新自由主義の猛威、行き過ぎた個人主義への反動から、共同体意識の復活~強化を求める言説が見られます。
共同体意識の弱体化は国民が望んだこと。その一方で現在の様々な危機を克服するには、天皇を基軸とする共同体意識/国民意識(ナショナリズム)の醸成が必要です。そのためには私たち一人ひとりの努力が欠かせません。
共同体、共同体意識とは
共同体とは、
利益,目的を同一にする人々の結合体。自然発生的に共同体意識,共属感情をもって生活している人々の生活体もしくはその地域社会。
参考:コトバンク
共同体意識とは、隣人、友人、郷土や職場を大切に思う気持ちと言えましょう。
利害を共にし、困った時には助け合う。この共同体意識が国家単位でつながったものが国民意識(ナショナリズム)。グローバル化にストップがかかり、国境や国家の重要性が再認識される現在、共同体意識が注目されるのは理の当然です。
共同体意識の弱まりが引き起こす諸問題
引くデフレで所得が増えず、不満がたまる日本社会。
「既得権益で楽に儲けているヤツらがいる!」
個々人の烏合の衆はルサンチマンをあおられ、怒りの矛先を同じ国民に向ける。
相手が「共同体の仲間」ではなく、「ズルをしている他人」だから容赦なし。
結果、同じ国民が損を被り、政商/グローバル大企業がもうける。
郵政民営化、土建業者・公共事業叩き、公務員叩き、農協改革など、
この20年以上その繰り返しです。
共同体意識~国民意識のある人々が多ければ、このようなことにはならない。
我が国の将来のために、共同体意識を復活~強化するべき。確かにそうです。
「共同体」は嫌われた
とはいえ、共同体には嫌な面もある。
私たち日本人がそれを忌避してきたことも事実でしょう。
明治時代の近代化以降、その傾向は始まり、戦後になってさらに加速しました。
共同体の嫌な面を挙げると、
ア プライバシーの減少
ちょっとした「やらかし」が共同体内にすぐに知れ渡る。
イ 同調圧力
周囲と違う意見を述べたり、目立つ行動を取ることに抵抗がある。
ウ 半強制的ボランティア
自治会やPTA、消防団など、「共同体のため」の活動が課せられる。
エ 濃密な人間関係
ドライに割り切れない、義理人情の縁。イヤなことでも断りにくい。
田舎暮らしの経験のある方ならおわかりかと思いますが、要は
人間関係に多大な気を使わねばならず、自由気ままに振る舞えない。面倒くさい。
しがらみから自由になって楽しい生活
給与の良さ、職種の豊富さといった魅力に加え、上記の面倒くささの少ない都市へ人々が流れていく。都市でのマンション暮らしとなれば、さらに近隣の人との交流もなく、他人に煩わされない快適な消費生活が可能です。
自己実現のために仕事をし、カネを稼ぐ。仕事が終われば自分の時間。
気の合う人たちとユルくつながり、合わなくなればフェイドアウト。
リベラリズムの理想、様々なしがらみから自由になった個人としての生き方です。
実にラクで楽しい。人間関係のストレス減は、幸福感に直結します。
さらに、仕事がうまくいけば達成感を得られ、承認欲求も満たされます。
共同体意識の忌避が進む
一方でこのような生活を志向する人が増えた結果が、
共同体意識の弱体化~喪失、大都市への人口集中でしょう。
いわゆる国家や地域に根差した「サムウェア(どこかに)族」の減少、そこから遊離した「エニウェア(どこでも族)」の増加が引き起こされます。
大都市においても「職場」が共同体の役割を担い、そこで働く人々を仲間として強力に結び付けていましたが、それも昭和時代まで。
平成以降はデフレ不況と労働規制緩和で非正規労働者が激増、
同じ職場内でも格差が生まれ、「共同体の仲間意識」醸成が困難になっています。
もはや共同体としての役割を果たせない職場が多いことでしょう。
短所と長所は表裏一体
しかしながら、忌避される共同体の短所は、
ア 不心得者を出さない、治安維持
イ 一致団結して事を成す
ウ 共同体の一員としての責任感
エ 困った時の助け合い
