読みやすさ抜群の名作政治コメディ『昔も今も』|マキアヴェリ『君主論』誕生秘話?

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読書の秋到来! ということで今回はおすすめの小説をご紹介。

『昔も今も』(サマセット・モーム著 天野隆司訳 ちくま文庫)です。
政治論として有名な『君主論』の著者ニッコロ・マキアヴェリとイタリア乱世の梟雄チェーザレ・ボルジアを主役に据えた歴史・政治コメディ。

マキアヴェリは『君主論』の中でチェーザレを理想の君主としており、彼との出会いが同作の執筆に大きな影響を与えたと思われます。そんな二人の交流をコミカルにかつ鋭く描いたのが本作。会話の面白さを楽しめるように工夫された翻訳で、読みやすさ抜群、人間や政治についての金言もふんだんに楽しめます。

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物語の時代背景

16世紀初めのイタリア。
日本では室町幕府の体制が弱体化して、群雄割拠・下剋上の戦国時代へ突入したころですね。織田信長も豊臣秀吉もまだ生まれていませんが。
当時のイタリアは小国分裂状態で、フランスやスペインといった統一された強国の圧迫を受けています。

主人公マキアヴェリの属するフィレンツェ共和国も御多分にもれず、というところ。
商人国家で金儲けはうまいのですが、軍隊が弱く、困ったことがある度に傭兵やフランスの援軍に頼ります。
金で解決!と考えるものの、足下を見られてしまうのが常という有様なわけですね。

そんな状況にさっそうと現れたのが、公爵チェーザレ・ボルジア。
名門貴族としての富と軍事力、実父であるローマ教皇アレクサンデル6世の権威を背景に、何よりも自らの権謀術数をもってイタリア統一の大望を抱く。

その彼が大望実現の一環として、フィレンツェに同盟(という名のカネと兵力の供与)を求めて来ます。

主要人物紹介

ニッコロ・マキアヴェリ

33歳、男。タテマエを排した冷徹な政治学の書『君主論』の著者として有名ですが、それは後々のこと。『昔も今も』の中では、フィレンツェ共和国における中堅どころの外交官です。

才能は抜群ですが出世は遅々として進まず、いつホサ官(干された官僚)になるかわからないという立場。

新婚ですが、女好きには歯止めなし。
当意即妙、抱腹絶倒のトーク力、絶対貫徹の情熱と機智を武器に、狙った女は逃さない。
ただし、イケメンではない

チェーザレ・ボルジア

27歳、男。教皇を父に持つ、ヴァレンティーノ公爵にしてローマ教会軍総司令官

イタリア統一の大望の下、権謀術数自由自在、他の権力者に対しては利用できる限り利用し、用済みとなれば冷酷に処断する。一方で庶民には気前よく、善政を心掛けています。

フランス等の大国の力を利用しつつも干渉を防ぎ、いかに自らの大望を進めるかが目下の課題。

少々短気ではあるものの、政治家としての器量はもちろん武人としても一流で、おまけにルックスも超イケメンです。

メイン・ストーリー(第一の筋立て)

破竹の勢いのチェーザレに、明日は我が身と危惧を抱いた各地の小領主(兼傭兵隊長)たちは密かに結託、彼を亡き者にしようとたくらみ、フィレンツェ共和国に協力を求めます。

チェーザレはそれをすぐさま察知、こちらもフィレンツェに兵の提供と同盟条約締結を求める。(断ればフィレンツェ攻略は必至

困ったフィレンツェ政府(シニョリーア)は、才能はあるが権限はない中堅どころの外交官、マキアヴェリの派遣を決定。兵や金を出すことも条約を結ぶこともなく、チェーザレをなだめて内情を探るのが目的です。

そんなわけでマキアヴェリは親戚の青年ピエロをお供に、チェーザレのいるイーモラ市へ向かうことに。日々移り変わる情勢の中、マキアヴェリとチェーザレによる「言葉の戦い」が火花を散らせます。

サブ・ストーリー(第二の筋立て)

マキアヴェリはイーモラ市での滞在中、親戚の豪商バルトロメオを頼ります。そこで出会ったのが彼の若妻アウレリア。「乙女の清純さと熟れた女の豊かさとが、不思議な結合作用を起こして、言うに言われぬ魅力」(p.72)の彼女にマキアヴェリはすっかり参ってしまう。

