ふと興味を持って、表現の不自由展について調べています。
1つ、笑えない作品がありました。この作品、マジでエグい。
「遠近を抱えて PartII」とともに、批判対象となっている作品です。「時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPANICA 円墳」に、素直に「ああ、この作品は『エグい』な」と思いました。
「時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPANICA 円墳」の何が「エグい」か
表現の不自由展を調べると、この作品が一番エグいんじゃね? と感じました。
過去にも、美術館で撤去を求められた作品だそうです。
参照可視化された表現の自由の範疇 〜美術館に作品の撤去を求められた芸術家・中垣克久氏インタビュー ━原佑介記者 | IWJ Independent Web Journal
上記記事から引用します。
「『idiot(馬鹿:筆者編集) JAPANICA 円墳』という名前のとおり、これは『馬鹿な日本人の墓』なんですよ」――。
中垣さんは、そう語った。
作品中の星条旗には、日本が敗戦から今日に至るまでまで、未だに米国から自立できていないという思いから、「日本人は死んだら米国人になる」という皮肉が込められているのだという。
「皮肉なんだからみんな笑ってくれるかと思ったのに、逆に撤去しろって言われちゃって」と、中垣さんは痛切な「皮肉」を口にする。
中垣さんの作品は、「社会派」でありながらもユーモアにあふれている。アトリエの庭には、「鉄の檻の中入ったキノコ雲」の作品が飾られていた。
現代日本人は、拒否反応を示すわけです。
画像を見た瞬間に、私は「あ、これは『エグい』やつや」と思いました。芸術には詳しくありません。しかし作品から「対米従属」が明確に、流れ込んできました。
私は情動主義かも知れませんが、特攻隊に畏敬の念を持っています。靖国で特攻隊の遺書を、読んだ1人です。
特攻隊を一番、汚しているのは誰か。対米従属の「現代日本人ないし、現代日本」ではないのか。
否認したい「対米従属=特攻隊を汚す」現実
特攻隊は「公」に命を捧げました。私には――その時になってみないとわかりませんが――おそらく難しいでしょう。
日本はほんの70年ちょっと前、自立か隷従かをかけて「命がけ」だったのです。
ABCD包囲網、満州鉄道、日露戦争。激動の時代でした。そして大東亜戦争へと、道は続いた。
現在はそのような「公の精神」は生きているでしょうか? なるほど、作品のタイトル通り「絶滅危惧種」です。
マイノリティ、少数派になった「公」は、「今だけ、金だけ、自分だけ」の人たちからバカにされるでしょう。「idiot JAPANICA(馬鹿な日本人)で絶滅危惧種」というわけ。
大衆人は無謬です。責任を取らないからです。
したがって「自分たちが、特攻隊を汚している」とは思いません。
「時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPANICA 円墳」の作者が「左翼」なのか、それとも作品を否認する人が認知不協和なのか。どちらでしょうか。
芸術に疎い私ですが、作品の画像を見てピンときました。「エグいな」と。
記事を検索して「やっぱり、そういう意図ですよね~」と納得しました。芸術、怖い。
現実を直視できないものに、左翼も右翼もない
左翼、右翼とは政治主張の違いです。政治主張とは、現実の問題をどのように対応するか? の違いです。したがって左右に関わらず現実を見ないものは、左翼でも右翼でもありません。
再度申し上げます。特攻隊に私は、情動主義的な畏敬の念すらいだきます。そして特攻隊は「アニメやフィクションの世界の出来事」ではなく、たった70余年前に起きた「現実」です。
同じ日本人が、覚悟を決めて、死を賭して散華していったのです。
どれほど怖く、どれほどの覚悟が必要だったか。
自民・丸山議員「日本が米国の51番目の州に…」 : J-CASTニュースに代表されるように、現代日本は「アメリカの属国」です。
なるほど。「死ねばアメリカ人になる」という中垣さんの言葉は、「エグい」皮肉です。
散華された英霊に、恥ずかしくて合わせる顔がない。
時代の肖像-絶滅危惧種 idiot JAPANICA 円墳を、多くの日本人が否認するはずです。
これさぁ……本当に左翼の作品?
エグい論考が続いたので、おまけ
従軍慰安婦像について、述べておきます。売春業なんて、現代でもあります。
男だけの軍隊。暴発しないほうが「おかしい」ので、売春宿は必要だったと思ってます。
まあ……私の場合はゲイですから、軍隊内ですみますけど(暗黒の笑顔)
- 慰安婦の給料は高給だった
- 日本人の割合が、一番高かった
- 当時に軍が「さらってくるな、ボケ」という軍令を発していた
ちょっと真面目に論じます。
明日死ぬかも知れない。そんな状況で、男って単純なんです。「大切に思えるものがある」。それだけで、体を張れるものです。経験談です。ボコボコにされて、死ぬかと思いましたが。
もうマジ、数年間はトラウマでした。バイクのU字ロック(鉄製?)で殴るとか、あり得る? 殺す気か! ですよ(笑)
友人のため、家族のため、国のため。もちろんあるでしょう。でも「女のため」が一番、体を張れるのではないでしょうか?
