民主主義は機能していない?|必要なのは、「民の親」による政治・言論活動です

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大企業やグローバル投資家のための政策ばかりが行なわれる一方、国民は自助を強いられ、生活は毀損されるばかり。民主主義が機能していない、オワコンだという声があります。しかし、民主主義が大衆政治である限りは機能しようがないのです。国民自らが、民の「親」「主」として政治・言論活動に努めること。それが我が国で民主主義を機能させる道です。

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民主主義の機能不全?

「民主主義が機能していない」と言われます。
グローバル企業や投資家、権力者を利する政策がどんどん実行される一方で、一般国民は置いてけぼり。
それどころか所得は増えず負担が増えて生活は苦しく、格差は拡大するばかり。選挙があっても、結局何も変わらない。

コロナ対応もグダグダで、補償は軽く、自粛の圧ばかりが重い。
おまけに批判勢力の野党ですら、「選択的夫婦別姓」などのポリコレを共闘のテーマに掲げ、「消費税、財政再建は必要」と言う始末です。

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主権者たる国民が大切にされておらず、与党にも野党にも民意が反映されていない。
民主主義が機能していないのではないか? そういう疑問が出るのも当然でしょう。

民主制という政治制度

しかし、民主主義とは実際には民主制という政治制度に過ぎません。
「国民が大切にされる」というのは政治の結果であって、ほかの政治体制と同じく、民主制によって保障されるものではない。

日本は伝統的には天皇を戴く君民一如の国柄ですが、現今は普通選挙による代表民主制と言われます。
国民の中から政治家として立候補し、選挙で選ばれた者が議員となる。
議員は立法権を執り、行政(政府・官僚)をコントロールする。
選挙区の国民の信頼を失うと、次の選挙で落選し、地位と権力を失う。

最終的なチェックは一応、選挙という国民の審判に付されることになっています。
ですから、政権は世論の動向、民意、支持率を気にする。規制緩和や増税など、批判されそうな政策については早めにメディアを通じ情報を出して(アドバルーン)反応を見ますし、その政策を「仕方ない」と甘受する空気を醸成しようとするわけです。

私欲に囚われる人間の業

政治家も人間ですから、自分が大切です。
家族や近しい人間を大事にしたい。地位と権力と生活のために血眼になる者が多いのは自然なことでしょう。
私のような一般人が自分の生活を第一に考えること、ラクをしたい、カネをもうけたい、ズルをしても怒られなければいいやとつい思ってしまうことと同じです。

国民のためにならない政策を行ったとしても、世論から非難されて辞職を迫られたり、選挙で落とされなければ問題なし。そのような政治家が多数を占める。

国民のためにがんばってみたところで、その国民はちょっとした失敗・失言やスキャンダルで自分を叩いて石もて追う。
それなら、権力者、大企業、メディアと仲良くしてよろしくやる方がいい。
選挙で落ちないということは、国民がそれを容認してるってことだろう?……というわけです。

私欲にとらわれる人間の業ですね。
このような政治が蔓延して、国民が苦しむ、国家が弱体化するのも民主制の結果。
民主……「主」たる国民の責任です

「主」「親」としての責任

国家という「家」の「主」であるならば、家庭経済を支えると共に管理・監督の責任がある。
「親」として「子」を育て、導かなければならない。

ところが現状、メディアから流れるスキャンダルや芸能ネタで、「親」同士が言い争う。
そのスキに悪人が金品をかすめ取っていくのに気づかない。
売国政策・法律改悪(種子法廃止やRCEP、中小企業つぶしなど)を見過ごしてしまう。

主要メディアや財務省・政府の流す「日本は借金大国」「日本は成熟国で、もう成長しない」の言い訳を真に受けて、緊縮財政・低成長・衰退を甘受する。
子供のヘタな言い訳にダマされて非行を見過ごす「親」「主」です。

重要なのは普段からの取り組み

国民の多くが、「親」「主」になりきれていない。
「親」である自覚すらない人も多いでしょう。
「主権者」として選挙にだけは必ず行く、という人は結構いるでしょうが、それは授業参観や保護者会に行くというのと同じです。「親」「主」としての責任のほんの一部でしかありません。

