『【島倉原×森永康平対談】「失われた30年」を取り戻す方法とは? MMTから考える日本経済の未来』
上記URLからご覧いただける両氏の対談は、全体として非常に示唆に富んだ内容です。
早くからMMT理論を研究され、我が国にいち早く紹介するために多大なる努力を払ってこられた両氏のデフレ不況克服に対する強い思いが感じられるでしょう。
対談の中で島倉氏が語っている
「日本だけではなく、世界全体が80年くらい前と似たところがあるように思います。たとえば、世界的な金融危機の後で経済が停滞したり、金利もものすごく低下したりといったところです。そして、80年前と言えば、MMTのルーツでもあるケインズの『一般理論』や、アバ・ラーナーの「機能的財政論」といった経済理論が登場し、脚光を浴びた時代です。こうした過去の状況と、MMTが注目を集めている現状は、似たような構造にある」
という認識は的を射ていますし、
森永氏の
「僕が生まれてから今日に至るまでの日本経済って、「失われた30年」などと言われていますよね。それが正しいとするならば、「これまでの経済政策ってなんだったの?」って思いますよね。頭のいい経済学者や中央銀行、政府関係者は30年間、何をしていたんだろうって。これが民間企業だったら絶対に起こらないことだと思うんですよ。自分発案の企画や商品が30年間一切売れないままってなくないですか? 普通だったら、もっと早い段階で違う企画や商品に変更したりしますよね。」
という指摘には多くの人が首肯するのではないでしょうか。
対談の締め括りに「問題含みのこの経済状況を改善するためには、どうすればよいのでしょうか?」という質問があり、島倉氏は、
「まず、消費税は廃止か減税。それから、先ほども述べたように、土木以外も含めた公共事業の拡大です。(略)
感染症対策の強化とともに、公共事業拡大の一環という意味も含め、医療の公営化を進めることが考えられると思います。また、少子化問題への対応という意味でも、産婦人科の充実や、妊娠・子育てをしている人へのサポート強化も重要ではないでしょうか。
他にも、郵便や公共交通、あるいは水道・電気・通信といったライフラインの中には、民営が適正ではないものがいろいろとあるはずで、そうしたものは公営を中心とすべきでしょう。」
と答えています。
また、森永氏は、
「個人レベルで言うと、よく言われることですが、政府の方針に対して声を挙げることは大事だと僕も思っています。でも、その時に、間違った知識とか理論に基づいて行動を起こしてしまうのは、危険なことだと思います。複眼思考じゃないですけど、観点をいくつか持っておいて、それを基に自分の頭で考えるということが大事なんだと思いますね。特に若い人たちにとっては、最初からアカデミックな観点から厳密さを求めてしまうと「興味持ったけど、やっぱ難しいからいいや」となってしまいます。」
と答え、政府の失政に対してNOという意見を上げていくことが大切だと説いています。
この辺りのお二人のご意見や認識にはま大いに賛同したいと思います。
インフラにしろ、医療体制にしろ、子育て支援体制にしろ、今の日本に足りないものばかりで、「カネがない。税収が足りない」という根拠不明な理由を盾に、そうした分野への資金投入を怠っていると、インフラはますます老朽化し、医療や福祉分野に携わるスキルを持つ人材も枯渇し、日本の社会基盤は崩壊を免れないでしょう。
「カネがない」というのは採るに足らぬレベルの悩みであり、足りない分だけカネを造って投入すればよいだけのことです。
本当に忌避すべきは、「人材がない。知識がない。技術がない」というどん底レベルに堕ちてしまうことです。
カネは瞬時に造れますが、人材育成や知識・技術の修練は一朝一夕に為し得るものではありません。
さて、今回の対談を見て気になった点が一つあります。
それは、次の個所です。
〈島倉氏〉
「いま、山本太郎さんの話が出ましたが、彼は「都民全員に10万円給付する」と言っていましたよね。「通貨発行権を持たない東京都に、そもそもそんなことが可能なのか」という議論は別として、恐らくは「財政赤字をいくら出しても問題ない」という話と関連して、同じように、MMT的な言説と共に給付金的な政策を主張する人は時折見かけます。ですが、通貨価値の維持を重視するMMTは基本的に、「労働」という生産活動の対価ではない、給付金的な財政支出には否定的ですし、私自身もこうした主張には相当問題があると思っています。」
〈森永氏〉
「分かります。彼を否定するわけじゃないんですけど、「僕が当選したら都民に10万円給付します」という政策イコール積極財政やMMTという印象を持たれるのは困る。ベーシックインカム(BI)もそうですけど、こういう「お金あげます」みたいな主張って、容易に自己責任論に転化してしまう危険性があるわけですよ。「毎月〇〇万円あげるから、社会保障いらないでしょ」とかの議論にすぐにすり替わってしまう。BIの考え方は、リバタリアンとして知られるミルトン・フリードマンも主張していますけど、彼が一見「大きな政府」を支持するように見えるBIの話を持ち出した背景にはこういう考え方がありました。」
〈島倉氏〉
「そうですね。企業側からも、「給付金やBIがあるんだったら、もっと解雇しやすいように法律を変えてもらってもいいですよね」という話が出てきやすくなりそうです。そうなると、まさにフリードマンの思惑通りというか……」
〈森永氏〉
「歴史から学べることは、経済が不安定になるとポピュリストが台頭します。MMTってポピュリストからすると、とても使いやすいマーケティングの道具なんですよね。「もっとお金を出せますよ」という話の根拠になってしまいますから。もちろん、これはMMTですらなく、MMTという言葉は使わずに他の言葉を使うべきということは本の中でも明確に書きました。」
