自分達のお金(通貨)を持つということ~和紙職人と散髪屋とお金と物の価値~ 後編

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『平等な消費税が痛みを分かち合う?』

 消費税で痛みを分かち合う、という意見をききました。
 低所得者でも税を支払える「平等な税」なので痛みを分かち合えるといった内容でした。
 そうなのでしょうか。「平等な税」が痛みや負担を分かち合えるのでしょうか?

『経済の本当の分かち合いとは』

 社会に必要な物や、経済的に助けを必要としている人会社に対してお金を発行し財政出動する事、ではないと思います。
 そこは助ける事であって助け合いではない。
 お金を作り財政出動し使い物の値段を「適度」に上げる事が、負担の分かち合いを「始められる」のではないでしょうか。
 物不足で上がった値段を抑えるため、皆がそれぞれ働き物を作りサービスを行い所得を得て、その「所得に応じた税」を納め値段をおさえ、物不足を解消する。
 そしてまた社会に必要なもの助けを必要としている人にお金を作って使い助け、物の値段を上げそれをみんなが物を作る事でおさえる、を繰り返す。
 これが経済の、物作りの負担の分かち合いと言えるのではないでしょうか。
 逆に言うなら適切な財政出動をしない、適正な税にしない、適度な弱インフレにしない、的確にお金を作らない使わない使わせないとは、分かち合い助け合いなんて嫌だ! と言っていると同じなのかもしれません。

『所得に応じた平らではないまっとうな税』

 先ほど所得に応じた税と書きました。
 この言葉を素直にとるなら、所得や給料に応じて税金を支払うということです。
 これは所得給料が多い人ほどたくさんのお金を払うという、金持ちばかりに負担をおしつけ、「平ら(等)ではない」です。
 ところで、以前(『経済の信用って?~飲み屋のツケ~』)に負債には物作りの面もあると書きました。
 この物作りの視点でみたらちょっと違う感想が得られると述べたので、お金と所得と税を物作りの面から言い直してみます。
 
 
所得が高い = 物を沢山作れる人、価値が高い物を作れる人には「たくさん&高い価値を持つ物作り」という多めの負担や義務を負ってもらい、
 
 
所得が低い = 物を作る量が少ない人、品質がほどほどのものを作る人には、「少なめの&低めの価値を持つ物作り」という少なめ軽めの負担や義務を負ってもらう。
 
 
 この様におのおのの物作りの力に合わせて負担を分けるのが、物の価値や値段を適切におさえやすいのではないでしょうか。
 なぜならその逆を考えればわかりやすいです。
 
 
所得が高い人 = 物を沢山作れる人、価値が高い物を作れる人に「少なめの&低めの価値を持つ物作り」を課す。
 
 
所得が低い人 = 物を作る量が少ない人、品質がほどほどのものを作る人に「たくさん&高めの価値を持つ物作り」を負わせる。
 
 
 こんなちぐはぐな負担の分け方で物を作る量が増えるのでしょうか? 価値の高いよい物が増えるのか? それで「物不足」で値段が上がった物価を抑えられるのか?
 所得が高い人は軽い負担で楽が出来るでしょうが、そのしわ寄せは所得が低い(物を作る力が少ない)人に、多すぎる物を作らせる事で押し潰すようになる。
 例えるなら、新入社員にキツいノルマを課し、ベテランや重役らは軽い適当なノルマだけでよいとするようなものではないでしょうか。
 それは物作りの力が弱い人にたくさんの物を作らせようとするのだから、そんな社会は高所得者の周りだけは良い品があるが、全体として見たら質の低い物が多少あるだけになる。
 さらには、高所得者の周りでさえもいずれ物の質は落ちて少なくなっていき、経済は成長せず停滞もしくは衰退していくようにならないでしょうか。
 この様に、お金を通して経済を見るか物を通して経済を見るかで、その見え方は結構違ってくると思います。
 理想なのは両方を俯瞰して眺める事かもしれません。

『個人の見方とみんなの見方』

 これまでは社会全体からの視点で語ってきました。
 それをちょっと視点をかえて個人の視点から見てみると、物の値段が上昇して「適度」なインフレになるとは、みんながあれが欲しいこれが欲しいと、需要が適度に多い事。
 需要の受け皿は、お金でそれを使う支払いです。
 つまり、お金の支払いが適度に多い状態ということなので、よい物を作れば売れやすいということ。
 売り上げが上がりやすい、給料が上がりやすい、ボーナスが出やすいということです。
 全体において助け合いという社会の共益になる事と、個人が儲けやすい私益を自然と結び付ける事が、上手な公の経済と言えるかもしれません。
 適度なインフレにおいて働いてよい物を作る事が、そしてそれを売って自分の儲けになることが、社会全体の役、つまり物価を抑え財政出動しやすくし困っている人を、そして経済や社会をお金を使い助ける役にも立っているという事に繋がるのですから。

『やりすぎ注意』

 ただし、儲かるからと言ってどんどんお金を借りて過剰に使い、自分の金自分の給料をもっともっとと使いすぎたら全体と個、共益と私益のバランスが崩れ、それは高すぎる物価、土地も家も買えないようなかつてのバブルへとなりかねません。
 そうならない為に政府は多すぎる需要を抑える為にそこでこそ増税や歳出削減を行いお金つまり需要を一時的に抑えないといけないと思います。

