小林よしのり氏は「消費税は国民の証」として、消費税ゼロを批判しました。改めて消費税の正体を解説しつつ、彼の主張のおかしさを指摘します。
小林よしのり氏「消費税は国民の証」
7月のことですが、「消費税は国民の証」(小林よしのり)という記事が公開されていました。さすが小林氏、なかなか強烈なタイトルです。
彼の主張をまとめますと……
- 消費税は誰もが納められる税
- 消費税のおかげで、誰もが納税義務を果たせる
- 納税義務を果たさなければ、政治を語る資格も投票の権利もない
- 消費税ゼロは損得のみ考える左翼の主張
しかしこれ、違和感の嵐です。
どこがおかしいのか、順番に考えてみましょう。
消費税の正体
消費税、払うのは事業者
まず、消費税の納税者は一般国民(消費者)ではありません。
納税者は企業、商店などの事業者です。消費税法にそうあります。
一般国民(消費者)は「担税者」と呼ばれます。
国税庁の図にあるとおりですね。
販売価格に上乗せされた消費税分を支払うことで、「税を負担している」。
レシートにも「消費税」が打ち出されています。
消費者は、消費税を担っているのか?
しかし、このご時世、安くなければモノが売れません。
お店は、それまでの販売価格に素直に消費税分を上乗せしづらいのです。
「消費税分還元!」とうたうわけにはいきませんが、その分を値引きして売ることも多いでしょう。
例えば、国税庁の図で小売業者が消費税分を上乗せせずに売った場合…
消費者 :支払総額 100,000
(※レシートには消費税 9,090と記載)
小売業者:売上げ 90,910 消費税③9,090
仕入れ 70,000 消費税②7,000
納付税額=③-②=2,090
本来、消費税分込みで11万円のところ、消費者は10万円しか払っていません。
それでも、小売業者は消費税を負担することになります。(額は少なくなりますが)
これで消費者は「税を担っている」と言えるでしょうか?
業者が売り上げた額のうち、1割分を消費税としてカウントし、
仕入れの1割を控除して納付しているだけのように見えます。
消費者は「代金」を払っているだけ
そうです、消費者が払っているのはあくまで代金なのです。
消費税は、レシートに書かれているだけ。
業者は消費税分を預かってもいません。
消費税分を素直に値上げした場合でも同じです。
実際のところ、業者は毎回の売上に関係なく、
(1年間の総売上-1年間の仕入れ・その他)×10%を消費税として納めます。
「仕入れ・その他」が多額なら納めることもありません。
我々消費者が「負担した」と思っている支払額の10%分、これが実際に納税されるかはわからないのです。
さらに輸出大手企業では、消費税の納税額より還付額が上回ることもあります。
「消費税は誰もが納められる税」「消費税のおかげで、誰もが納税義務を果たせる」とは言えないのです。
参考:「絶対におかしい消費税!【2】」
「消費税のしくみをわかりやすく」
納税の義務と参政権
続いて、「納税義務を果たさなければ、政治を語る資格も投票の権利もない」について。
義務と権利は表裏一体だが……
小林氏の言いたいことはわかります。
義務と権利は表裏一体、義務を果たしてこそ権利を持てるのだ、という趣旨でしょう。
現行憲法における教育・勤労・納税の義務は、生存権・教育権・参政権と表裏一体とされます。
しかし、勤労しないからといって生存権を奪われるなどという話は聞いたことがありません。
「働かざる者食うべからず」という言葉はありますが、働けない人も障害年金や生活保護などで生存を保障されています。
参政権(投票の権利、立候補する権利)についても同じです。
制限されるのは犯罪者で禁固刑になっている人などに過ぎません。
政治を語ることは、思想・言論の自由
法制度的なことはさておき、思想・道徳的に以下のような言い分もあり得ましょう。
「働いて生活を立て、納税して国を支えてこそ、政治を語れる。それができない半人前にその資格はない」
学生運動など、未熟な者が政治を語っても、現実離れしてむしろ有害なこともあります。
しかしそれは、彼らの思想が未熟でツッコミどころ満載なだけ。
言論で解決すべき問題であり、思想や主張を制限せよということにはなりません。
政治を語ることは、思想・言論の自由(権利)の発露です。
そして自由と権利は常に「公共の福祉」のために行使せねばなりません。(現行憲法第十二条)
日本政治の理想
「公共の福祉」に適うかどうか、それを的に誰もが政治を語り、論じてよいのです。
納税していないからといって、委縮する必要はありません。
明治維新、五箇条の御誓文においても、
「上下心を一つにして、盛んに経綸を行うべし」
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」とあります。
誰もが分け隔てなく、政治や経済を論じ、話し合いによって国家を動かす。
それが日本政治の理想です。
消費税ゼロは損得のみ考える左翼の主張か?