重要なのは、普段からの取り組みです。
正しい政治を望むならば、そのように政治家を導き、鍛え、支えるのが「親」「主」の務めでしょう。あるいは、自らが政治家として立つか。

「いやいや、政治家は権力者だし、オレらは一般国民。政治家は高い志と意識で自分を律して、国民の生活を保障するのが当たり前だろ!」

などと言うならば、それは「主」ではない。「親」でもない。

「君民一如」が導く真の主権者の姿

法律論はさておき、我が国において第一の「主」「親」であるのは天皇です。
国民を赤子として、その安寧を祈り、全身全霊をもって慈しみ、支えようとされる天皇です。
エリートも落ちこぼれも、金持ちも貧者も違いはない。みな天皇の子。

そして我が国の理想は「君民一如」。
国民が天皇の御心を自らの心として、その祈り(民の安寧・国家の繁栄)の実現に尽くすことです。

それこそが「主権者」たる真の国民の姿。
自らの仕事で社会に貢献するばかりでなく、私欲に囚われた政治家を叱咤し、導く者。
あるいは政治を正すための世論の醸成・言論活動に努める者です。

真の国民は、民の「親」たる天皇の「子」でありながら同時に「親」でもあろうとします。
「親」ですから「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」(吉田松陰)と信じて、「子」である政治家を動かし、民衆の認識を変え、正しい方向へ導こうとするのです。
(デキの悪い子であっても、ぜったい大丈夫、一人前になれると信じて導き育てるのが親心でしょう。)

「右や左の旦那様」の菅政権

菅政権はまったくもってヒドい。
アトキンソン氏&竹中氏の言うままに中小企業つぶしや規制緩和を進め、二階俊博氏ら媚中派に気兼ねしてチャイナに強く出られない。
世界地図で右がアメリカ、左がチャイナであることを考えれば、「右や左の旦那様」の情けない状態です。

このままでは国民が殺される、スキャンダルでも失言でも捉えて政権を倒さねば!と思う気持ちはわかりますが、その効果は売国政策の一時停止にしかならない。

かつての民主党への政権交代以降、総理が替わる度に状況が悪化してきたことを思えば、菅政権の後にはもっとヒドいのが出て来ます
国民と呼ばれる大衆が緊縮財政/売国政策を支持してしまっているのですから当然です。

民の「親」たる真の国民の働き

やはり大切なのは、民の「親」たる真の国民の働きです。

与野党かかわらず、良い政治家を支えて育て、助言をし、支持者を増やす。
イマイチな政治家には意見し、叱咤して認識を改めさせる。
ダメな政治家は批判して支持率を下げ、野に下らせて修行のやり直し。
あるいは言論活動で緊縮財政を批判し、正しい貨幣観・積極財政論を広める。

地道そのもので、なかなか華々しい結果は出ませんが、こういった活動こそが「民主主義」であり、「君民一如」の道と確信します。「親心」で政治・言論を行うのです。

民は由らしむべし、知らしむべからず

とはいえ、真の国民は超・少数です。
おまけにほとんどの方が本業を抱えながら、政治・言論活動をされています。
大手メディアを向こうに回し、一般大衆の認識を変えて、政治を正せるのか? 
コムズかしいMMT的貨幣論で、素朴な大衆の「借金ヤバイ」をひっくり返せるのか?
とも思えますが……

民は由らしむべし、知らしむべからず
(大衆を動かすことはできるが、その理由を彼らに理解させることはむずかしい)

多くの政治家が自信を持って正しい貨幣観・積極財政論を語り、言論空間にもその言説が増えれば、大衆にもそちらへなびく者が増えます。民意は後からついてきます。

楠木正成(楠公)や護良親王らの軍が鎌倉幕府の大軍を翻弄した結果、
「幕府は無敵、逆らったら死ぬ」という空気が変わり、多くの武士団が朝廷方についたように。

現政権による危機が続く一方で、緊縮財政に疑問を持つ政治家は確実に増えています。
「真の国民」の皆様の活動がムダになることはあり得ません。

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