だから当時の売春婦たちも、男を応援しにいったのかも知れません。僕やったら、そうした。そういう一般論ではない、個人的な感想です。
>私の場合はゲイですから、軍隊内ですみますけど
ちょっwww
>だから当時の売春婦たちも、男を応援しにいったのかも知れません
当時は総力戦でしたからね。現代の売春婦と変わらない動機(高収入→借金返済)に加え、郷土を守るために命がけで戦う男たちを支えたい、公に自らの付加価値を拠出したいという公共心もあったのだと思っています。そうした意味から、彼女たちには「ありがとう」と言わねばなりません。
んです。あまり「性」を特別視するのも良くないかなと。
同感です。
>ちょっwww
ワハハwww攻城戦なのですww
対米従属の意味はわかりますが、ただ、この作品の作者さんに、特攻隊員への畏敬の念までがあるかどうかに関しましては、かなり、怪しいものがあると思いますね・・(^^;)
同情心くらいはもしかしましたらあるかもしれませんが、畏敬の念まではないでしょうね。
だから、私の評価は、やっぱりクソですね。
クソでもいいと思いますよ~。所詮、作品ですし。
ただ、「作者がどう思っているか」が作品の質だとしたら、それまた変かなと。
同じく「クソ」が好きなモーツァルトは、すごい作品を残してますし。
天才作曲家モーツァルトが書いたラブレターが「想像以上に酷すぎる」とツイッターで話題に! | Pouch[ポーチ]
https://youpouch.com/2014/05/12/194997/
やっぱり、芸術って狂気かも知れません(笑)
>ただ、「作者がどう思っているか」が作品の質だとしたら、それまた変かなと。
うーん、それはどうでしょうか・・?
少なくとも私は、今回の件は、作者がどう考えていようがまずクソだと思いますし・・・。
作者の考えも、ついでに考えればやっぱりクソだったな、という程度の話かと。
(まあ、作者も、特攻隊員に対して同情心くらいはもしかしましたらあるかもしれませんので、クソと言い切るのはあれかもしれませんが・・・・まあ、やっぱりクソでいいかな。(>_<) )
それと、思想的な背景を知ることによって、その作品に対する見方が変わるみたいなこともあるかとは思いますので、必ずしも、『「作者がどう思っているか」が作品の質』ではないとも、必ずしも、言い切ることもできないかなとも・・・。
もちろん、人格破綻者の作品が、すばらしい作品だったという例もあるかとは思いますし・・・。
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モーツアルトもクソだったようでwww
ただ、これを公表されたら、モーツアルトも墓場の中で悶死をしてしまうかもしれませんねwww(え、もう死んでる?ww)
有名人は気の毒ですねwww
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まあモーツアルトは兎も角としましても・・、あんな最低野郎の作品なんぞは見る気もおきん、という人も、世の中にはまた、たまにはいるだろうなということも、また事実かとも思います。(モーツアルトについては、私はおもろい人だなあくらいですけど、現代人の中でも幻滅する人はやっぱりいるんですかねww。まあ、中にはいるかもしれませんがww)
まあ、うんtモーツアルトさんは兎も角としましても・・、例えば、私は次の宮崎駿氏の長編作品を見る気がしません。仮にどんな名作が生まれようともです。少なくとも氏の存命中は・・。
それは、宮崎駿氏がとんでもない嘘つきだからと思っているからです。引退詐欺も、いい加減、いい加減にしろと思います。
ただ、それを、いちいち他の人にまで強制しようとまでは、さすがに思いませんが。
ただ、氏が作品を作れば少なくとも良いものを作るのは間違いないと思います。
少なくとも、くだんの作品展の御仁がつくられた作品とは違い。
宮崎駿氏じたいは嘘つきだと思いますけど、その新作はおそらくある程度、おもしろいものとなると思います。
(ただやっぱり私は、少なくとも氏の存命中は、氏の作る次の長編作品については、見る気がおきませんが・・)
(その嘘つきっぷりにあきれとおしているので)
また、例えば、ワーグナーについてもいろいろと言われてますが、彼の場合は、その作品は、現代でもなんだかんだで高く評価されているそうです。
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ただ、今回の件につきましては、宮崎駿氏の作品とも違い、まず最初の印象がクソで、次に、作品に対する取り組みも、あらためて考えても、やっぱりクソだなって、私が個人的には思うという話しかとは思います。
まあ、それは、私の個人的な今回の中垣克久氏の作品に対する感想であり・・、今後、中垣克久氏の今回の作品が後世に残って、普及の名作あつかいに仮にされるとしても、それとは関係ない、私自身の話しと言うことになります。
私は、保守社会に対するアンチテーゼとしても、現代日本のアンチテーゼとしても・・、あの作品を作ろうとは思いませんので。
保守派も、現代日本も問題だらけだとは思いますけど、そのアンチテーゼとして、わざわざあれを作ろうとは、自分なら、思いませんね。
今の社会へのアンチテーゼなら、今のヤンさんの活動や、進撃の活躍があります。
それをさしおいて、あれは、ないですね。
まあ、あれを支持する人もいるんでしょうけど、やっぱり、私の趣味ではないですね。
まあ、そういう話しです。
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・・まあ、話しを振り出しに戻しますが・・、
「作者がどう思っているか」というのも、ある意味では、作品の一部ではあるのではないかとは思います。
もちろん、その作品を構成する『一部』、ではありますが。
例えばですね・・、縄文の土偶なんかを見て、これを作っていた人は何を考えていたのだろうかという思案も、その作品の観賞の一部かとは思います。
ですので、あくまで一部ではありますが、「作者がどう思っているか」も、作品の一部分かとは思います。
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まあ、それ以前の段階で、私の個人的評価はクソに落ち着いていましたが・・w
もちろん、私の個人的評価ですが。