この辺りの意見は、MMT界隈に巣食う狂信者のBI嫌悪論と軌を同一にするものです。
まぁ、これは学究肌な方が多いリフレ派にも言えることですが、アカデミックな視点から経済政策を探求する論者は得てして即効性の高い政策を敬遠しがちです。
効果が瞬時に発露するような政策を訝しむ癖があり、より複雑で長期的にジワジワと効果が染み出るような玄人好みの政策を評価したがりますよね。
お二人とも本を書いたり講演で他人にモノを教えるような立場ですから、BIや給付金みたいに単純明快かつド直球な積極財政策を推すのが気恥ずかしいのでしょう。
島倉氏はいみじくも、
「通貨価値の維持を重視するMMTは基本的に、「労働」という生産活動の対価ではない、給付金的な財政支出には否定的ですし、私自身もこうした主張には相当問題があると思っています」
と述べており、労働本位制にそぐわない給付金を毛嫌いしています。
“労働が価値を生み、それが所得を増やす”というのは、ある意味真っ当な意見ですが、それが通用するのは、政府が経済失政の愚を犯さず、経済が巡航速度で成長し、その果実が分け隔てなく広く国民に分配されているという前提条件が成立している場合のみです。
30年も続く不況下で国民の所得は一向に増えず、本来ありうべき速度で成長した場合と比べての逸失所得はるいけいで4000-5000兆円にもなります。
政府は経済失政の責任から逃れることはできません。
国民は政府に対して、これだけの量の膨大な逸失所得のツケ払いを必ずやらせなければなりません。
それにBIや給付金は家計消費の源泉となって様々な商品やサービスの生産・供給を誘発しますから、それ自体が直接の労働の産物でなくとも、供給サイドに新たな労働機会を生じさせ(=労働価値の発生)、そこで働く者に所得をもたらします。
そもそも、島倉氏や森永氏のBI嫌悪論は、不況の結果としての落ちぶれまくった今の国民所得を基点とする議論であり、過去の経済失政のツケ払いという、国民に対する政府のツケ払いを免除するものです。
たしかに給付金は、今という時間軸で切り取れば、労働という生産活動の対価ではありませんが、30年もの経済失政下で無駄に費やされ、正当な対価を支払われなかった過去の労働に対する逸失所得の補償と考えれば、給付金やBIは立派に生産活動の対価である、つまり政府に先払い(ツケ払い)した労働債権の回収行為であると思います。
第一、島倉氏は、経済状況改善策として「消費税は廃止か減税」と言っておられますが、よく考えると、これだって「労働という生産活動の対価」じゃありませんよね?
どちらかと言えば、生産活動というよりも、BIと同様、給付金的な財政支出に近い政策ですから、消費税減税や廃止を主張しながらBIを否定するのは一貫性に欠けます。
また、森永氏は、
「ベーシックインカム(BI)もそうですけど、こういう「お金あげます」みたいな主張って、容易に自己責任論に転化してしまう危険性があるわけですよ。「毎月〇〇万円あげるから、社会保障いらないでしょ」とかの議論にすぐにすり替わってしまう」
と、BIが社保解体論につながると警戒しています。
ですが、これはあまりにも短絡的な発想で、積極財政の芽を摘まれ、BI導入の可能性すら微塵も見えない現状において、すでに社会保障は保険料ばかりが右肩上がりで増える一方で、その受給条件は年々劣化が進んでいます。
森永氏が懸念するBIによる社保代替論が出る(かもしれない)遥か以前から、自己責任論が蔓延し、「カネが足りないから、社会保障削っていいよね?」という議論が繰り返され、十年以上前から実行に移されています。
MMTを信奉する論者がやるべきは、M・フリードマンの亡霊に怯えることではなく、現に進んでいる社保解体を止め、傷み切った家計所得を改善するために、消費税廃止や社保料負担の全額国庫負担化、BI導入などの家計所得倍増策を強く訴えることではないでしょうか。
BIや給付金と社保制度とをトレードオフの関係で論じること自体、自ら進んでネオリベ思想の罠に嵌まり込み、彼らの掌の上で転がされに行くようなものでしょう。
積極財政派の論者としての矜持があるのなら、ネオリベ思想への忖度を辞め、フリードマンの亡霊たちと正面から対峙し、これを撃破する気概を持ってもらいたいものです。
島倉氏は、
「MMTというと、「政府は、自国通貨建ての赤字や債務がいくら増えても債務不履行には陥らない」といった、財政に関する主張にどうしても焦点が当たりがちですが、そんな単純なものではない。」
「給付金や補償金のような政策ばかりが先行して、その中でMMTが脚光を浴びている状況に、私自身はものすごく危うさを感じています。「緊縮財政をやめろ」という主張はその通りだと思いますが、目先の問題への対応だけではなく、そもそも緊縮財政によって日本が長期停滞しているという観点から、財政支出のあるべき姿を考える必要があると思います。」
とも述べています。
しかし、MMTの出発点が「貨幣論」なのか、「財政論」なのか、といった議論なんて国民にはどうでもよい問題なのです。
四半世紀もの間低収入に悩まされ続けた国民にとっての関心事は、「MMTは俺たちの生活をよくする政策なのか?」という一点のみです。
その疑問に即答できないようでは、永遠に増税緊縮派に負け続けるだけでしょう。
緊縮財政によって日本が長期停滞しているからこそ、目先の問題に即座に対応し、一つずつスピーディーに答えを出していかねばなりません。
「30年掛かった不況なんだから、のんびり解決策を出していけばよい」なんて呑気なことを言い、無意味な学術論争に明け暮れているうちに、日本はあっという間に後進国化してしまいます。
先ず「消費税廃止+社保料負担の全額国庫負担化+BI導入」の財出構造改革三本の矢を打ち、疲弊し切った国民所得を名実ともに倍増させるという目先の問題を解決すべきです。