45歳定年・解雇規制緩和という「平成型」労働改革

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10月4日(月)の産経新聞に「安藤政明の一筆両断 「45歳定年」という表現の衝撃」という記事が掲載されました。
(※安藤裕前衆議院議員とは別人です)

著者の安藤政明氏は、経営者側の立場で雇用問題に取り組む社会保険労務士。

↑の記事はサントリー新浪氏の「45歳定年」発言を擁護するものですが、
典型的な「平成型」の雇用・労働改革論がつづられています。

すなわち、「労働市場の硬直性の打破、解雇規制緩和で、成長分野への労働移動実現!」
というものです。

今回はその問題点について、働く庶民の立場から考えてみたいと思います。

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終身雇用制・年功制・解雇規制という壁

「労働移動の促進」。これを目指すために、打破すべきものとして挙がるのが「終身雇用制」「年功制」「解雇規制」です。

終身雇用制と年功制

終身雇用・年功制が前提となる環境では、中高齢者が退職したいと考えても再就職が困難であり、健全な労働移動が阻害されるそうです。

中途採用数そのものが少ない上、転職すると勤続年数が振り出しに戻るため、給与が減る可能性が高いということでしょう。

解雇規制

解雇規制の厳しさが労働移動硬直化の最大理由だそうです。
正規雇用の場合、労働法が定年60歳以上、さらに65歳までの継続雇用義務を定めています。

また、「リストラ」も基本は希望を募ったり、退職を勧めたりということですから、応募や合意なしには成立しません。整理解雇も要件が厳しく、企業もなかなか踏み切れないとのこと。

働く庶民のための規制

しかしながら、「終身雇用制」「年功制」「解雇規制」は働く庶民にとって誠に有利です。

懲戒事案などを起こすことなく、まじめに働けば収入が増えていきます。
人生設計も立てやすいでしょう。若いうちは不満かもしれませんが、経験を積むうちに給与が上がる。

こうなると、働く側にも職場・会社に愛着が出て来ます。
一所懸命、より良い会社にしようという気にもなるでしょう。

このことは経営者側にとっても有利に働きます。

会社を大事に思い、自分の経験や才幹を用いて貢献しようとする。そんな社員が多ければ、会社は発展します。そこで経営者は社員をただ働かせるのみならず、様々な経験を積ませ、教育し、育てようとします。

これがいわゆる、かつての日本企業の理想、家族的経営でしょう。

非正規雇用増、配当金優先で昇給抑制

もっとも家族的経営は、平成のデフレ不況と構造改革でコテンパンにやられてしまっています。みなさま御存知のとおりですね。

非正規雇用の増加で会社の家族的一体感は損なわれ、株主利益・配当金優先で昇給は抑えられています。会社と社員の関係も、家族的な面よりも、賃金を介した個人的契約関係という面が強くなっています。

当然、社員には不安、憤懣、鬱屈がたまります。そしてその矛先が向けられがちなのが、「役に立たない高給取りおじさん」です。

「役に立たない高給取りおじさん」

「役に立たない高給取りおじさん」とは、実務能力は低いのに給与は高く、クビにもできず、会社のお荷物になっている……というような存在です。男性に限らないとは思いますが。

安藤政明氏は、彼らを「終身雇用制」「年功制」「解雇規制」によって生まれる人種としています。

確かに、一緒に働く人間としても、こういう人々は厄介です。
彼らの「できない仕事」の穴埋めやフォローをさせられます。
それなのに、給与は自分の方が低い。不満に思うのも自然でしょう。

しかし逆に、彼らのおかげで自分の成績・評価が下位に落ちずに済んでいるかもしれません。
彼らがクビになって有能な人が入って来たら、自分が「イマイチ」と評される可能性もあります。

また、今は元気いっぱい能力を発揮している自分だって、年を取ります。
いつ事故や病気などで「役に立たない人」になるかわからないのです。

役に立たぬからとて解雇されてしまっては、困ります。
うまく再就職して給与も安定すればいいですが、不安や失望から生活が荒れ、自暴自棄になり、家族や地域社会に迷惑をかけるばかりか、犯罪行為に手を染めることもあり得ます。

会社や職場としては困ることもあるでしょう。しかし「役に立たない」人の雇用を守り、生活を安定させることは、社会の安定・安全に資するものです。

企業は社会の公器とも言われます。社会的な役割も果たし続けてほしいものです。

45歳定年制の行く末

45歳定年制で人材活用?

