杉本五郎中佐遺著『大義』|解説 第2章『道徳』教育勅語の精神

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越智通兄筆 橘曙覧(タチバナノアケミ)肖像画
『大義』では橘曙覧の短歌が多く紹介されています。

戦前日本のベストセラー『大義』(杉本五郎著)の解説連載第3回です。
今回は第2章「道徳」です。現代語での大意を示したうえで、私なりの解釈・解説を行います。原文はこちらの「大義研究会」のサイトでご覧ください。

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第二章 「道徳」の大意

天皇の大御心に合致するように、私欲や我執を去って行為するのが日本人の道徳である。
では天皇の御意志・大御心とはどんなものであろうか。歴代天皇の御詔勅はすべて、大御心の現われに他ならない。中でも、明治天皇の教育勅語は、最も明白に示された大御心の代表的なものと拝察申し上げるところである。

すなわち、天皇の御意志は教育勅語に明確かつ簡潔に示されているのだから、教育勅語の精神に合うように私欲や我執を去って行為することこそが、日本人の道徳であると言える。そして教育勅語の精神とは「天壌無窮の皇運扶翼」であって、個人道徳の完成ではない。

天皇をお守りするためなら、老若男女を問わず、貴賤貧富にかかわらず、等しく駆けつけて迷うことなく命を懸ける、それが日本人道徳完成の道である。天皇のために死ぬこと、これがすなわち道徳完成なのだ。

言い換えれば、天皇の御前では自己は「無」と自覚することである。「無」となれば万民は一体となる。天皇と同心一体となればこそ、我々の日々の生活行為はすべて天皇の営為、天皇の事業となる。

これが日本人の道徳生活である。そして日本人の道徳生活にまずもって必要なのは、「無」であるという自覚に到達することである。

橘曙覧先生の歌
 大網と天つ日継を先づ取りて
     もろもろの目をあむ國と知れ

(解説)教育勅語とは?

第一章 天皇の記事では、天皇の大御心を
「自我にとらわれがちな人間を超え、神の境地で人々の安寧と世の平和のために尽くす」
と解釈しました。
この第二章において、杉本中佐は天皇の大御心は教育勅語によく示されていると言います。

教育勅語というのは、明治23年(1890)に近代日本の教育の基本方針として発布された、明治天皇のお言葉です。(作成したのは井上毅らです)

教育勅語(読み下し・現代語訳付き)

教育勅語というと、
リベラル・左派は「お上の言う事に逆らわず天皇のために戦争で死ねと教える危険思想」と非難し、
保守・右派は「世界に通用する道徳標準」として高く評価します。

およそ論争の種になるのは、
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の部分ですね。

これ以外の「孝行」「夫婦相和」「友情」「博愛」「修学」「習業」などはごく当然の道徳項目として、左派も問題視する人は少ないと思われます。

(解説)「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」

しかし、最も大切なのはこの問題の「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」なのです。
「永遠の天皇・皇室をお守りし、助けるべきである」です。

「父母ニ孝」から「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」まで、全ては「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂」のためにある。

昭和天皇(当時は皇太子)への御進講草案にて、杉浦重剛も以下のように記しています。

「一身上の徳を完成し、他人に対するの徳に及ぼし、自他ともに完全なる行を履み(ふみ)、国家に対する徳に及ぼし、あるひは平時の務めを完う(まっとう)し、危急の事に及ぼし、しかうして始めて皇運を扶翼することを得べし」

『昭和天皇の教科書 教育勅語』杉浦重剛著 勉誠出版 p.101

天皇が私欲・我執にまみれた個人的権力者に過ぎないのであれば、左派の非難にも理ありとなりますが、そうではない。

(解説)日本人道徳の最大目標

第一章で述べられていたように、天皇とは天照大神を体現する存在。己を「無」にして万物を慈しみつつ、すべてを見通し、あらゆる真理・真実を把握する「お天道様」の境地に立とうとする存在です。

個々の御生涯に違いはあれど、その祈るところは125代一貫して「人々の安寧と世の平和」。我が国の人々が飢えることなく、安全に豊かに暮らせるようになるため積み重ねられた果てしない努力……それは、常に天照大神の恵み/天皇の祈りと共にあった。

「永遠の天皇・皇室をお守りし、助けるべきである」は日本人道徳の最大目標としてふさわしいものです。天皇の願ってやまぬ「人々の安寧と世の平和」の擁護・実現のために努力せよ、という意味になるのですから。

