戦争しないとどうしようもない」発言の短絡さ
現状の日本の実態をまずは、把握しておきます。
- 憲法上、個別自衛権しか行使できないことになっている
- 自衛隊は米軍が来るまでのつなぎ。継戦能力に乏しい
- そもそも、自衛隊には敵基地攻撃能力が乏しい
- 軍事力を背景とした外交は、展開できない
- ロシアは核保有国なので、日本は戦端を開けない
すごく簡単に申し上げますと、丸山穂高議員の「北方領土は戦争しないとどうしようもない」は間違っていて、「戦争しようが、しまいがどうしようもない」のが現状です。
ゆえに外交方針としては、安倍政権以前の「棚上げ・平行線外交」が正解でした。
棚上げ外交については、詳しくは丸山穂高議員の 北方領土戦争発言と平和主義日本の反応は、どちらもずれてるにてご覧ください。
仮に日本が、軍事力で北方領土奪還に挑んだら
憲法9条で個別自衛権以外は禁止されている、というのが政府見解です。
……おかしいな? 北方領土は日本固有の領土なのでしょう? ならば、領土を守るために個別自衛権は発動できないのか? という疑問はわきに置きましょう。
憲法9条もわきに置き、平和主義政治や世論もすっ飛ばし、「仮に日本が軍事力で北方領土奪還に挑んだら」を想定してみます。
その場合、ロシアは北方領土周辺に軍事力を展開し、軍事力に裏打ちされた「遺憾の意」を表明します。
当然、中国や韓国、北朝鮮はロシアに協力的になります。中国などは「侵略国家日本がよみがえった!」とかなんとか言って、沖縄周辺に軍事力を展開するかもしれません。
一方でアメリカ軍は助けに来てくれるか? 来るわけがない。日米安全保障条約では「日本の施政下にある場所」が侵略された場合のみ、アメリカ軍が動くことになってます。
したがって北方領土や竹島でアメリカ軍が動くことは”あり得ない”のです。
※ちなみに――仮に中国が沖縄へ侵攻して、沖縄が日本の”施政下”から離れると、日米安保は発動しません。
ロシアはあの通りの国家ですから、これ幸いと北海道まで手中に収めようとするかもしれません。
端的にいって、北方領土を奪還せんと出撃したら、逆にぼこぼこにされて状況は悪くなります。
なぜか? 自衛隊には継戦能力が乏しいからです。
ゆえに丸山穂高議員の発言は間違っていて、本当は「戦争しようがどうしようが、北方領土は返ってこない」のが現状です。
北方領土棚上げ外交の正しさ
安倍政権は無駄なリーダーシップを発揮して、解決主義で北方領土外交を始めてしまいました。結果は無残に終わることでしょう。
後世の歴史家は、安倍晋三総理を「日本の領土を売り渡した、無能な売国奴」と断じるかもしれません。
端的に申し上げれば、軍事力なき外交は意味がありません。よって現在、北方領土外交がうまくいくことは、奇跡でも起きない限りあり得ないのです。
国際政治的には、安倍政権以前の「棚上げ、平行線」が一番無難かつ大正解だったのです。
解決できないなら、先延ばしにして機をうかがうというのも、立派な外交戦略の1つです。
どうして誰も、丸山穂高議員に「戦争すれば、余計に状況が悪くなるだけ」と批判しないのか?
戦争は政治の選択肢の1つにしかすぎません。
ん? 戦争で多くの命が失われるって? すでに緊縮財政とデフレで、十数万人以上の命が失われているじゃないですか。
※1998年からデフレに陥り、自殺者は1万人増加した。
政治とは「間違えば人が死ぬ」のです。
丸山穂高議員の間違いは「戦争を仕掛けても、状況が悪くなるだけ」が見えていないことです。
しからば、丸山穂高議員への批判も「戦争を仕掛けても、状況が悪くなるだけだろ! 何を考えているんだ!」という批判がまっとうでしょう。
ところが報道を見ておりますと、どうも上記のような批判は見かけません。
これは暗に、「戦争という手段を、政治は封印するべきだ」という前提条件のもとに、メディアや政治家たちが言説を展開している、としか思えないのです。
しかも丸山穂高議員の「戦争」発言 ロシア大使館「両国関係に影響なし」 – ライブドアニュースと流れているように、ロシアは「一議員のいったことでしょ? 影響? しない」としているのに、与党はけん責決議を出している。
まさに我が国は平身低頭、といった感じです。
外交は政府の専権事項なので、本当は「野党の一議員がいっていることで、政府には関係ない」と日本が発言しなければなりませんでした。
日本の戦後レジームは、現在に極まれり
安倍政権は「戦後レジームからの脱却!」と、勇ましくスローガンを掲げましたが、本当は「戦後レジームの強化!」になっていたのは、今回の日本のロシアへの対応を見ても明らか。
戦後レジームとはなにか? ずばり平和”主義”であり、政治の一手段としての戦争の否定です。
※誤解のないように言っておきますが、私も戦争は嫌いです。でも大切な人が絡まれてたり、家に土足で入られたら、普通は喧嘩するでしょ?
