今年も2月26日がやって来ますね。ということで今回は84年前、昭和11年(1936)に起った二・二六事件について解説してみます。解説連載している『大義』(杉本五郎著)とも因縁深い事件です。
陸軍青年将校の「恋」
恋して、恋して、恋して、恋狂いに恋し奉ればよいのだ。どのような一方的な恋も、その至純、その熱度にいつわりがなければ、必ず陛下は御嘉納あらせられる。
『英霊の聲』(オリジナル版)三島由紀夫著 河出文庫 平成17年 p.29
上記は二・二六事件を起こして刑死した青年将校の霊のセリフです。もちろん、小説ですからフィクションですが、その「恋」の対象は昭和天皇。
これは君主、天皇、皇帝を慕ってやまぬ「恋闕(れんけつ)の情」というものです。闕というのは宮廷の「門」で、恋皇などと言っては畏れ多いので、このように言うわけですね。
天下億兆、天皇陛下の赤子にあらざるなし。
戦前、天皇は日本人にとって神聖なる「親」でした。
また軍人には「天皇は頭首、自分達はその手足、天皇と軍人は一体」という意識があり、一部の若者、青年将校たちはそれを「恋闕の情」にまで純化させていました。
二・二六事件、決起のコンセプト
二・二六事件は、そんな陸軍の青年将校たちが昭和11年(1936)2月26日(水)の未明、配下の兵卒を率いて決起した事件です。その兵力はおよそ1400名。斎藤実内府、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監を殺害、3日間にわたって東京の中枢を占拠しました。
決起側のコンセプトをざっくり言うと、
「労働者や農民の窮乏をはじめとする日本の諸問題は、元老・重臣・官僚・政党・財閥が引き起こしている。
彼ら「君側の奸」が、天皇陛下の御威光をさえぎって、人々の和を乱しているせいなのだ。
というわけで、我々が主な「君側の奸」を始末します。
陸軍大臣よ、我々の真心を天皇陛下にお伝えください」
(正確には、軍の人事などに関する要望事項もあったようです。事件の背景に陸軍における派閥争いがあり、「皇道派」である決起将校が「統制派」の力を削ごうとしました。)
「恋」の告白の結果
結果はというと、勝手に軍を動かし、重臣たちを殺害したということで昭和天皇は激怒、決起将校たちは逮捕、軍法会議にかけられ銃殺となりました。(数名、逮捕前に自決した者もいましたが)
天皇を、国家を思って決起した彼らの「恋」は破れました。なぜこんなことになったのか。
結果だけ見ると「そらそーなるよ」というところですが、彼らの暴走にも経緯、理由はあります。
当時の社会背景
大正8年(1919)第一次世界大戦が終わると、大戦特需の終了で景気が冷え込み、日本は慢性的な不況に陥ります。さらに、悲惨な総力戦に懲りた欧米国際社会は軍縮の方向へ進み、日本もワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約を受け入れてしまう。
14年(1925)には普通選挙法が成立しますが、政党政治が一般国民のための政策を行うことはない。特に昭和4年(1929)からの民政党・浜口内閣(井上準之助蔵相)で顕著ですが、
「「民にできることは民に」という「小さな政府」路線で、英米協調によるグローバル化を推進しようとする。いわば新自由主義政策の推進
『五箇条の誓文で読み解く日本史』 片山杜秀 NHK出版新書 平成30年2月 p.148
農業、軽工業から重化学工業へ産業政策の転換が図られ、地方農村の人々は労働者として都市へ向かう。農村は解体、財閥は大儲け、格差は拡大の一途。そして進む軍縮。政界の腐敗は普通選挙前よりひどくなり、贈収賄・疑獄事件が頻発します。
真面目な軍人たちは心を痛め、政治に憤るわけですが、軍と政治のつなぎ役である陸相と次官は政党に迎合して言いなり、どうにもならない。
結果、これは我々軍人が直接政治に関わるほかない、「政治不関与の原則」(軍人勅諭)を乗り超えなければ日本は救われぬ、と思い詰める。
統制派(エリート)と皇道派(非エリート)
という軍部ですが、陸軍ではそこに統制派(エリート)と皇道派(非エリート)の派閥争いがからんできます。
統制派:
かつての長州閥の流れをくむ、永田鉄山、東条英機らエリート幕僚将校たち。いかに国力を総動員して、次の戦争に勝ち残るかを考え、軍中央の一元的統制の下に国会改造を図ろうとする。石橋莞爾もこちらに近い。
皇道派:
反長州閥の流れをくむ。陸相を務めた荒木貞夫や真崎甚三郎大将を頂点に、尉官クラスの青年将校(非エリート)らが結びついて「昭和維新」実現を目指した。国民に大きな犠牲を強いるような強権的政治に疑念を持つ。二・二六事件を起こした野中四郎、磯部浅一、村中孝次、栗原安秀らはこちら。
どちらも、自分達の考えこそが日本を救うと信じつつ、そのために権力を握ろうとしていたわけです。
国家社会主義による「魂の戦い」
