経世済民の読み方と意味-経世済民をわかりやすく深掘り解説

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Economyを経済と訳した一人、福沢諭吉が一万円になるのも納得ですね

 経世済民は経済の語源。最近では、よく知られた話です。しかし「経世済民」で検索してみますと、客観的かつ無味無臭な解説ばかりでうんざ……いや、面白くありません。

 またWikipediaの経世済民の項目はやたらと詳細で、難しいので読みたくありません。

 深掘りしつつ、わかりやすく解説はないものか……と考えた結果、ないなら自分で書こうとなりました。
 ちょっとした蛇足もとい脱線なども含みつつ、経世済民の意味や、経済という言葉になった背景を深掘り解説します。

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経世済民の読み方

 経世済民の読み方は「けいせいさいみん」です。よく「けいせいいみん」と読み間違える人を見かけますが、このように入力しても漢字に変換されません。「形成在民けいせいざいみん」とATOKでは変換されてしまいます。

 経世済民はGoogle日本語入力、ATOK、Microsoft IMEのどれでも変換可能です。もし「けいせいさいみん」と入力して、経世済民と変換されない場合は辞書登録しましょう。

経世済民の意味

 経世済民は「世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと」という意味です。またはそうした政治を指して、経世済民といいます。
 転じて現代では、経世済民を略して経済といいます。

 もともと経世済民という言葉の語源は、中国の古典です。「経」は治める、統治するの意、「済」は救済する、救う、援助するの意となります。
 つまり「世を治めて、民を救う」ことが経世済民です。

 同じような言葉で「経国済民けいこくさいみん」があります。こちらも経世済民と意味は同じですが、IMEによっては漢字に変換できないものもあります。

 経済は西洋のエコノミー――Economy――の日本語訳です。堀達之助や福沢諭吉らによって、19世紀に経世済民を略した経済という言葉が日本語訳として当てられました。

政治論としての経世済民

 経済の語源である経世済民の意味を鑑みれば、経済とは「世を治め民を救うもの」であるはずです。従って経済学とは「世を治め民を救うための学問」のはずでした。

 現代では、経済政策を考える分野を「公共経済学」といいます。わざわざ公共をつけなければならないほど、経済学から公共が蒸発しているのです。

 経済学から公共が蒸発した理由は、単純にして明快です。主流派経済学である新古典派経済学の、根本的な世界観が合理的経済人や原子論的個人に依っているからです。
 簡単にいえば「スーパー個人主義で自己責任のみの世界観」が、主流派経済学の世界観です。

 したがって主流派経済学は論理的には「経済――すなわち経世済民」の学問とは呼べません。世も治めず、民も救わないからです。

 経済の語源である経世済民に立ち返ると、現代の経済学や経済政策の見直しが必要だと痛感するはずです。

おまけ「新」経世済民新聞など、経済がつくメディア

 ここからはやや蛇足です。おまけとしてお楽しみください。

 経済が名称につくメディアは、たくさんあります。日本経済新聞、略して日経新聞はその代表格です。

 しかし日経新聞の紙面は、主流派経済学の見解が大半を占めています。つまり「スーパー個人主義的で、超自己責任論な理論体系」が、紙面の大半です。
 経済の意味は上述してきたように、世を治め民を救うことです。

 日本経済新聞は名前負けしている、と評されても仕方のないことでしょう。

 2010年代に三橋貴明氏が立ち上げた、「新」経世済民新聞はご存じでしょうか。三橋貴明氏を筆頭に、藤井聡氏、佐藤建志氏、施光恒氏など経世済民な保守陣営がコラムを寄稿する、密度の高い情報メディアです。

 「新」経世済民新聞によれば、立ち上げの理念は国民を豊かにすることです。現在は大手マスコミやメディア、政治なども経済の意味を理解していません。よって発信される情報も、国民を思考停止に追い込むようなものが多いです。

 その状況を打破するために、経世済民の思想に基づく密度の高い情報や理論、解釈などを発信し、国民の知識レベルの向上を目的としたのが「新」経世済民新聞だそうです。

 我々進撃の庶民も、全く同様の思想の元で活動していますので、ご紹介差し上げました。

「新」経世済民新聞
国民全体が豊かになる「経世済民の国家」を実現する経済とは「経世済民」、つまり「世

経世済民の読み方や意味のまとめ

 経世済民の意味を検索すると、国語辞典の通り一辺倒……ではなく、非常に客観的かつ無味無臭な解説ばかりです。
 読んでいて「これは面白くないなぁ……」と、筆者は感じました。

 「面白くないなら、面白くすればよいじゃない」と、心の中のマリーアントワネットがつぶやいたとかどうとか。
 なければ書こう、が筆者のモットーです。というわけで本稿となりました。

 19世紀の日本では、西洋の知識を取り入れて日本語訳するために、多くの日本の知識人や文人たちが果てない努力をいたしました。
 その結果、我が国は母国語で大学教育をできるまでになったのです。
 ちなみに韓国は大学教育が、英語だそうです。また日本も明治の頃は、大学教育は英語でした。当時の大学生は、英語を学ぶだけでヘトヘトだったそうです。

 先人たちの果てない努力の成果として、現代日本の国語が存在します。経済――経世済民――という言葉も、先人たちが知恵を絞ってEconomyに日本語を当てた成果です。

 先人たちに感謝するとともに、経世済民の意味を振り返ってみてはいかがでしょうか。

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