誰かの負債は誰かの資産、誰かの赤字は誰かの黒字。
最近この言葉をちょくちょくみられるようになりました。
誰かが資産を得るとは、その裏側で誰かが負債を負っているからだと。
誰かがお金を支払うからこそ、誰かがお金を得ることができる、というような内容です。
そしてもう一つ聞く言葉があります。
「返済しなくてよい負債」です。
負債と聞いたら返済するもの返すものだ、と思うのが普通です。
しかし、この言葉はそんな普通の考えとは違うといっている。
これは本当なのでしょうか?
返済しなくてよい負債とはいったいなんなのでしょう? どこから返済しなくてよい負債という考えがでてきたのでしょう?
『返済しなくてよい負債が出てきた考え方1 ~国の負債は増え続けている~』
国の負債は増え続けている。
だから負債は返していない。
増え続けるものだ、という考えがあります。
増え続けているんだから返していない、といわれるとなるほどなと思いますね。
たしかに調べてみると、増減はありつつも増えています。
ならやっぱり返済していない、しなくてよい負債と言えるのでしょうか。
ところで会社や企業のHPに行くと、その会社の歴史や業績などが書かれてるページがあったりします。
そこに資産や負債の一覧を見ることができます。
そこで、きちんと成長している会社の負債を見ると、負債は増えている。
年によっては減ったりしてますが、もっと長い期間や創業から見てみたら増えているのではないでしょうか。
つまり、その会社は負債を返していない、ということなのか?
そんな会社があるのでしょうか?
それとも会社の負債と政府の負債は違うのか?
『返済しなくてよい負債がでてきた考え方2 ~自分で借りて自分に返す~』
通貨というお金についていろいろ調べていくと、政府(日銀含む)には通貨を発行する権利がある。
だから通貨という負債は「自分(政府)で自分(政府)に貸しているだけ」、それは返済する必要がない特殊な負債なんだと。
だから財政問題はない、という考えがあります。
自国の通貨という金を発行できる。
その権利を政府が持っているのだから、自分が作れる金で自分の借金を返せなくなることはあり得ない。
だから破綻しない、いやすることはできない。
なるほどなと。
でもふと思いました。
それらが正しいとなると、インフレの時でも財政に何も問題はないことになるのではないのか?、と。
なぜなら、インフレの時にだって政府は通貨を自分で作ることができるのではないでしょうか。
インフレの時は、政府は日本円をまったく作っていないのか?
インフレ時に行う財政出動だって、政府が通貨を作り使う事に変わりないのではないでしょうか。
つまり、通貨を自分(政府)で作り自分(政府)に貸しているのと同じ事。
そうなると、デフレだろうがインフレだろうがいくらでも増やすことに問題はないし、逆にどれだけ減らそうが関係がないことになる。
それは通貨というお金が、インフレやデフレといった物価や財政と関係がなくなっていき、いうなればお金は中立となってしまわないでしょうか。
いくらでも財政を増やしても問題がないのだから、当然無税国家も成り立ちます。
どれだけ財政を減らしても問題がないなら、政府はどんどん小さくしても構わないともなります。
『顔のない見知らぬ誰か』
それとも政府が通貨を発行し使う事は、デフレの時は自分から借りて、インフレになった瞬間自分以外の見知らぬ誰かから借りるということになるのでしょうか。
では、見知らぬ誰かとは何者なのか?
政府は、見知った自分自身ということなので当然除かれます。
政府以外となると、国民や民間が考えられます。
国民や民間がもつお金を借りてそれを使うのだと。
しかし、そうなると財政出動の上限は国民や民間のもつ資産(貯金など)が限界ということになります。
つまり、国民が貯めた金以上には財政出動はできないということに。
それとももっと外、つまり外国から借りるということなのでしょうか。
外国の政府が発行した外貨を借りて使う、というのを勧めているでしょうか?
自分が作れる金(通貨)だからこそ、返せないという破綻はない。
だから、安心して通貨を発行して使えばよいということだったのに、そんな安心がある自分達の通貨を無視して外の金をわざわざ借りることを勧めるのでしょうか?
『返済しなくてよい負債がでてきた考え方3 ~デフレの時は財政出動は問題ない~』
デフレの間はどれだけ通貨を作り使う財政出動をしても、問題はない。
だから、デフレ脱却するために財政出動をどんどんやるんだ、とも聞いたことがあります。
それは逆にとらえると、インフレの時は問題がありえる事になる。
経済を成長させるのに、財政出動は大事だ。
そのために財政出動になんら問題がないデフレを脱して、なにかしら問題があるインフレにしよう!と言っているのか。
財政出動に問題がないデフレ、財政出動に問題があるインフレ。
さあどっちが良いですか? と聞かれたらどう答えればよいのか。
問題がないデフレの方がよさげ。
あれ? じゃあデフレ脱却ってなんのためにするの?、と。
いったいなんのためにデフレ脱却と言っているのかが、わからなくなってきます。
デフレを脱却しさえすれば、つまりインフレにさえすれば、一切の問題はなくなる、全ては解決する、貧困も会社の倒産も失業者もなくなる、地震や台風などの災害もおきないというのなら問題はないかもしれません。
しかし、もしインフレの時に災害が起こったら?
