ジョジョの忠義な哲学 第5部~6部まとめ|忠義を育てるッッ!

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 アメリカの哲学者ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Josiah Royce / Philosophy of Loyality)を漫画『ジョジョの奇妙な冒険』とミックスして超訳したものを、旧「進撃の庶民」ブログで連載させていただきました。全8部のうち、1~4部のまとめを再掲したのに続き、今回は5・6部のまとめです。テーマは、忠義の育成と普及。

 通常翻訳版の第5章はこちらから、ジョジョ訳版第5部はこちらから読めますので、御興味のある方はどうぞ。

 第1部から4部で語ったとおり、家族や仲間、郷土や祖国といった大切なもの(「義」)のために懸命に行動すること――すなわち忠義は、人の最高善です。

 とはいえ、忠義は「一度手に入れたら一生安泰」なんてものじゃありません。幼い頃から家族や友人たちの中で、地域や学校、部活動などの中でじっくり育まれ、大人になってからも自ら鍛えていくものです。

[忠義の定義 ACT1]!
忠義とはッッ、 「自らの「義」を選び取ること、
その「義」のために懸命に行動すること」だッッッ!!!


ということですが、人が忠義になろうとしても、その前提条件が調っている必要があります。

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忠義の育成・普及に必要なこと、その1 「人々が十分な知力・体力・精神力を身につけられる」

 子供のうちに十分な養育を受けられなかったり、食うや食わずのギリギリの生活を強いられたりでは、人々は自分の選び取った「義」のために行動する実力をつけることが困難です。

 そのような環境でも、「忠義」となれる人はいるでしょうが、大抵の人は自分の命をつなぐことに精一杯。「自分自身を超える価値」を見出す余裕を持てない。

 ですから、教育や生活の保障というのは忠義の育成・普及にとっても大事なことです。 物質的な豊かさを得た現代社会では、この点についてはひとまず及第点とも言えますが、緊縮財政によるデフレで国力を削がれ続けている日本の場合、油断はできません。貧困層の増加、格差拡大は忠義の敵。一刻も早く積極財政に転じて国力を成長軌道に乗せてほしいものです。

 とはいえ、現代の私たちが享受している豊かさ。これが逆に私たちを忠義から遠ざけてもいます。

忠義の育成・普及に必要なこと、その2 「忠義になれるチャンスが多種多様に存在する」

 他者と関わりを持たずとも、自分の利益や気楽さだけを求めて生きることが昔よりずっと簡単にできるようになっています。個人主義の仮面をかぶった利己主義・自分勝手主義が寛容の名のもとに許容されています。

 特に家族との関係というのは、大抵の人にとって最も身近な「義」であり、本来なら忠義のチャンスですが、これすら軽視されがちです。

 組織や企業、政党といったものも忠義のチャンスとなり得るものですが、これまた「自分たちの部署、グループさえ良ければ後はどうなろうと関係ない」という料簡の狭い、紛い物の忠義が蔓延しています。(これを『ジョジョの忠義な哲学』ではプチ忠義、略して「プッ忠義」と呼んでいます)

 この「プッ忠義」は、組織益に反する個々人の忠義を抑圧することも多い。しかし、上からの命令や組織の方針に盲従するのは決して忠義ではありません。忠義はあくまで、個人が自ら選び取った「義」のために行動すること。選択の余地が少ない場合もありますが、本人の納得と判断が必要です。思考停止では忠義になることはできません。

 人間それぞれ、才能も性格も違うもの。忠義を普及しようというなら、各自が選び取る忠義の在り方を許容する必要がある。たとえ「同じ会社」を「義」としてその利益のために行動するとしても、それぞれの忠義を尊重すべきです。それが忠義である限り。

 一方、多様な忠義のチャンスを保障するとしても、「プッ忠義」になったり、それどころか他者の忠義を破壊するばかりのものになったりしてはいけません。

[忠義の定義 ACT2]!
忠義は伝染する善であるッ
他人の忠義に敬意を払い、人類忠義の拡大を志す!
忠義に対して忠義であれッッ!


