政治経済を論じるのも良いですが、本稿では文化について解説します。
文化には様々なものがあります。
- 食器などの焼き物
- 浴衣や着物
- 狂言や能などの芸能
アニメも一種の芸能と解釈できます。 - 建築物やお寺
- 料理
簡単に分類すれば、衣食住に楽でしょうか。
本稿では食、しかも和食の歴史から文化を見ていきたいと思います。
平安時代の料理はシンプルだった
平安時代の料理は、貴族であってもシンプルなものでした。
魚は素焼き、野菜や肉も素焼きや味付けなしで煮込むだけ。食卓にある塩、醤(魚醤のようなもの)、酢などで味付けしたようです。
イギリスの料理と、似通ったものだったようです。
※イギリスの名誉のために言及しますが、最近は「美味しいイギリス料理」が多いようです。少なくとも、レストランでは。
平安貴族は塩分過多で、庶民よりも寿命が短かったのだそうです。
現代日本人にすれば、旨味が少ない料理です。塩辛く感じたのではないでしょうか。
鎌倉時代に禅宗の道元が、精進料理を持ち帰る
鎌倉時代に精進料理を日本に持ち帰ったのは、禅宗の禅僧「道元」でした。
中国に修業にいくと、老典座が市場で買い物をしていました。不思議に思った道元は「なぜ買い物を? 修行はしないのですか?」と尋ねたのだそうです。
老典座は「食も修行のうち」と答えたそうです。典座とは禅宗の、食事を司る役割の人たち。このことに感銘を受け、道元禅師は精進料理を修行し、日本に持ち帰ったそうです。
お寺から、うどんや饅頭、羊羹なども一般に広まりました。
室町時代に本膳料理で、和食の原型が確立された
現在の和食の原型は、室町時代に確立されました。
室町時代は、精進料理が発達して出汁の概念も確立された時代です。さらになんと! 現代の醤油の原型は、この頃に確立されました。
本膳料理は室町幕府の将軍が、家臣の屋敷におもむくさいに振る舞われました。将軍が家臣の屋敷に行くことを、御成(おなり)といいます。
政治的な意味合いがあった、と伝えられます。
この本膳料理の形式。じつは平安時代の大饗が元になっています。貴族の儀礼食が大饗です。
「上様がいらっしゃる。どのような形式の料理を差し上げたら良いのか? 平安時代の貴族に倣ってみよう」
という感じで、大饗を模したのだと思います。
銀閣寺で有名な室町幕府8代将軍、足利義政は政治的には無能だったそうですが、大の風流人でした。東山文化の確立にも、大いに貢献したのだそうです。
日々、御成で豪華絢爛な料理に飽きた足利義政。大好物は「湯漬け」でした。この「湯」とは、昆布と干し椎茸で出汁をとった、現在の出汁茶漬けに近いものだそうです。
安土桃山時代に懐石料理など、和食が発展
本膳料理が和食の原型とすれば、安土桃山時代に発展した懐石料理は「現代和食の1つ」です。
茶の湯とともに発展したのです。
茶の湯と茶懐石から、「もてなし」「一汁三菜」などの概念や形式も広まっていきました。
一汁三菜は厳密には「刺し身」「焼き物」「煮物椀」がおかずになります。
現在の一般家庭の食卓の基本、一汁三菜のルーツは茶懐石にあったのです。
江戸時代に和食が花開く
現在の和食の直接的な礎は、江戸時代にあります。天ぷら、寿司なども江戸時代に作られた料理です。
出汁に鰹節、味付けに醤油が定着したのもこの時代です。
あまりに書けることが多いので、寿司に話を絞りましょう。
現在の握り寿司の原型は、華屋與兵衛が作ったとされます。酢飯、わさびを使用した、現在の握り寿司に非常に近いものでした。
これがお江戸で大流行。お寿司は最初、ファーストフードだったんだとか。
握りのサイズはおにぎり大。
明治、昭和と時代を経るごとに、現在のサイズに近づいたんだそうです。
多くの日本文化が、江戸時代に花開いたといえます。和食もその1つでしょう。
伝統と革新の和食と文化の歴史
和食の原型となった本膳料理のルーツは、平安時代の大饗にまで遡りました。平安時代の料理である六盛は、鎌倉時代の道元の精進料理によって姿を消していきました。
江戸時代や安土桃山時代には、外国の料理も取り入れられました。
例えば天ぷらは、その好例でしょう。もとはポルトガル語の「Tempero」が語源だそうです。
本膳料理のルーツが、平安料理にあるとすると……現在の和食のルーツもまた平安時代にあると解釈できます。
和食とは伝統を伝えつつ、革新もまた漸進的に繰り返してきたのです。
本稿で取り上げた料理は、その時代のイノベーションと言えます。
伝統とは決して「古いものを伝えるだけ」ではなく、伝統を土台として革新を続けるものであったのです。
文化論から解釈する、保守思想
保守思想は伝統を大切にします。伝統とは自生的に、その土地に根付いたものだからです。
伝統は「合理的ではないと、思う部分」もあるでしょう。時代にあっていない、という部分も出てくるはずです。
しかし不都合な部分が出てきたからと、全てを新しくするのは「愚の骨頂」です。政治的には「改革」と表現される運動です。
一度ぶっ壊して、作り直してしまえ! という運動です。
同時に保守思想は伝統を大事にするからこそ、他国の伝統や文化も尊重します。
日本には様々な政治・経済の言論が溢れています。しかし文化を学び、足元を見つめ直す必要があるのではないか? と痛切に感じます。
あまりにもあふれる言論の「薄っぺらさ」を感じてしまうからです。
本稿を通して少しでも、和食や日本の文化に興味を持っていただけたら幸いです。