ジョジョの忠義の哲学 第1部~4部まとめ|忠義とは人の最高善であるッッ!

この記事は約7分で読めます。

 ラドヤード・キプリングの『海山物語』の翻訳をお送りしていたところですが、今週は諸般の事情により、標記タイトルを掲載させていただきます。
 アメリカの哲学者ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Josiah Royce / Philosophy of Loyalty)の第1章~4章を漫画『ジョジョの奇妙な冒険』とミックスして超訳したものをまとめたものです。

 通常翻訳版はこちらから、ジョジョ訳版はこちらから読めますので、御興味のある方はどうぞ。

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忠義は「義」のために懸命に行動するッッ!

「忠義」……
「忠」はまごころ、心をこめて務めを果たすこと。
「義」は道理、正しい筋道、大切なこと。
それが、本シリーズでの意味です。
(国語辞典に載ってるのとは少し違いますが……)

[忠義の定義 ACT1]!
忠義とはッッ、 「自らの「義」を選び取ること、

その「義」のために懸命に行動すること」だッッッ!!!

『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』の言い回しを借りるなら、

「あのな、忠義のなり方はかんたんだぜ
自分の大切な「義」を守ろうとか、
「義」のためにがんばるぞって決心すりゃあいいんだよ。
あとはそれを行動に移すだけさ」
というところですね。

で、「義」とは何かというと……

1 自分自身の「外」にあって、自分自身よりも価値がある
2 単なる個人意思を超越している
3 人を他者と結びつける(絆を生み出す)

この3つを満たすものです。


忠義を尽くす対象というと、王様や将軍といった特定個人を思い浮かべがちですけど、実は違うんですよね。
忠義の対象である「義」……
これは「正しいと信じる夢」「かけがえのない大切なこと」と言い換えられるかもしれません。
「命を懸ける価値がある」と人が信じるものですね。

例えば、家族や友情、祖国や郷土の繁栄、学問や芸術の発展といったところでしょうか。
「義」は個人を超えた価値を持っていて、人々を結ぶ「絆」ともなります。
そういう「義」を自分の意思で選び取る。

ですから、忠義は誰かに強制されるものではありません。
選択の余地が極めて少ない、という場合もあり得ますけど……
それでも最終的に決められるのはその人個人です。

忠義は個人に基づくものなんです。
どういう「義」を選び取るか、どんな風に「義」を組み合わせるか、
どんなやり方で「義」のために行動するか……
個人個人で忠義には無限のヴァリエーションがあります。

社長、職人、商売人、料理人、公務員、主婦、学生……
あらゆる人にその人なりの忠義のチャンスがあるんです。

でも、忠義の精神そのものは共通です。
「義」のために行動することが楽しい! 
「ガンガン意欲が湧いてくる!」
「ふるえるぞハート 燃えつきるほどヒート!」(※1)ってなもんです。

「義」のための行動がイコール仕事、職業になってる場合も多いですね。
実際、自分で気づいていなくても忠義に生きている人って、ぼくらの周りにもたくさんいます。
子育て中のお母さんなんて、大抵そうじゃないでしょうか。

そんな忠義は、その精神を持つ者にとって、これ以上ないほど良いものです。
「何のために生きるのか?」
「なぜここにいるのか?」
「自分は何か役に立つのか?」
「自分に生きる意味はあるのか?」
という人生最大の疑問に答えを与えてくれるんですから。

忠義に対して忠義であれッッ!

というわけで、忠義は個人にとっての最高善ですが……
さっきの定義からすると、「義」は必ずしも善いものとは限らない。

例えばテロリストの信じる「義」なんかそうですけど、
本人にとっては大切でも、他人から見れば害悪なこともあります。

また、「義」と「義」が矛盾することもありますよね。
身近な例で言えば、「仕事と家庭とどっちが大事なのよォォッ?!」 というところでしょうか?
顧客や会社、ひいては世のため人のために仕事に打ち込む。
でもその仕事は、大切な家族の生活のためでもある……
できる限り、うまくバランスをとる必要があります。

ところがこの「義」の矛盾が抗争、忠義のつぶし合いにつながることもあります。
幕末の日本で言えば、「旧幕府Vs.新政府」の戊辰戦争でしょうか。
国家と国家の戦争でも同じですね。

矛盾する「義」を調和させ、「忠義の破壊」という最悪の事態を食い止めるにはどうすればいいのか……

それは、シンプルなたった一つの答え。
「忠義に対して忠義であれ」です。

「忠義に対して忠義であれ」とは、
忠義そのものを「義」として、そのために力を尽くせということ。
自分のだけでなく、他人の忠義も大切にする……
できるだけ多くの人々が「忠義の心/人の最高善」を持てるように努めるってことです。

