「将来世代にツケを残すな!」、「返済しなくてよい負債」などなど考えてきましたが、負債なのに返済しなくていい?、など色んな言葉が飛び交い今までの常識とはちがって何を信じてよいのかわからなくなってきます。
負債や赤字についても、政府の赤字はあたりまえ、というびっくりするセリフも見聞きします。
赤字は悪いはずのものなのに、なぜそれが当たり前なのでしょう。
なにがなんだかわからなくなる。
ならいっそ真逆に考えてみたら、新しい視点を得られるかもしれません。
考えるだけなら自由にあれこれ想像してもよいのですから。
ではなんの逆を考えてみればいいのか。
それは「将来世代にツケを残すな!」の逆、「将来世代にツケを残せ!」を考えてみます。
『ツケは残さない方がよい?』
将来世代にツケを残すには、どうしたらよいのでしょう。
ツケってなにといえば、経済で言えば負債の事だといわれますね。
特に政府が予算をつけ財政出動しようとしたら、それが負債となり積み上がり将来世代の負担になる。
つまり、通貨というお金を作りそれを使おうとしたら、将来世代が苦しむ。
だから財政は控えめに、そしてお金を使う事も控えるような税がよいとなる。
そう考えたら、将来世代にはツケ(負債)は残さない方がよいのでしょうか?
そもそも通貨を発行し使ったら財政は赤字になり、ツケ(負債)を残すことで負担になると言いますが、その負担っていったいなんなのでしょう?
『税に紐づけられたツケの負担』
通貨を発行し負債というツケを負ったら、それを返すために税を払わなくてはいけなくなると言われます。
自分だけ自分の金だけという視点で見たら、税を払うとはせっかく稼いだ自分の金を取られるようなものです。
そういう風に見たら、そんな負担を将来世代に残さない方がいいと映ります。
ところで、税をまっとうに払うには何が必要でしょう? 通貨というお金ですね。
財布にお金がなければ、払いたくても払えません。
では、通貨を得るには何が必要なのでしょう? 所得給料を手に入れることです。
所得給料を得るには何をするのか? 働いて物やサービスを作る。
そして作った物を同じ通貨、つまり「日本円」を持つ人(日本円をもつ大半は今は同じ国民ですね)に渡し対価として所得を得る。
それらを将来世代「全員」がやるとなったらどうなるのか。
「自分」が税を払うためには働いて作った物サービスを同じ国民の「あなた」に渡し所得給料を得ないといけない。
「あなた」も税を払うためには、あなたが作った物を「自分」(もしくは国民のだれか)に渡さないと税を払えない、払えなくなっていく。
こんな関係が自分とあなただけでなく全員に紡がれていく。
それは自分の金利益にならなくても物やサービスを作り、作った物をお互いに渡し合っているのと同じなのではないでしょうか。
つまりツケという負債を残したら、将来世代は働き物やサービスを作り、それをお互いに譲り合わなくてはいけなくなる、助け合わないといけなくなる。
それが、まっとうな税に紐づけられたツケ(通貨)の負担なのではないでしょうか。
では逆に「ツケを残すな」、という言葉は何を語りどんなメッセージを残しているのでしょう。
『善意で、独りよがりで、呪いの言葉』
「将来世代にツケを残すな!」とは将来世代に、「譲り合うな」、「助け合うな」、「自分の事だけ、自分の金だけを考えていろ!」ということを知らないうちに勧めているのではないでしょうか。
自分の金を増やすために、他人の金を競走で奪え、競争を激しくしろ!
自分が勝ち組なるには、誰かを負け組にしろ!、
勝ち組で居続ける為には、負け組という貧乏人を増やせ!
他人の脚をひっぱり引きずりおろして、踏み台にしてのし上がれ!
将来世代にとって助け合うことは負担という重荷で嫌なものなんだから、そんな事をさせるなと言っている。
弱者の視点からは、人を見たら金、給料、仕事を奪われる泥棒と思え。
強者の視点からは、人を見たら金、給料、仕事を奪える美味しい獲物だと思え。
将来世代にツケを残すな!、とはそういう社会にしていきましょうと言っているのと同じなのではないのか。
それは善意から出た言葉だと思います。
しかしそれが気づかないうちにひとりよがりになっていて、その善意だったのが巡り巡って呪われた言葉になり私達に返ってきているのかもしれません