「進撃の庶民」はじめ、積極財政を主張する人の多くは「消費税ゼロ」に賛同しています。
消費税は廃止すべき、それが困難なら少なくとも減税すべしという主張です。
消費税ゼロ、実現すれば私たち個々人の使えるお金が1割増えます。
月に10万円使う人なら毎月1万円、同じく20万円使う人なら2万円の増です。
問答無用でうれしいですね。想像するだに笑顔になります。
しかし個人的損得、そのためだけに私たちは「消費税ゼロ」を言うわけではありません。
消費税には以下のような悪があります。
景気減退、経済力抑制
消費税はその名のとおり、「消費に対する罰金」です。
また実態は付加価値税でもあることから、「より良いものをそれに見合う高値で売る」ことに対する罰金ともなっています。
当然、景気は減退し、国民経済は成長せず、GDPも抑制されます。
消費税導入前は10年で8割増だったGDPが、導入後は10年でわずか15%、20年でも16%増に過ぎません。(※景気実感に近い名目GDP)
これは国家としての生産力・供給力が伸び悩んでいることを意味します。
米中などが順調にGDPを伸ばし、軍事力も高めている中、由々しき事態です。
雇用悪化
消費税はその仕組みとして、人件費を外注すると事業者が節税できるようになっています。
自社で雇用を増やさず、派遣労働や業務委託を選ぶよう仕向ける性質があるのです。
多くの働く庶民にとって、雇用環境の悪化を招くと考えられます。
格差拡大
度重なる消費税増税の裏側で、法人税が減税されています。
法人税減税で増えた企業の利益は株主への配当金となります。
人件費、実質賃金と働く人の所得が抑制される一方で、配当金は20年で6倍以上の増。
大量の株を保有する投資家・富裕層はますます豊かになり、働く一般国民との格差が広がっています。
また、所得の多くを消費に回さざるを得ない貧しい人にとって、消費税の負担はより大きいものになりがちです。
ナショナリズム破壊
消費税で景気減退、国内市場が伸び悩むと、企業は国内に投資をしなくなります。
国家・国民のために働く、カネを使う動機が減退するということです。
すると国民は国家の成長、将来を信じられなくなっていきます。
「日本が住みにくければ外国に移住すればいい」「外国に投資して稼げばいい」「カネがあれば、どこでも生きていける」「国境や国籍にこだわる時代は終り」……。
このような考えの人が増え、国民意識(ナショナリズム)が毀損されます。
消費税ゼロは国民の主張
以上のようなことから、消費税ゼロを訴える。
これは「損得のみ考える左翼の主張」ではありません。
国家、公共の福祉を考えれば当然に至る、国民の主張です。
小林氏やそのシンパの方々にも、そのようにご理解いただきたいと思います。
トップ写真:VAT – Value Added Tax acronym with marker, concept background Jernej Furman
消費税を廃止して消費に向かうだろうか?貯蓄をするに決まってる。
消費税廃止を望むなら、なぜれいわに投票しないんだ?自民に入れるか無関心
国会は権力闘争の場だから、れいわが野党第一党にならなければならない
確かに消費税は天下の悪税だと認めても国民の証にならざるを得なかったのは
所得税、市民税を払う人が少なくなったから。
軍事費を通貨発行権で賄うにも財政法4条、敵国条例をクリアーしなければならない。
出来なければ所得税、法人税、消費税で賄うしかない。
兵役につかなければ、その分税金を支払うのが当然であり
所得税、法人税は累進性課税制度だから稼ぐことで国に貢献している。
正社員になって一人前になりたくない、自由でいたいと推奨した結果
非正規雇用が増大して正社員が激減したから所得税、市民税を払う人が少なくなって消費税で賄うようになった。
左翼の損得勘定、サヨクの損得勘定は国家や公益よりも私益優先だから。
国民より市民、そして「個」の確立でありグローバリズムと相性がいい。
だから小泉純一郎が極左なのを見抜けず、安倍晋三が売国奴で危険人物なのを見抜けなかった。
これも国民意識を封印、忌避したためであり、そのために共同体が崩壊した。
すべて戦争論を読めばわかる話なのに、それを考えて書いたのかな?
過去は正社員になって所得税、市民税を払って結婚して一人前になるのが常識であり、それでこそ社会参加が許される。逆に正社員になるのを忌避して好き勝手にいきることは将来、奈落の底へ一直線に進む。だから小林よしのりは身の丈を越えて天下国家を語るより現場で自分は何ができるのかを考えるプロになれ!とも言ってきた。それについてどう思うのだ?
いくら言論の自由があったとしても、現実は正社員で高い税金を支払ってる人とその日暮らしで怠惰に生きているもの、どちらを聞くのだ?世間は前者の意見を聞く。
社会参加をするとはそういうことだ。