 忠義の拡大と調和に資する、それが真の忠義です。
ということで、

忠義の育成・普及に必要なこと、その3 「忠義への忠義の価値をわかりやすく示す」

 忠義に対して忠義であること―― 
 これはすなわち、他者の忠義に敬意を払うこと、互いの大切なもの、背負っている価値を尊重すること。また、助け合い、高め合うことでもあります。

 つまりは社会における人々のつながり、絆を強くし、調和させるものです。 この絆が安定して存在し得る最大の範囲は、今のところ「国家」であろうと思います。

 人々が文化や習慣、歴史をある程度共有できていなければ、摩擦や軋轢が大きすぎて、共存することが困難ですから、「国家」という枠組みは忠義にとっても重要なものでしょう。

 ところが、現代社会にはヘーゲルの言う「人間疎外」やオルテガの言う「大衆」が蔓延しています。(ついでにニーチェの言う「ルサンチマン」も……)

 人々は国家や地域といった共同体から遊離し、自己満足ばかりを得ようとして、その邪魔になりそうなものを攻撃する。人々の調和ある絆が壊され、「忠義への忠義」の価値は忘れられつつあります。

 個人を超える大きな共同体――「国家」などは自分とは関係のない巨大な権力であって、逆らわずに服従するか、無難にやり過ごすか、あるいは自分のために利用できればラッキー……そういう感覚が一般に広がっています。

 この状況を挽回するにはどうするか。

 人はひとりで生きているんじゃあない。 家族や周りの人、農家や漁師、運送業者、土建業者、警察、医者…… いろんな人たちに支えられている。 そういう人々のつながりを感得し、大事にしていかなければなりません。

 重要なのは、身近なコミュニティ。 自分の住む町や地域に愛着を持ち、より良いものにしようとする……地元への忠義です

 町のインフラをしっかりしたものにする。 孤独や貧困に悩む世帯に気を配る。 治安・防犯活動に協力する。などなど。 自分の住む地域を「自分の事」として考え、積極的に行動する。 それが地元への忠義の第一歩でしょう。

 身近なコミュニティが、文化や歴史、習慣などのある程度共通する範囲で統合されて成立するものが国家。 すなわち、数多くの「地元への忠義」――「小さな忠義」を総合して調和させるものが「国家への忠義」――「大きな忠義」と言えます。

「国家への忠義」は、大きな忠義=「忠義への忠義」の重要な実例。
『忠義への忠義』こそ真の忠義であり、最高善であることをわかりやすく示してくれるものなのです。そこに至るためにも、まずは賢明な地域主義、地元忠義を実践し、発展させなければなりません。

 ということですが、さて。
 忠義を実践し、発展させる……実際にはどうすればいいのか?

忠義の育成・普及に必要なこと、その4 「先達」

 もちろん、忠義は個人に基づくもの。 自ら「義」を選び取ってそのために行動するわけですが、それでも「こうやったらいいんだよ」「一緒にやろうぜ」って言ってくれる先輩やリーダー的存在がいると心強いですよね。 (地域への忠義のために、自治会とかに関わろうという場合は特に……)

 忠義のロールモデル、手本を示してくれる存在、「先達」はあらまほしきものなり、です。

忠義の育成・普及に必要なこと、その5 「理想」

 では、忠義を広めるために「先達」が行うことは何か。
 
 それは「「義」の「理想」化」です。
 組織や会社の理念、ビジョンを語り、目指すべき「理想像」を描いてみせること。 またその理想に向かう姿を体現してみせることでしょう。

 優れた経営者なら、会社の夢を熱心に語り、率先して働く。
 学校長はあるべき学校の姿を教員たちに説き、そのための教育活動を実践させる。
 明治天皇もまた、この忠義の「先達」にあたる方だと思います。 「五箇条の御誓文」においては「朕躬を以て衆に先じ」、教育勅語においては「朕爾臣民とともに」との決意を表わして、我が国の近代国家化建設の精神、その目指すべき「理想」を示されたのですから。

 この「義」(国家や地域、組織やチーム、会社、家族など)から導き出される「理想」は忠義にとって極めて重要なもの。

 忠義の人は自らの言葉や行動を、この「理想」に照らし合わせる。「理想」は、私たちが先人たちから受け継いだ道徳性と合わさって、判定者となるのです。

 すなわち、「理想」は「良心」となって、私たちの行為が正しいのか、そうでないのか、また何を為すべきかを示してくれる。

[忠義の定義 ACT3]!
忠義とはッッ あらゆる「道徳」の中心にして「良心」の要求!
「義」を選ぶにあたっては「果断」、「義」に尽くすにあたっては「誠実」となるッッ
「良心」は言う、「忠義に対し忠義」であれッッ!


