生活保護は「恥」ではあるが、恥じるべきは誰なのか?

この記事は約5分で読めます。

「生活保護を受けるのは恥ずかしい」という感覚を持つ人は多いですが、正当に受給する限り、「恥」ではありません。恥ずべきは、貧困者が増える状況を放置し、さらに扶養照会制度も害あるものにしてしまう政府であり、それを許してしまっている我々国民です。

スポンサーリンク

「生活保護=恥」の底にあるもの

「生活保護は恥ずかしい」「生活保護は申し訳ない」
この感覚は多くの日本人が共有するところだと思います。

正当な手続きを踏んでいる限り、受給は「恥」ではないし、蔑視するなどもってのほかです。
とはいえ、自分が受給する身となれば、「恥」の感覚にとらわれる人が大多数でしょう。

「私たちが暮らしていけるのは、世間の人々のおかげ。
農業、加工業、運送、商店、銀行、通信、土木、建設、公務員などなど、数えられないほど多くの働きの循環に支えられている。
(専業主婦は働く夫を支えることで、この「循環」に入っています。)

ところが、この循環に参加することなく、ただ国家のお情けを受け、人々の恩恵に頼るだけなのが「生活保護」。

がんばれば、工夫すれば、必死になれば、働いて生活を立てられるはずなのに、それができない。
他人が当たり前にできることができずに「保護」される自分は落ちこぼれの無能だ……
(高齢受給の場合は、老後に備えられなかった自分は無計画で怠惰だ……)

という考えが「生活保護=恥」の底にあると思います。

勤労の美徳や共同体意識と表裏一体

上記の考え、特に前段の
「自分は人々の働きのおかげで生きている。だから自分も働いて、恩を返すのが良い」
というのは、日本人の勤労の美徳や共同体意識と表裏一体

「生活保護は恥ずかしい」が原因で、受給すべき人が受給しない/できないというのは大問題ですが、この感覚自体を変えることは難しい。
無理に変えようとすると、「角を矯めて牛を殺す」で、私たちの美点が毀損されかねません。

まあ、長年にわたる構造改革や緊縮財政、拝金主義のせいで、日本人の共同体意識・国民意識はすでに傷つきまくっていますが……

扶養照会/生活保護、受けさせるのが恥?

ここまで「受けるのが恥ずかしい」の話でしたが、「生活保護=恥」はそれ以上の「恥」があります。それは「受けさせるのが恥ずかしい」です。

民法は第877条第1項において
「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。」
と定め、場合によっては三親等内の親族(叔父・叔母・甥・姪)にもこの義務が生じます。

これは家族や親類の縁を重視し、互いに助け合うという伝統的規範の反映でしょう。

身内の困窮者を放っておくのは義務の放棄であり、そのまま生活保護を受けさせるのは「恥」となるはずです。

「ウチの親族が生活保護を受けるなんて恥ずかしい」ではなく、
正しくは「身内の困窮者を知らんふりしていて、申し訳ない。そんな自分が恥ずかしい」です。

受給の障碍となっているとして不評な「扶養照会」ですが、助け合いの伝統的規範を守るためには必要だろうと思います。

とはいえ、実際には「受給の障碍」である上に「援助の申し出は0.3~0.4%」ですから、まともに機能していないことは明らか。

ではなぜ援助の申し出がこれほど少ないのか? 
それは当然、親族にも経済的余裕がないからでしょう。

個々で様々な事情はあるでしょうが、「援助するほどウチにはカネがない」が大きな要因であることは確実です。

消費税増税&コロナ恐慌、社会保険料増、伸びない可処分所得が続く我が国では、当然の結果だと思います。

政府の恥、国民の恥

ここに、より大きな「恥」があります。
国法で「助け合いの義務」を課しておきながら、それができる状況を現出できない者
すなわち政府の恥です。
また、生活に窮する国民が増えるというのは長年の政策の失敗であり、これも政府の恥。

そんな政府の代表たる菅総理がためらいもなく「最終的には生活保護」などと答弁してしまうのは、「恥知らず」の最たるものといって過言でないでしょう。
そして政府は我々国民の代表ですから、政府の恥は国民の恥でもある。

すなわち、生活保護が増えるのは政府の恥、そんな政府を許している我々国民の恥です。
政府に意見するのは国民の義務とも言えます。

低所得世帯(ボーダーライン層)への扶助が弱い

現今、政府が行なうべきはこの「進撃の庶民」でもよく語られるように「消費税ゼロ」「全額粗利補償」「給付金おかわり」「正規雇用増への規制強化」などですが、

公的扶助、生活保護制度そのものにも、積極財政で改善すべき点が多いようです。

以下のサイトに詳しいのですが、
我が国の制度では、生活保護ギリギリのワーキングプア、低所得世帯(以下、ボーダーライン層)への扶助が弱い。

参考:日本の公的扶助制度とセーフティネット――国際比較からみた特徴/埋橋孝文 / 社会政策・社会保障論

生活保護受給世帯が受けられる、育児・教育、医療・介護、住宅・家賃の扶助をボーダーライン層は十分に得られないのです。

このことは2つの問題を生みます。

①生活保護受給が必要となるボーダーライン層を増やす

②生活保護受給者が働いて受給をやめると、逆に生活が苦しくなる

政府は積極財政で国民を救え

この問題への答えはシンプルです。
積極財政によって、ボーダーライン層の国民向けに教育・医療・住宅の公的扶助を拡大すべきでしょう。
30年以上にわたって痛めつけられてきた国民経済、失われた国民所得を思えば、扶助対象は思いきり広くすべきです。

そうするとボーダーライン層は確実に貧困から脱することができますし、受給者も希望を持って働きに出られるようになる。

そうなれば社会に余裕が生まれます。
「生活保護=恥」の感覚を和らげ、「生活保護=本当に困っているのだから国家として支えよう」という納得感を強くするにはそれしかない。
また、勤労の美徳や助け合いの規範意識の維持・強化にも寄与すると思います。

MMTなどによって、我が国に財政破綻の懸念はゼロであることは証明済みなのですから、躊躇せずにカネを出し、政府は国民を救うべきです。

Subscribe
Notify of

1 Comment
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments
3 years ago

[…] 生活保護は「恥」ではあるが、恥じるべきは誰なのか?「生活保護を受けるのは恥ずかしい」という感覚を持つ人は多いですが、正当に受給する限り、「恥」ではありません。恥ずべき […]

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
1
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x