日本料理史から文化と伝統を考える-伝統と革新が息づく和食の歴史

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

 政治経済を論じるのも良いですが、本稿では文化について解説します。
 文化には様々なものがあります。

  1. 食器などの焼き物
  2. 浴衣や着物
  3. 狂言や能などの芸能
    アニメも一種の芸能と解釈できます。
  4. 建築物やお寺
  5. 料理

 簡単に分類すれば、衣食住に楽でしょうか。
 本稿では食、しかも和食の歴史から文化を見ていきたいと思います。

スポンサーリンク

平安時代の料理はシンプルだった

六盛(ろくせい)と呼ばれた、平安時代の再現料理

 平安時代の料理は、貴族であってもシンプルなものでした。
 魚は素焼き、野菜や肉も素焼きや味付けなしで煮込むだけ。食卓にある塩、醤(魚醤のようなもの)、酢などで味付けしたようです。

 イギリスの料理と、似通ったものだったようです。
※イギリスの名誉のために言及しますが、最近は「美味しいイギリス料理」が多いようです。少なくとも、レストランでは。

 平安貴族は塩分過多で、庶民よりも寿命が短かったのだそうです。
 現代日本人にすれば、旨味が少ない料理です。塩辛く感じたのではないでしょうか。

鎌倉時代に禅宗の道元が、精進料理を持ち帰る

精進料理。ニラ、にんにく、魚、肉類を使用しない料理です。日本版、ベジタリアン料理ですね。

 鎌倉時代に精進料理を日本に持ち帰ったのは、禅宗の禅僧「道元」でした。
 中国に修業にいくと、老典座が市場で買い物をしていました。不思議に思った道元は「なぜ買い物を? 修行はしないのですか?」と尋ねたのだそうです。

 老典座は「食も修行のうち」と答えたそうです。典座とは禅宗の、食事を司る役割の人たち。このことに感銘を受け、道元禅師は精進料理を修行し、日本に持ち帰ったそうです。

 お寺から、うどんや饅頭、羊羹なども一般に広まりました。

室町時代に本膳料理で、和食の原型が確立された

現代和食の原型を確立した、本膳料理

 現在の和食の原型は、室町時代に確立されました。
 室町時代は、精進料理が発達して出汁の概念も確立された時代です。さらになんと! 現代の醤油の原型は、この頃に確立されました。

 本膳料理は室町幕府の将軍が、家臣の屋敷におもむくさいに振る舞われました。将軍が家臣の屋敷に行くことを、御成(おなり)といいます。
 政治的な意味合いがあった、と伝えられます。

 この本膳料理の形式。じつは平安時代の大饗が元になっています。貴族の儀礼食が大饗です。
「上様がいらっしゃる。どのような形式の料理を差し上げたら良いのか? 平安時代の貴族に倣ってみよう」
 という感じで、大饗を模したのだと思います。

 銀閣寺で有名な室町幕府8代将軍、足利義政は政治的には無能だったそうですが、大の風流人でした。東山文化の確立にも、大いに貢献したのだそうです。

ちょっと小話-足利義政の大好物は「湯漬け」

 日々、御成で豪華絢爛な料理に飽きた足利義政。大好物は「湯漬け」でした。この「湯」とは、昆布と干し椎茸で出汁をとった、現在の出汁茶漬けに近いものだそうです。

安土桃山時代に懐石料理など、和食が発展

会席料理と違い、懐石料理。区別するために茶懐石とも言います。

 本膳料理が和食の原型とすれば、安土桃山時代に発展した懐石料理は「現代和食の1つ」です。
 茶の湯とともに発展したのです。

 茶の湯と茶懐石から、「もてなし」「一汁三菜」などの概念や形式も広まっていきました。
 一汁三菜は厳密には「刺し身」「焼き物」「煮物椀」がおかずになります。

 現在の一般家庭の食卓の基本、一汁三菜のルーツは茶懐石にあったのです。

江戸時代に和食が花開く

江戸時代と現在の、握り寿司の比較です。現代の寿司の2.5倍ほどもあったようです。

 現在の和食の直接的な礎は、江戸時代にあります。天ぷら、寿司なども江戸時代に作られた料理です。
 出汁に鰹節、味付けに醤油が定着したのもこの時代です。

 あまりに書けることが多いので、寿司に話を絞りましょう。

 現在の握り寿司の原型は、華屋與兵衛はなやよへいが作ったとされます。酢飯、わさびを使用した、現在の握り寿司に非常に近いものでした。
 これがお江戸で大流行。お寿司は最初、ファーストフードだったんだとか。

 握りのサイズはおにぎり大。
 明治、昭和と時代を経るごとに、現在のサイズに近づいたんだそうです。

 多くの日本文化が、江戸時代に花開いたといえます。和食もその1つでしょう。

伝統と革新の和食と文化の歴史

 和食の原型となった本膳料理のルーツは、平安時代の大饗にまで遡りました。平安時代の料理である六盛は、鎌倉時代の道元の精進料理によって姿を消していきました。
 江戸時代や安土桃山時代には、外国の料理も取り入れられました。

 例えば天ぷらは、その好例でしょう。もとはポルトガル語の「Tempero」が語源だそうです。

 本膳料理のルーツが、平安料理にあるとすると……現在の和食のルーツもまた平安時代にあると解釈できます。

 和食とは伝統を伝えつつ、革新もまた漸進的に繰り返してきたのです。
 本稿で取り上げた料理は、その時代のイノベーションと言えます。

 伝統とは決して「古いものを伝えるだけ」ではなく、伝統を土台として革新を続けるものであったのです。

文化論から解釈する、保守思想

 保守思想は伝統を大切にします。伝統とは自生的に、その土地に根付いたものだからです。
 伝統は「合理的ではないと、思う部分」もあるでしょう。時代にあっていない、という部分も出てくるはずです。

 しかし不都合な部分が出てきたからと、全てを新しくするのは「愚の骨頂」です。政治的には「改革」と表現される運動です。
 一度ぶっ壊して、作り直してしまえ! という運動です。

 同時に保守思想は伝統を大事にするからこそ、他国の伝統や文化も尊重します。

 日本には様々な政治・経済の言論が溢れています。しかし文化を学び、足元を見つめ直す必要があるのではないか? と痛切に感じます。
 あまりにもあふれる言論の「薄っぺらさ」を感じてしまうからです。

 本稿を通して少しでも、和食や日本の文化に興味を持っていただけたら幸いです。

コメントを残す

  Subscribe  
更新通知を受け取る »
当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民