『個人の負債と政府の負債』
借りたものは返さないといけない、というのは個人の考えで政府においてはそれは成り立たないという意見を聞きます。
確かに個人の見方と一歩引いて見た視点とでは、がらりと変わることはあります。
それは「誰かの負債は、誰かの資産」においても同じなのでしょうか。
『負債はイヤなもの?』
負債という単語に「負」とあるように、それは負担とか重荷を負うとかマイナスのイメージがありますね。
嫌なものだったりいわゆる借金だと。
だから、減らした方がよいだったりなくした方がよい、そもそも負債なんて作らないのが一番だと。
しかし、「誰かの負債は、誰かの資産」はそんな嫌な負債がなぜか資産と同じだといっている。
負債というマイナスが、なぜ資産というプラスと同じなのか。
なぜ同じ価値を持つのでしょうか。
そこをつらつらと考えてみました。
『返す方法は?』
負債という負担を負ったら、その負債を返すためには普通何をしたらよいでしょう?
お金を返すことですね。
ではそのお金を手に入れるためには、何をしたらよいのか。
働いて何かしら物を作ることが、必要ではないでしょうか。
働いて所得や給料を得る。
所得を得られたとは、相手の欲しい物、需要を満たす物を作ることができ、相手はそれに対してお金を支払ってくれたということ。
そしてその所得からお金として返す、という流れがある。
何かしら物を作り売り買いをする、を言いかえると新たな価値を生み出すということ。
そこに物作りが関わってくる。
そしてその新たに生み出した価値を(実際はお金に変換しますが)相手に渡す、つまり返す。
相手は価値あるものを受け取る。
だからこそ、相手からしたら負債は資産と同じといえるのではないのか。
最終的にお金という形で返すとしても、その過程で誰かの欲しい物必要な物、需要を満たす物を作り売り買いし作り新しい価値を生み出すという働きを経た、もしくはそう約束するからこそ、そのお金(負債)は「私達」にとって価値(資産)を持つと言えるのではないでしょうか。
『「返済しなくてよい負債」って金の事?』
返済しなくてよい負債だったらどうなるのか。
返さなくてよいのにわざわざ働いて物を作りますか? それを相手に返しますか?
返すとは「自分」にとっては利益はゼロなのですから、得られるものはない。
それを、好んで行う人はあまりいないと思います。
物を作っても単に返してしまったら、「自分の利益」になりません。
なら返さずそれをよそ様に売った方が、自分の金になります。
一個人でみたら貯金なり財産なりがあれば、わざわざ働かなくてもそれを使って返せばよいでしょう。
働いて物を作って所得を得た証が、貯金や財産なのだから。
経済でいえば、デフレという物余りならならば、同じように貯蓄が過剰にあるようなものなので、それを使えばよいでしょう。
デフレで物余りだ。
じゃあ金を発行したら、それを使って余っている物を買えばいいじゃない。
それで金が回り経済は良くなるのだ、と。
それはその通りだと思います。
でもデフレを抜け出して、インフレになったら?
デフレが物(供給)余りなら、インフレは金(需要)余りといえます。
そんなときに新たな金を発行して、それがまともに使える金(需要)になるのでしょうか?
「返済しなくてよい負債=金(通貨)」はインフレの時にも言えるのでしょうか?
金余りでだぶついてまともに使えない金。
金余りということは物不足で物の値段があがっていく。
そして、返済しなくてよいのだから物を作ることも保証しない。
物不足なのをそれを補おうとしない金。
お金(需要)としても役に立たず、物作り(供給)も約束しない。
それになんの価値があるのでしょう。
『負債の値打ち』
返すことを通じて、負債は新たな物を新たな価値を作る、そしてそれを「相手に渡す(返す)」ことを義務として負う。
約束といってもよいかもしれません。
自分だけで考えたら負債を負うとはマイナスです、嫌なものです。
しかし、それを返す(受け取る)相手まで含めて考えると、違って見えるようにならないでしょうか。
負債を負ったなら、それを「まっとうに返す」ためには、その負債と同額(以上)の物を作る新たな価値を生み出そうとする。
そしてそれを相手に渡す、つまり返すと約束するからこそ、負債というマイナスが資産というプラスと同じ価値を持つ。
負債を返すというと、お金を返すイメージが浮かびます。
それを言い換えるなら、負債を「まっとうに返す」とは新たな価値を作り相手に渡す、とも言えるのではないでしょうか。
『空っぽの金』
負債を物作りとお金、自分と相手といった関係まで含めて「誰かの負債は、誰かの資産」といえるのではないのか。
返済しなくてよい負債は、そもそも返す相手がいない。
文字通り返すことが考えに入っていない。
自分から借りて自分に返すとは、債務者(負う者返す者)はいるけど債権者(受け取る者)は必要ないと言っているように聞こえる。
自分だけという考え。
そして、債権者がいなければ実質債務者もいない。
だから負担にならない、政府が発行する通貨という金は誰の負担にも負債にもならない不思議な金だと。
それは「誰のものでもない負担は、誰のものでもない資産」なのではないでしょうか。
いえだからこそ、政府に通貨という負債を負わせることができたなら、逆に国民は資産を手に入れることができると言えるのでしょうか。
でもその負債は、返済しなくてよいという誰の負担もないのですよね。
なら国民が手に入れることができるのは、ガワだけは立派だけれでも「中身のない空っぽの資産」ではないでしょうか。
自分から借りて自分に返すというのは、最初から最後まで自分一人しか見ていない。
個という視点のみ。
それは自分で得た金は自分だけのもの。
誰にも渡さない! 取られてたまるか! 政府に税で奪われてたまるか! 税をなくせ!壊せ!
政府が作った金は政府のものだ、誰にも渡さない、自分(政府)の物だ! 国民なんかには財政出動をして俺(政府)の金は渡さない!
国民から俺(政府)の金を「今」すぐに増税重税で全ての金を奪い返せ! 国民の給料のための金が無くなる? そんなこと俺(政府)の知ったことか!
その考えは税が暴走するか、全否定しだすのではないでしょうか。
『税の暴走』
自分で得た通貨は自分だけの金、というのなら働いて自分のものにした金を、税で政府の奪われるのは不当です。
そんな不当な税は政府の自作自演、マッチポンプ、国民に金をたかってるだけ、いらないものとして映るようになる。
税をなくせと政府に自分の金を奪われまいとするようになる。
負け組に押し付け自分の金をたくさん手に入れようとするようになる。
逆に、通貨は政府が作ったのならそれは政府のものだといえる。
それをわざわざ他人(国民)に分け与える必要はないではないでしょうか。
それは、財政を減らせとなる。
間違って国民に渡してしまった通貨を、奪い返さないといけなくなる。
それが政府のやるべきこととなり、財政を減らし増税を繰り返し通貨を国民から奪い返すことがよい事となる。
だから増税をしてまた増税をしてさらにもっと増税をすればいいんだ!
財政のために経済のために、それが私達国民の為になる経済が良くなる為だと、1回目で消費税は3%になりました、2回目で消費税は5%に、3回目で8%、4回目で10%に。
しかし、消費税10%にしても効果が薄れてきた。
なら5回目6回目7回目と消費税を増幅し、20%40%100%にすればいい。
いや消費税だけじゃなく、なんでもいいから増税しろ。
それでも足りなければ、もっともっと増税をすればいいんだ!、と増税が止められなくなっていくのかもしれません。