安藤政明氏は人材活用法として、45歳定年制を検討に値する、と評価しています。どのように活用するかというと……

ア 給与は年功制をやめて、若くても高めに設定。
  その後は勤続年数でなく貢献度で昇給。

イ 45歳を第一定年として、再雇用か転職かを選ばせる。
  年功制でないので、転職しても給与は激減しない。65歳が第二定年。

ウ 45歳までに、社員は自発的に勉強や経験を重ね、再雇用か転職かの準備をする

社員の生活は?

年功制をなくし、昇給は成績次第となると、社員の生活費・医療費・教育費はどうなるでしょうか? 

年齢が上がるほど、そういったものは入用になります。
特に40代は教育費がかかりますし、親や本人の病気などで医療費負担も増える可能性大。

昇給を勝ち取る一部の優秀な社員はいいでしょうが、平凡社員は苦労すること確実です。
若くても高めに設定される給与、年収最低ラインが400万円とかなら、まだしもでしょうが……。
現状ではなかなかあり得ない設定ですね。

社会の余裕がさらに失われる

そんなわけで
「困るなら、自己研鑽・勉強して成績を上げるか、優良企業へ転職しろ! 45歳定年~再就職に向けて勉強だ!」
ということになります。

確かに、働く者として学習努力は必要でしょう。
しかし、それが余暇時間にまで厳しく要求されるとなると、社会の豊かさが失われます。

十数年前の個人的経験ですが、ある研修講師がこう言い放ちました。

「家に帰ったらビール飲んで、テレビで野球を見ていていい時代は終わりました。勉強しなくては生き残れません!」

デフレ不況下で限られたパイを奪い合う、グローバル競争社会の空気がよく現れている言葉だと思います。

営業成果を上げること、カネになることだけが重視されれば、社会に余裕が無くなります。
地域社会や文化の担い手も失われていく。カネにならない活動、趣味を楽しむ、文化を楽しむことができにくくなるのですから、当然です。

現代社会は、その傾向が極めて強くなっています。
45歳定年制は、それをさらに推し進めるものでしかありません。 

「北風」でなく「太陽」の政策を

安藤政明氏の目標は、
「一人ひとりが真剣に将来の働き方を考え、それに向かって研鑽する環境をつくる」ことだそうです。

しかし、解雇規制緩和や45歳定年制でそれを行えば、社会にマイナスが大き過ぎます。
構造改革に明け暮れた、平成30年間の過ちを繰り返すものです。

ではどうすればよいか? 簡単です。
令和の御代においては平成とは逆に、政府支出増・超積極財政で景気を良くするのです。
人々の懐と気持ちを豊かにし、余裕のある社会を目指します。

衣食足りた余裕があってこそ、人は落ち着いて考える事ができます。
どのように働くのがよいか、どうすれば会社に、あるいは社会に貢献できるか。
ただカネを稼ぐだけでなく、家庭や地域のことも含めて、大きな視点で真剣に考えられる人が増えることでしょう。

現代においては、「北風」でなく「太陽」の政策が、政府の取るべき道です。

ちなみに、かつて労働移動/転職が盛んな時期がありました。それは、高度成長期とバブル期です。
景気が良く、より良い職場が簡単に見つかる状況だったからです。
「成長産業への労働移動」もまた、政府支出増・積極財政で実現できるでしょう。

トップ写真 taken_by_8 Kome

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