『デフレ、インフレとは』

 改めてデフレインフレを言い直すと、
 
 デフレとは、負担を分かち合いたくない、自分だけの金給料を増やしていく、他人なんか知ったこっちゃない、デフレの方が自分の金の価値が高まる(物の値段が下がる為たくさん買えるようになる)からいいんだ。
 
 適度な弱インフレとは、みな各々の力に沿って負担を負い、自分達の物作りで助け合う事が可能、かつ私達も働いて儲ける事ができる状態。
 
 行き過ぎた高いインフレとは、みんなが自分だけの金給料を追い求めすぎた結果、助け合いなんてする余裕もなく物作りが追い付かず物の値段が上がりすぎて、自分たち自身が押しつぶれそうになっている。
 こんな風に言えるかもしれません。

『自分だけの金』

 被災地に住んでいないし飲食業界とは関係ないから、そんな見ず知らずの他人の負担なんて負いたくない。
 自分のみ自分だけの金を追求していく事が当人も気づかない本音になっている場合、それは適度なインフレを嫌う様になり、デフレを望む様になるのかもしれません。
 もしくは、バブルの様な高すぎるインフレを知らず知らず望み、望むがゆえに異様に恐れるようになる。
 金を金をもっとくれと執着するようになり、それが自分以外も皆同じだと決めつけ、ひとたび財政出動をすれば金を求め際限なく発行していくのが止められなくなるはずだ!、と心配しだすでしょう。
 そしてインフレを嫌うのがお気に入りになった場合、インフレを起こすのはお金を発行し予算を組んで政府が財政出動などで支出する事、つまりお金を使う事です。
 そうなると財政出動やお金の発行を気に食わなくなっていき、さらにお金を使わせる事をも嫌う様になる。
 お金を使わせる事を嫌うとは、消費を嫌うということ。
 つまり、消費を罰するかのような消費税がとても心地よく、それが正しいと感じ始めるのかもしれません。
 なので消費税増税、そしてお金を発行して使うのを控える歳出削減を褒め称える様になるのではないでしょうか。

『インフレを望む不思議さ』

 インフレを望むとはよくよく考えると奇妙なものです。
 インフレとは物不足の状態でもあるから、もしバランスを崩せば物が手に入らなくなる恐れがあります。
 お金があっても、食べ物も水も電気もガスも買えないかもしれないと思うと、そら恐ろしくなります。
 しかし、それを自分達の物作りの力で克服するとき成長できるのではないでしょうか。

『外からの物不足は注意!』

 しかし、物不足が外からの場合はちょっと違ってきます。
 例えばかつての石油危機、戦争による被害、そして自然からの脅威。
 大災害の被害で経済に悪影響が出た。
 それを、お金の発行し助ける。
 とても必要な事で、しなくてはいけない事でしょう。
 しかし、災害が原因の場合、外に出て積極的に物を作るなんてしにくいですよね。
 余震などが続いている中、安心して物を作るなんてしにくい。
 災害の被害が収まらない限り、デフレ脱却してインフレになり、そこで災害が終息してくれたらよいのですが、もし長引いたらインフレはじわじわ進みついには悪いインフレになる可能性もあります。

『悪いインフレとは?』

 それはお金ばっかり増えてそれに応じた物が作れない状況です。
 外が原因の場合、それを取り除けない限り過ぎ去らない限り、自分達のお金を持っていてもできることは内側(自分達)が原因の場合に比べて限られてくると覚悟は必要かもしれません。

『早く潰れろ!』

 緊急時の情勢にあわせて、給料や所得などの補償が時々話題に上がる事があります。
 特に飲食業や旅行業が厳しいとのニュースを目にします。
 その会社や苦難に陥っている人を助ける為お金を作って使えば、それを行った為にデフレでなくなり、調子にのったら適度なインフレを超えて悪いインフレになる可能性も0ではないでしょう。
 それを怖がりすぎて、インフレになったら出来る事が少ない、負担が増えるのが嫌だ、とお金を発行せず使わないでいるのは、巡り巡って自分の首を絞める事になるのではないでしょうか。
 自分達のお金を作り使う事で、物作りが繋がり助ける事ができるというのは、逆に言うと、お金を発行せず財政出動しないで、私達の物作りをバラバラにしておき見捨てる事もできるということです。
 自分だけ自分の金だけを心配する考えからは、お金を作り使い適度なインフレに近づくことを、助け合いのきっかけと見ることはできず、同じ国民を助けるためお金を使う事を、自分と関係ない他人に金を使ったせいで物の値段があがり、それを抑える為に余計に働かされる、税で自分の金が奪われる、と弱者という足手まといの負担を無理やり背負わされ足を引っ張られていると感じ、それがとても嫌だと考える様になりえます。
 しかし、人知をこえた災害は特定の業界や個人を狙っているのではなく平等に襲ってきます。
 そんなとき、あなたの業界や会社が家庭が苦しくなって生活がままらなくなり助けを求めてもこう言われるのではないでしょうか。
 
「お前とは無関係だし、お前の業界会社や生活や家族がどうなろうとも知ったこっちゃない。お前のせいで金を発行して物の値段があがるのは迷惑だから早く潰れろよ。他人の迷惑を考えろ!」と。
 
 そのような考えに染まってしまう事をなんと呼べばよいのか。
 人でナシ(人に非ず)と言えるかもしれないです。
 それともそれこそが人間らしいのかもしれませんが。

『まとめ』

 自分達のお金があるという事、そしてそれを作りどう使うかもしくは使わないかは良い面も悪い面も繋がっているのかもしれません。

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