平和”主義”とは平和な状態こそが至上命題です。とすれば、平身低頭であれ隷従であれ、戦争さえ起きなければ、平和は達成されるのです。
したがって丸山穂高議員の「戦争発言」はとんでもないことだ! と政治家やマスメディア総出で非難するわけです。
※書きました通り、丸山穂高議員が正しいとも書いていません。
戦争は日本において「議論すること、選択肢として示すことすらまかりならん!」というわけ。これが認知不協和でなくて、なんなのでしょう?
戦後レジームの認知不協和、ここに極まる! のです。
丸山議員の発言とは関係なく、国家間の領土問題が基本的に戦争以外の手段で解決される事はほぼ無い、という人類史的常識すら、発言すると危険人物扱いされる風潮を感じるのが、我が国の世論に対する率直な心象です。
事象の羅列ではなく、ひとつながりの物語として人類史を語る視点が必要なのだと思います。その主観が、日本列島に産まれ、生き、そして死ぬ、日本人としての物であるべきなのは無論です。
自分自身が人類史という物語の登場人物である事を自覚すれば「これまでのあらすじ」という宿命を無視した、突発的かつオリジナリティ溢れる(笑)アドリブをかます事など出来ない筈なんですけどね。論理能力があるならば尚更。
つか上記のような話を、社会を維持する為の求心力として庶民に要求する近代民主主義って、なんかもうホント面倒臭い(笑)。
主権者が持つ権利ってのも、私の解釈からすると、結局のところ社会的義務を履行する権利なので、世の中の大部分は権利の意味を取り違えてると感じます。
帰属する共同体の持続的発展に自分に課せられた社会的な義務感を抱かない向きは、最早おなじ種族ですらない気がしますね。
尤も、共同体への帰属意識こそが「これまでのあらすじ」を引き受けている証明なので…、なんか堂々巡りになってますね。夜勤明けのテンション、失礼しました。
おっしゃる通りで、歴史は非常に重要だなぁ……と思います。
>日本列島に産まれ、生き、そして死ぬ、日本人としての物であるべきなのは無論です。
私はどうやって、何をやって死のうか? 考えずにいられません。死に様はろくでもなさそうですが(笑)
誠に仰る通り。政治家、財界人や言論文化人から一般庶民に至るまでの現代日本国民の大多数は、右も左も、悪しき戦後平和主義、すなわち、「自主独立の気概を完全に忘れた対米従属奴隷根性(似非保守)」あるいは「主権や国土防衛のための現実認識が完全に欠如したお花畑平和ボケ思考(護憲左翼))」のいずれかが骨の髄まで染みついているようです。
丸山穂高による例の「戦争云々」のアホ発言に対しては、みんな異口同音に批判するけれども、問題は、その批判スタイルが単に「戦争という禁句を持ち出したことはけしからん!」といった小中学生の感想レベルの実に幼稚極まりないものだということにあります。そこには、戦争という最悪の事態を避けつつ、どうすれば自国の主権と領土を守り(あるいは奪還し)、自国民の安全保障を確保できるか?そのための外交戦略はいかにあるべきか?というリアリズム思考が全く欠如しています。
こうした思考パターンは、「(核兵器の廃絶など現実的には不可能であるのに)単にヒロシマ・ナガサキの被爆体験の悲惨さえ訴え続ければ核はなくせる!」と訴える反核平和運動とか、「(将来を見据えた総合的なエネルギー安全保障の在り方など眼中になく)ただ原発事故は恐ろしいから、とにかく原発の稼働には全部反対!」と訴える反原発運動と全く共通しています。
戦前の国民精神を全面肯定するつもりは毛頭ありませんが、しかし、戦後民主主義ないし平和主義がもたらした、あたかも”お花畑を散策する白痴の集団”のごとき極めて幼稚な現代日本国民の精神も、これまた唾棄すべきものだといえます。
おっしゃる通り。平和は大変ありがたいのですが、隷従までしたいとは思わないですよね。
現実主義というより、実践主義が必要なように思います。