そんな時、通貨は「政府が自分から借りて自分に返す=返済しなくてよい負債」なのだからそのお金を使って助けてほしい、被害を受けたから助けてほしいと言われたらどうするのでしょう?
インフレの時の財政出動は、問題があるのですよね。
つまり、通貨を発行し使い助けることは問題がおきる。
だから助けません、もしくは全員は助けません見捨てる人を作ります、とでも言うのでしょうか。
デフレだから財政に問題がない、というのはデフレの時は助けるがインフレの時は助けない、自己責任と言っているのと同じなのではないのか。
だったら、デフレで居続けたほうがよいという考えが生まれる余地がでてくる。
デフレであり続けていたら、誰も負担を負わずにいくらでも財政出動して助けることができたのに、と。
いざというときに備え、財政の余力を残すためデフレで居続けよう。
そのために緊縮増税をし続けるのが良い、という事にもなってしまう。
問題がないから、負担がないから制約がないから財政出動を行うのかを決める。
考えるべきところは「そこ」なのでしょうか?
『返ってくる言葉』
これらの議論を見ているといくらでも、いくらでも通貨発行ができるなんて言っていない。
インフレという物価が許す限りだ! という言葉を聞きます。
確かに物価が高すぎになったときに、お金を発行したら余計に値段があがり財政出動通貨の発行はしずらくなる、とは考えられます。
しかしそうなると先に発した言葉が返ってきたときどうなるのでしょう。
それは、「自分で作った通貨を自分で借りて自分に返す、だから問題ない」=「返済しなくてよい負債」です。
これどこに行ったのか?
政府が自国の通貨を発行することは、自分から借りて自分に返すことだから問題ない。
それならインフレの時だって問題はないはずです。
やってることは同じ、自分(政府)から借りて自分(政府)に返すのですから。
インフレだろうがデフレだろうが、政府は自ら通貨を作り使ってきたのではないでしょうか。
それともインフレの時は他の誰かから借りる、つまり返済しなくてよい負債が突然返済する負債に変わるのか?……とさきに書いた問題にぶち当たります。
これはもう私達は出口のないトンネル、つまりループに嵌りこんでいるのかもしれません。
『返済しなくてよい負債はどこからやってきたのか』
なぜこんな混乱してくるのか。
そもそも返済しなくてよい負債という考えの元は、どこからやってきたのでしょう。
そこを考えていくと、実は返済しなくてよい負債が成り立つ様に見える場合があります。
いえ状況でしょうか。
それはデフレです。
デフレは物余りといわれます。
ならお金を発行しても、返済するためにわざわざ物を作る必要はない。
デフレで物が余っているのだから、改めて物を作らなくてもその金を使って余っている物や商品を買えばよいのですから。
お金を使えば消費になり、所得も増え経済も良くなるぞ、と。
そうデフレの時ならば、返済しなくてよい負債と言えるかもしれません。
しかし、デフレの時に成り立つとは裏を返せば、デフレを前提にしているのではないのか。
デフレであることが当たり前と考えているのではないでしょうか。
『デフレの掌の上で踊り続ける』
そうなると疑問もでてきます。
デフレを前提とした考えで、本当にデフレを脱却できるのか?、です。
いうなればこれは、デフレを脱却するのにあんた(デフレ)の力を貸してくれ、デフレさん。
と言っているようなものではないでしょうか。
そんなふうになると袋小路に迷い込み、通貨が返済しなくてよい負債であり続ける為には、デフレで居続けなくてはいけないという考えも生まれてくる。
『デフレ取りがデフレに~共犯~』
返済しなくてよい負債が正しいと考えるなら、かえってデフレを続けなくてはいけない、という考えに知らず知らず惹かれていくのではないでしょうか。
デフレを脱却してしまったら、返済しなくてよい負債と言いにくくなるのですから。
となると、まじめであるほどデフレが酷いときは財政出動だ!、と言っていた人がデフレ脱却まじかにいきなり増税だ! 財政を減らすのだ! と言い出してもおかしくありません。
というよりそうするのが当然です。
そうしないと、言ってることがさらにぐちゃぐちゃになります。
だから、そういう人を選びそういう政策を取ることがなんかしっくりくるようになっていく。
デフレ脱却まじかなときに財政を増やせ、と言っている事の方がおかしいとなってしまう。
『右も左も左も右も』
デフレ脱却と叫びながら左から増税だ財政を減らせとデフレの方へ進め、インフレにしろと言いながら右からは返済しなくてよい負債だ、そのためにデフレを続けなくてはいけないとデフレを暗に勧める。
こうして、左からも右からも周り全体から、デフレをし続けようとする空気が生まれていく。
その空気は、デフレ脱却が近くなればなるほど濃くなっていくのかもしれません。