ソ連崩壊後、約30年。資本主義の先鋭化とも捉えられる新自由主義が、世界経済を席捲してきました。すなわち国境を越えたグローバル大企業による荒稼ぎです。が、さすがに各国で反発が生じ、コロナ禍の影響もあってそれが加速しています。そして遂に資本主義の強さの源泉が明らかになってきました。今回は資本主義の正体、その弊害の克服について考えてみたいと思います。そのカギは資本(負債)の力、そして日本の伝統的価値観です。
「資本主義」とは?
まずは言葉の定義を確認しましょう。「資本主義」という言葉は「資本」と「主義」から成ります。
資本とは
ア 商売や事業をするのに必要な基金
イ 生産の三要素の一つで、工場や機械、材料や在庫など、新たな生産のために投入されるもの。過去の生産の蓄積でもある。(生産の三要素、あとの二つは労働と土地)
ウ 財務諸表上、資産(借方)と対比される貸方。この場合は総資本とも呼ばれ、負債=「他人資本」と純資産=「自己資本」の合計となる。自己資本のみを指して「資本」と言う場合もある。
参考:コトバンク
主義とは
ア 正しいと信じて守る一定の主張。
イ 思想や学説の拠って立つ原理、原則。主として守る思想的立場。(principleの訳語)
ウ 特定の原理に基づく社会体制、制度など。(-ismの訳語)
参考:コトバンク
資本主義(capitalism)とは
Oxford Lannguages によると、
生産手段を資本家・企業者の階級が所有し、自分たちの利益追求のために労働者を働かせて生産を行う経済体制。
コトバンクを参考にすると、
労働力を商品化し,剰余労働を剰余価値とすることによって資本の自己増殖を目指し,資本蓄積を最上位におく社会システム。すべてのものを商品化する傾向をもつ市場システムであり、資本蓄積を進める近代諸国家が競合する世界システムでもある。
「資本」のイと「主義」のウの意味によって「資本主義」という言葉は表現されているようです。
資本主義の価値基準
もっとも、「主義」というとどうしてもアやイの印象があります。つまり、「正しいとされる価値観」であり、それによって「資本」に「価値判断の基準」というイメージが与えられます。自由主義が自由に、財政均衡主義が財政均衡に、現場主義が現場での仕事に最高の価値を認め、判断の基準とするように。かつては民本主義や農本主義という言葉もありましたし。
そもそも、-ism には教義という意味もあります。上記の資本主義の定義でも「資本蓄積を最上位におく」とありますが、それは経済システムであると同時に、信条や価値基準でもあるわけです。
日本の国柄、伝統的価値観と資本主義の本質
とはいえ、「資本蓄積を最上位におく」ような価値観が日本の国柄、伝統的価値観に合うのか。
我が国の古来からの信条は、神武天皇の橿原建都の詔にあるように、
民の利と安寧を図り、神を尊び、道義を重んじる心を広め、上下が思いやりあう、国という一つの家です。
合うわけがない。「資本蓄積を最上位」に置き、「生産手段を資本家・企業者の階級が所有し、自分たちの利益追求のために労働者を働かせて生産を行う」のですから、原理的に労働者(民)の利は図られない。
資本主義は人間を計算可能・置換可能な金銭的価値としてのみ見る。人間性を削ぎ落し、人を単なる労働力として、資本蓄積のための捧げものとする。それが資本主義の本質でしょう。
明治期以来の資本主義批判~皇道経済学
明治期以来、資本主義は多くの思想家・言論人に批判されてきました。戦前の資本主義による共同体破壊・格差拡大・民の苦境については、右翼~国粋主義、左翼~社会主義の別なく問題視し、時には協力し合うこともあったようです。
また、アダム・スミスやマルクスらの西洋経済学に対し、皇道経済学というものも生まれました。残念ながら学問として体系だったものにまでは至らなかったようですが、その第一の特徴は、
(一)肇国の理想と家族的共同体
『資本主義の超克 思想史から見る日本の理想』小野耕資著 展転社 令和元年 p.173-174