大した美人がいるもんだ(中略)こいつはなんとしても、同衾させてもらわねばならん

『昔も今も』p.73

そう決心したマキアヴェリは密かに悪知恵をめぐらせます。

メイン進行|『君主論』のエッセンス

物語は、この第一と第二の筋が同時に進行していきます。

第一の方では、公爵チェーザレとマキアヴェリのやり取りが実に面白い。
『君主論』のエッセンスが、綱渡りの政治状況とリンクした会話で楽しめます。
例えば……

「あなたほど聡明な男が生涯、下級官吏に甘んじて生きるとは、なんともわたしの理解を超えているね」と公爵が言った。
「過大にもよらず、過小にもよらず、何事も中庸であることが叡智の核心である、とアリストテレスに教えられております」
「だが考えられん、あなたには野心というものがないのか?」
「とんでもございません、閣下」とマキアヴェリはにっこり笑った。「おのれの最善の力をもって共和国に奉仕することこそ、わたくしの野心でございます」
「だが、それこそ、あなたに禁じられていることではないか。共和国体制においては、能力ある者はつねに疑いの眼をもって見られる。だから要職につける者は、同僚の嫉妬の対象にならないぼんくらにかぎる。それが民主主義国家というもんだよ。能力抜群の人物ではなく、誰にも、警戒も心配もされないお人好しが統治するんだ。あなたはご存じか、民主主義国家をむしばむ病根がなんであるか?」
 公爵はマキアヴェリの顔をじっと見つめた。答えを待っているようだったが、マキアヴェリは何も口にしなかった。
「嫉妬と恐怖だよ。民主国家のケチな官僚どもは同僚を嫉妬する。仲間の誰かが名声を得ようものなら、連中はそいつの足をひっぱって、国家の安全や繁栄を左右するような政策の実行を邪魔してくる。

同 p.268-269

16世紀イタリアどころか、現代世界、今の日本のことですか? と思ってしまいます。
国を思う心強く、しかも能力抜群の人物が、出世もできず能力も発揮できない……。何人もの顔と名前が思い浮かびますね。こういう会話や述懐がちりばめられていて、現代政治に倦んだ心にしみいります

サブ進行|下半身と併せて一個の人間

一方で第二の筋、真面目な政治のすぐ後に、マキアヴェリ下半身の陰謀も突っ走ります。
人並外れた頭脳でもって、夫のバルトロメオを傷つけるどころか歓喜させ、アウレリアを一晩ものにする計略を思いつく。
そしてマキアヴェリは激務の合間を縫って、一手また一手と願望成就のコマを進める。

そんなハンパな気持ちで国家外交の重責が務まるのか! とか言われそうですが、彼曰く

「恋の火遊びはおれにとって、心身をすりへらす政治活動からしばし解放される憂さ晴らし、言わば活力の源泉なんだ」

同 p.93

現代においては下半身をはじめ、私的な「やらかし」で優れた人物が社会的な地位を失うことがよくありますが、それは社会全体にとって大きな損失となる場合も多いのではないかと思います。憂さ晴らしを提供するサーカス/見世物に過ぎないのではないかと。特に政治家や官僚の場合、国家・国民のためになる仕事をしている限り、法に違反しない私的な悪徳は大目に見るべきと思います。

ともあれ、恋の行方(不倫ですが…)に一喜一憂、得意になったり落ち込んだりのマキアヴェリはある種かわいらしいほど人間味にあふれています。冷徹な『君主論』の著者とは真逆のイメージですが、リアルな現実と向き合う人間はこういうものでしょうし、ウィキなどを見ると実際にマキアヴェリは放蕩男で人生を楽しむタイプだったようです。

マキアヴェリは、フィレンツェ共和国に忠誠をつくす勤勉かつ良心的な官僚であるだけでなく、同時に、当たり前の人間として肉体の欲求に身を焦がす一個の生身の男でもあった。

同 p.133

終わりに

そろそろ長くなってきたのでこの辺で。図書館で借りて読んでみるか、という場合には↓のサイトが便利です。最寄りの図書館に置いてなくても、大抵はよその図書館からの取り寄せが可能です。

カーリル『昔も今も』

本書の難点といえば領主たちの人名が覚えにくい!というところですが、大抵はチェーザレにしてやられる連中です。『三国志』で言えば、孔明の策にやられる武将たちのようなもので、覚えなくとも読み進められます。秋の夜長に『昔も今も』変わらぬ人間の物語をお楽しみいただければ幸いです。

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