 ということで、私たちの「良心」は「忠義への忠義」=真の忠義に近づくよう求めてくるわけですが…… 自分の忠義をそのように成長させるにどうするか。

 まずは「先達」にヒントをもらいたいですね。
 しかし、その「先達」が共通の「義」を持つ人――職場の同僚や上司、近しい友人や仲間――に限られていては不十分です。

 料簡の狭い小さな忠義にとどまらぬためには、赤の他人はもちろん、ライバル、敵の中にも、そこに忠義があるならばそれを見出し、敬意を払う。忠義の「先達」と見立て、私たちは自らの「義」の「理想」を描き、より良いものにしていかなくてはならないのです。「忠義への忠義」、大きな忠義を求めて。

 とはいえ、「仕事VS.家庭」をはじめ自分の中での「義」の矛盾を調和させるだけでも難しいのに…… 他人や敵の忠義にも敬意を払い、自らの忠義と調和させ、人々に忠義を広める――大きな忠義を目指すなんてことが実際にできるのか?  

 大きな忠義の実例である「国家への忠義」で言うならば……
 日本の中に数多くの「義」があり、場合によっては利害の衝突、忠義同士の対立がある。「地域社会VS.営利企業」「労働者VS.経営者」「左派VS.右派」「A社VS.B社」「巨人ファンVS.阪神ファン」などなど……

 それぞれの「義」のために懸命に行動する小忠義を調停し、互いに尊重させ、大きな「義」=「国家」への忠義に糾合する。「国民誰もが豊かに仲良く暮らせて、外国の圧力に屈せず、世界の手本となる国家」というような理想像に向かって協力できるようにする。

 言語、文化、歴史、習慣などがかなり共通する日本人同士であっても、相当に難しい。 おまけに忠義にまったく興味のない、「自分さえよけりゃあいい」「他者を蹴落とすことばかりに喜びを感じる」人たちだっているのですから、 「国家への忠義」のような大きな忠義を志す人は、挫折や敗北を免れない。

 もちろん、それぞれの「義」に忠義な人たちだって当然、挫折に直面します。「家族」の死や「仲間」の裏切り、「会社」の不祥事、「郷土」の被災など。これによって忠義が破壊される場合もあるでしょう。

 しかし、忠義の大小を問わず、挫折や敗北は「「義」の理想化」を大きく進めるチャンスでもあるのです。幕末の頃、欧米列強に屈して関税自主権を失い、治外法権を認めざるを得なかった日本が、廃藩置県を断行、近代統一国家を目指して歩み始めたように。大東亜戦争敗戦後の日本が、国民誰もが豊かさを実感できる国家へと復興していったように。

哀しみ、悲嘆が忠義を育てる

忠義の育成・普及に必要なこと、その6 「試練」

 挫折や敗北は哀しみを、絶望をもたらします。「義」も「理想」も失われたように感じます。怒りに囚われ、ただ報復せずにはいられなくなるかもしれません。

 しかしそんな状況でも、失われたものの内に新たな「義」を見出し、よりレベルアップした「理想」を描き、大きな忠義へと向かう。

 辛い苦闘、努力。この「試練」もまた、忠義の育成に不可欠なものです。

 「義」とはッッ!
1 自分自身の「外」にあって、自分自身よりも価値がある
2 単なる個人意思を超越している
3 人を他者と結びつける(絆を生み出す)
 この3つを満たすもの。


「死んだら終わり」ではない。
 敗北や挫折、裏切りや死によって失われたように見えても、決して消えない価値を内包している。

 「永遠真理」に連なるものがあるのです。

「永遠真理」とは何か? それについては、次回「第7部・8部まとめ」にて。

 通常翻訳第7章はこちらから。 ジョジョ訳第7部はこちらから読めます。

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