戦後憲法の条文で考えても、
「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」ですから、

天皇をお守りする、お助けすることは天皇個人を対象とすることに止まらない。ましてや時の政府に盲従することではない。
それは日本の国、国民すべてのため、公共のために働くことになります。現代においても十分通用する道徳的行為です。

ご存知、夏目漱石
明治天皇の大喪の礼の日の写真だそうです

(解説)道徳完成への道

そして「天皇のために死ぬこと」=「自己を「無」とすること」が道徳完成の道。これはもちろん、戦争で命を散らすことのみを指すわけではない。

平時から私欲・我執を忘れ、「人々の安寧と世の平和」という天皇の大御心を我が心として、プラグマティックに自ら考え、真理を探りながら、大御心の擁護・実現のために命懸けで努力する、それが道徳完成の道。

『大義』は道徳の頂点、理想像を示す書ですが、上記は本当に困難なものです。これを考えると、私は夏目漱石の小説『野分』の一節を想起します。

社会は修羅場である。文明の社会は血を見ぬ修羅場である。四十年前の志士は生死の間に出入して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危険は彼らの危険より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲声剣光の修羅場よりも、より深刻に、より悲惨である。諸君は覚悟をせねばならぬ。勤皇の志士以上の覚悟をせねばならぬ。斃るる覚悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手して成功を冀う輩は、行くべき道に躓いて非業に死したる失敗の児よりも、人間の価値は遥かに乏しいのである。

『二百十日・野分』夏目漱石/著 新潮文庫 p.269

(解説)政治家にとっての重要テーマ

このような道を、明治天皇は自ら先頭に立って国民と共に歩もうとおっしゃった。そしてその志は後の天皇にも受け継がれている。再び『昭和天皇の教科書 教育勅語』から引用します。

明治天皇は、
朕、爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ、咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
と宣はせられたり。故に殿下におかせられても、御自身御実行あらせらるると同時に、いかにすれば臣民をしてこの道に進ましむるを得べきか、の一事に御留意あらせられんことを望む。

『昭和天皇の教科書 教育勅語』p.103

「いかにすれば臣民をしてこの道に進ましむるを得べきか」
「どうすれば国民が永遠の天皇・皇室をお守りし、助ける道を進めるようになるか」
というのは、政治家にとって、特に天皇から任命された総理大臣以下、内閣・政府にとって極めて重要なテーマでしょう。

(解説)緊縮財政は教育勅語に反する

マズローの「欲求の五段階」という話が有名ですが、日々食べて行くのが精一杯で、安全も安心も十分でない生活では、道徳的行為に向かうことはなかなか困難です。

「天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂」のための「父母ニ孝」から「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ」までの徳目も、経済的余裕があってこそ多くの人が実現できるようになる。

現政権が推し進めるような緊縮財政、消費税増税、グローバル化推進では、一般国民の所得は減少、貧困層は拡大する一方でしょう。現今行われ続けている政策の多くは、教育勅語の精神に全く反すると言って過言ではない。

「父母ニ孝ニ」も何も、所得が少ないために結婚できる人が減ってしまえば、孝行するはずの子が存在できません。所得がなくて進学できなければ「学ヲ修メ」ることも不可能です。公共事業、医療福祉、教育等の予算が削減され続けては、「公益ヲ広メ」られない。

もちろん、私たち一般国民は教育勅語にある各道徳項目の一つでも二つでも、できる限り実践し、「皇運󠄁ヲ扶翼󠄂」=「『人々の安寧と世の平和』の擁護・実現のために努力」するのが良い。そう願う方もきっと多いことでしょう。

政治に関わる方々にはぜひこの点を御留意の上、私たちが各道徳項目を体現できるような政策(積極財政・内需拡大・グローバル化抑制)を行っていただきたい。そのための論拠は機能的財政論・MMTなど充分に揃っているのですから。

教育勅語を誠実に読むならば、当然の結論だと確信します。

次回は第三章 「無」の自覚到達の大道です。

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阿吽

最近は、戦後憲法の象徴という位置づけでも、それほど悪くはないのではないかとも思えてきましたね・・。

だって、天皇という概念は、ある意味では国旗(日の丸)にさえ近いものがあるのですから・・。

.
>朕、爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ、咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

こういう考えが、覇道ではなく、王道の考えと、杉浦重剛も考えられたんですかね。

中華の王朝とは違い、万世一系で続いてきた天皇家には徳がある、よって、徳を携えた存在こそが天皇である。

殿下が学ぶべきものとは、覇道の覇王の考えではなく、王道の王者の徳、ということなんですかね。

そして、徳とは何かを考えれば・・、民のことを思う君主、という感じですかね。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民