これを元に考えると……「義」の善し悪しもわかります。
忠義にふさわしい「義」、すなわち善なる「義」は、他人の忠義をも助け、成長させる。
逆に悪しき「義」は、他人の忠義をおとしめ、破壊する。

この「忠義に対して忠義であれ」の精神に則って、自分の「義」を選び取る。
自分の中で、矛盾する「義」を調和させる。
そして、他者の忠義に敬意を払いつつ、自らの「義」のために懸命に行動する。
それが正しい忠義……「真の忠義」です。

身近なところで言うと、スポーツでの「フェアプレイ精神」ですね。
自分のチームのため、勝利のために正々堂々とプレイする。
相手チームに敬意を払い、全力を尽くす。
試合が終わったら、同じアスリートとして健闘を称え合う。

スポーツの試合はともかく、本来の忠義は、他者の忠義との争いを避けようとするものですが……
残念ながら、世の中避けられない闘いはあるものです。

でも、真の忠義はそれすら利用して「人々の忠義」を育てるんです!
日露戦争で敗軍の将となったステッセルに帯剣を許し、その健闘を称えた乃木大将のように。

乃木将軍「持ってていいよ」
ステッセル「えっ、ホントに?」

忠義は、その行動を見た人、聞いた人へ広がっていくもの。 忠義は伝染します!
他の人々の心の中にも自然としみわたって行くもの」(※2)

「忠義への忠義」は人々の忠義そのものを「義」とすること。

この「忠義」という「義」は多くの人々を結ぶ「絆」、「信頼の絆」をもたらします。
それはこの社会を安定させ、持続させるのに不可欠です。


[忠義の定義 ACT2]!
忠義は伝染する善であるッ

他人の忠義に敬意を払い、人類忠義の拡大を志す!
忠義に対して忠義であれッッ!

忠義とは良心の要求!

昔から大事にされてきた道徳っていろいろありますけど……
親切、正直、遵法、勇敢、勤勉に謹厳などなど。
でも、ちょっと考えただけでもそれぞれ矛盾や疑問がありますよね。

「ウソはダメだ、正直であれって言うけど、ばか正直はマズいよな」
「人にやさしくするのはいいけど、過保護はよくないよね」
「法律やルールは守るべきだけど、それだけじゃ割り切れないものがあるよ」

単純愚直に道徳ルールを適用するのは いかにもヤバい。
臨機応変のさじ加減が大事ですけど…… その決め手はやっぱり忠義!
「忠義への忠義」です。

「たとえ本当のことでも、それが単に他人の忠義を傷つけるだけのことなら、口にしない」
「人が「忠義の心」に目覚めるようなやり方で、親切にする」
「多くの人々の「忠義の心/人の最高善」「信頼の絆」を棄損するような法やルールは間違っている」

「忠義への忠義」を基本において考える。
それが守り育んでくれる「人々の信頼の絆」を念頭に考えるんです。
すると、伝統的な道徳の本来の姿が見えてくる。
それがやっぱり大切だってことがわかります。


正義、慈善、勤勉、賢明、節制、寛容……
全てはッ!
「人類忠義拡大」の「流法(モード)」(※3)なんです!!

すなわち人はッ
正しく忠義であればすべてヨシ!

道徳にとっての忠義は、法律にとっての憲法みたいなものです。

そんなスゴいものがあるなんて……と疑う向きもあるかもしれませんね。
でも、人の道徳的判断や行動判断の善し悪しをごく自然に決してくれる……
そういうスゴいものを多くの人はすでに持ってるはず。

良心です。
先人たちから受け継いだ道徳性という土壌に咲く花。
忠義の人にとって良心は、自分が選び取った「義」によってもたらされる理想です。
その理想に照らして自分の思想や行動の適否を判断するわけです。

そして正しく忠義であるならば、その人の良心は「忠義への忠義」「人類忠義の拡大」を基準として、道徳的疑問に答えを与えてくれるでしょう。

[忠義の定義 ACT3]!
忠義とはッッ あらゆる「道徳」の中心にして「良心」の要求!
「義」を選ぶにあたっては「果断」、「義」に尽くすにあたっては「誠実」となるッッ
「良心」は言う、「忠義に対し忠義」であれッッ!


次回(再来週)は通常連載の『海山物語』の続きです。

『ジョジョの忠義な哲学』5部・6部のまとめも近日中に掲載します。

(※1『ジョジョの奇妙な冒険』第3巻)
(※2『ジョジョの奇妙な冒険』第47巻)
(※3『ジョジョの奇妙な冒険』第9巻)

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