といった長所と表裏一体。共同体の弱体化は、これら長所が失われていくことを意味する。
共同体意識を失った個々人が追求するのは、己の利益、幸福のみ。
政治においても、政商や大企業、政治家や官僚個人の利益ばかりが優先されるわけです。
明らかな個人主義の行き過ぎ。
共同体意識の復権が必要ですが、さて共同体の短所をどうするか。
短所の緩和~大阪市廃止(大阪都構想)阻止という好例
これについては、かつてに比べて緩和することが容易だろうと思います。
逆説的ですが、短所を忌避する人が多くなっているからです。
そのような人々が共同体の大切さに気付き、尊重しようとするなら、
自分たちにとって負担少なく、納得できる形で行おうとするはず。
世代交代とデジタル技術の普及は、これを後押しします。
大阪市廃止構想(「大阪都構想」)が否決されたのも、
ふだん市政や地域に関わっていない人々までもが「共同体意識」に目覚め、
ネット上など、自分たちのできる範囲で正確な情報拡散に努めたことが大きい。
そのような方々には、ぜひリアルな地域団体などにも参加していただけるといいと思います。
(私も多少なりとも実践してます)
仕事上ではまるで接点のない分野の人たちと、仲間として交流する。なかなか楽しいものです。
もちろん、面倒なこともありますし、私のような陰キャはうまくつき合えないことも多々ありますが、参加することで何かしら地域にとって意義あるものを付加できているはず。
(たとえどれほど小さくとも)
ともあれ、大阪市廃止構想は大阪市民にとっては危機でしたが、共同体意識の復活の面からはチャンスであり、大きな効果を上げたと言えます。
危機はチャンスともなる
我が国にとっては
・中国の軍事的・経済的圧力
・打ち続く自然災害
・コロナ禍と消費増税デフレ恐慌
・インフラ老朽化
などなど、危機が続出しています。
これ自体は不幸なことですが、共同体意識復活のチャンスは数多くあるということ。
国力毀損~貧国転落とのチキンレース、人の死が共同体意識を取り戻すきっかけというのがまったく辛いところですが。
国民意識には基軸が必要
とはいえ、この共同体意識を国民意識(ナショナリズム)として十分に育てるには、基軸が必要です。立場や境遇、思想などの違いを超えて、大きく国民としてまとまれる基軸、ナショナル・アイデンティティです。
それがなければ、せまい仲間内での共同体の利益ばかりが最優先され、国民としての団結がなされない。分断が深まるばかりです。
米国は人種、性別、性的志向、母語、宗教といった個別のアイデンティティによる政治的分断で振り回されていますが、これも「同一国民」としての基軸が弱いからでしょう。自由、平等、法の支配といった理屈、近代の産物ばかりでは基軸とな得ない。
天皇の大御心こそ我が国の基軸
我が国において基軸となるのは、「国語」「信義を重んじる社会」、そして何よりも「天皇」だと思います。
126代の永きにわたり、民の親として世の安寧を願う。
現行憲法においても国民総意で我が国の象徴となられている天皇の大御心こそ、真に国民意識の基軸です。
いかに我が国が危機に陥ろうと、天皇がおられれば日本人は団結できる。
ちょっと話はそれますが、
この11月12日に皇位の保守系超党派議連が旧宮家男子の復帰による男系継承維持を菅総理に提言したそうです。これに沿った形で議論が進み、皇統が盤石なものになるよう願います。
私たち国民はこれを後押しすると共に、上記の様々な危機に対峙せねばならない。
同胞を救う国民共同体を広げ、世論を動かし、政治に働きかける。
邪魔する政治家や言論人は大いに批判する。
「危機から同胞を救える!」ということに気づくほど、国民意識は強くなり、広がっていくでしょう。国民の忠義の拡大です。
ありもしない財政破綻論の払拭は、そのために何よりも役立つものだと信じます。
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