皇道経済学では国民を大御宝と見なし、国民の安寧が肇国の理想であったとする。我が国の社会は国民共同体であり、その共同性は天皇によって体現される。明治維新の根本精神は、国民共同体の回復にあり、五箇条の御誓文においても「上下心ヲ一ニシテ盛に経綸ヲ行フヘシ」「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」と国民共同体実現のための方策が謳われていた。しかし資本主義の進展によりその共同性は失われていった。それを取り戻さねばならないとするものだ。
その意気やよし!というところですが、上記のほかに挙げられた4つの特徴では現代のSDGs的とも言うべき、精神偏重・物質的成長軽視の感があります。これでは資本主義には勝てない。現実はあくまで物質的供給力がモノを言うのですから。
結局、資本主義大国アメリカとの戦争に敗れたことで、皇道経済学は世から忘れられました。代表的学者であった難波田春夫は昭和51年に『共同体の提唱』という本を出しているのですが、その中で国債発行額の膨張に警鐘を鳴らすなど緊縮志向を見せています。
資本主義はその後、ソ連を頂点とする社会主義に打ち勝ち、文字通り世界をまたにかけて荒稼ぎするわけですが……
資本主義の正体/力の源泉
現代において、資本主義の力の源泉が遂に明らかになりました。
以下の記事によれば、資本主義は「負債を拡大しながら、経済成長する」こと。
国家における負債(自国通貨建て)の拡大を中央銀行制度が支えることで、無制限に近く経済成長を促せます。
会計においても、資本(貸方)とは負債+純資産。
資本主義は、負債(資本)を拡大しながら生産・供給力を向上させ経済成長していく。
お金は借りられることによって、その分あらたに生まれる。
それが「信用創造」と呼ばれるものです。すなわち、負債こそが成長の源。
そして、それを最終的に支えるのは、自国通貨を発行できる政府です。
現に日本政府は不十分ながら、円建ての国債を負うことで日本銀行に新たな通貨を発行させて、必要な事業を行っています。
資本主義の理~財政拡大
国債は実質的には返済の必要はなく、政府にとってはひたすら増加する通貨発行残高に過ぎない。
名ばかり負債です。国債所有者の国民や銀行にとっては利子がもらえる資産ですが、その利子すら政府にとっては新たな国債発行~通貨発行でまかなうことが可能。
すなわち、減税する、給付金を出す、公共事業を増やすなどの財政拡大で、苦境にある国民を救いつつ、大いに経済を成長させることができるのです。資本主義の理でもって国民を救えます。インフレ率の暴騰だけが注意事項ですが、長期のデフレ傾向の我が国においてそれを心配するのは時期尚早も甚だしい。
以下の記事の分析によれば、1年間一人毎月10万円配ったところで物価も長期金利もほとんど上がりません。むしろ雇用者報酬は大きく上がり、失業率は下がります。
【小野盛司】[特別投稿]シミュレーションで発見した日本経済を発展させる方法(前編)
国柄に基づく資本の行使が、資本主義を超克する
共同体破壊・格差拡大・民の苦境という明治以来の難題、資本主義/新自由主義の弊害を克服するには、
日本の国柄・伝統的価値観に基づき、
「上下心ヲ一ニシテ盛に経綸ヲ行フヘシ」
「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス」という志の下、
政府を動かし資本(負債と生産能力)を存分に行使させねばなりません。
日本の伝統的理想に基づき、国民の安寧を図ると共に経済を成長させるのです。
経済成長を「利益追求」として忌避し、精神や文化の面のみ振興しようとも、それは決してかないません。激烈な利益競争にある世界において、経済成長に背を向けることはすべてをあきらめること。以下の記事でも書きましたが、そもそも成長は日本人の自然でもあります。
富豪は金儲けのために国家を使う。国家を害し、同朋を傷つけようとも、金の為なら何でもする。
上杉愼吉『日本之運命』37頁 前掲書p.40より
上記は戦前の法学者、上杉愼吉の言葉ですが、この状態は現在も同じ。
私たち国民が政府を動かし、同朋を救うようにしていきたいものです。