その一方で社会においては、マルクス主義・社会主義・共産主義といった新思想、日本の国体、明治憲法とは相容れない思想が流行しています。もっとも、財閥や政党の腐敗を批判し、困窮する庶民を救おうと言うのですから、軍人でも共感するところは多い。
そんな中、出てきたのが北一輝の提唱する国家改造案。
国家社会主義とも言われるそれは、天皇の下に国民は平等、国家において私有財産を制限し、国民を救う政治を行なおうというものでした。
大正8年(1919)に書いた「国家改造案原理大綱」(後に『日本改造法案大綱』として出版)では「軍事革命=クーデター」の実行を肯定しています。
これに影響を受けたのが西田税(みつぎ)や磯部浅一らの青年将校です。
西田は「此の改造法案こそ吾等一同が魂の戦ひに立つべき最後の日の武器なり」とまで位置付けています。
ところがこの思想によって、彼らの「恋闕の情」は暴走するのです。
天皇機関説が導く「自己絶対化」
北一輝・西田の思想では、天皇は国家の最高「機関」であり、国家・国民のために存在する。一君万民の国家社会主義体制を天皇と国民の理想とするものです。
特に西田税は、国民の中において自分たち一党こそが天皇の願いを実現する代表者/実行者だと考え、病気のために軍籍を離脱した後も、皇道派の青年将校たちをリードしました。
天皇を革命のための機関ととらえつつ、革命を志す自分たちの意思が、軍人の意識として「絶対者」である天皇の意思と一致すると思っている。自分たちもまた「絶対者」という感覚。
これは高い理想を持ちつつ、日々青年として、非エリートとして無力感を抱いていた青年将校たちにとってあまりにも魅力的なものでした。
(参考資料『昭和陸軍の将校運動と政治抗争』竹山護夫 名著刊行会 平成20年)
世の惨状を憂う自分たちと同じ心で、本来の力を発揮できず天皇陛下は苦しんでおられる。
重臣や財閥、政党などが天皇と我々国民の間に立ちはだかって邪魔しているからだ。
我々が決起して、彼奴らを斬り払いますから、一君万民を実現してください!………
「理想の天皇像(≒自分)」への恋?
「国家社会主義体制への革命」を天皇の願いだと決めてかかっている。しかも自分たちこそが天皇の最大の理解者であり味方、同じ心を持つ者だと思い込んでいる。
歴代天皇が「人々の安寧と世の平和」を祈ってこられたのは事実ですが、これは明らかに行き過ぎ。言い方は悪いですが、勝手にこしらえた「理想の天皇像(≒自分)」に熱烈に恋している。
尊皇に徹していたならば、天皇は道義の根本であると理解していたならば、絶対に出て来ない発想です。現憲法にも通用し、「天皇主権説」に比べて穏健と思われている「天皇機関説」ですが、このような暴走を生むものなのです。
憂国の至情があっても
そんな中、昭和6年(1931)、クーデター未遂である十月事件、7年には井上準之助前蔵相および団琢磨暗殺の血盟団事件、犬養毅首相暗殺の五・一五事件と国を憂う軍人や過激派民間人による事件が続発しますが……
軍は犯人たちに同情的、世間も拍手喝采で司法も大甘。
これでは軍紀、風紀はないも同然だ。なにを仕出かしても憂国の至情さえあれば許されるとだれもが思うようになったのだから、二・二六事件が起きるのは必然だといえよう。
『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四 草思社 平成22年 p.95
昭和8年11月には、陸軍の中央幕僚(=統制派)が皇道派の青年将校たちに「隊務専心」を要求、軍人であろうとするか、政治活動家であろうとするかの二者択一を迫りました。
結果、両派の抗争は激しくなり、青年将校たちは次第に追い詰められつつ、「決起しても何とかなる」という誘惑に駆られる。
結果、昭和11年2月26日(水)彼らは決起、彼らの恋は破れることになりました。
革命/クーデターが天皇の御意思に反すると知ったのです。
世間の人々もまた彼らに厳しかった。
それまでのテロ事件と異なり、軍人/将校としての権力を行使して部下の兵卒を巻き込んだことが問題視されたのです。高橋是清の積極財政により、国民経済が回復していたことも影響したものと思います。
杉本五郎の『大義』執筆
国を憂う真面目な若者たちが逆賊の汚名の下に死ぬ、たいへんな悲劇ですが、こうなることを見越して、彼らに北一輝や西田税らと縁を切るよう警告していた人たちがいます。
広島の歩兵第一連隊、杉本五郎大尉とその同志たちです。
残念ながら、その警告は聞き入れられませんでしたが、この二・二六事件を契機に、杉本大尉は筆を執ります。
青年たちを正しい方向へ導くため、彼が死の直前まで書き続けたもの、それが『大義』です。
度重なる消費増税・緊縮財政で「令和恐慌」に陥ると言われる現在日本。昭和の恐慌、政治腐敗の時代に酷似しています。
何か打つ手はないものでしょうか。あるとすれば、「昭和維新の応用」でしょう。
『五箇条の誓文で読み解く日本史』片山杜秀 NHK出版新書 平成30年2月 p.242
応用してうまくいくもの、そのエッセンスは『大義』にあると私は思います。次回以降の連載にもお付き合いいただければ幸いです。