「衆愚政治&ポピュリズム」の新常識とは?

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最近YouTubeの政治チャンネルなんかを観ていると、衆愚政治やポピュリズムを採り上げ、民主主義が内包する大きな弱点の一つだと紹介しているのを目にすることがあります。

ちなみみに、

『衆愚政治』とは

「無知な大衆によって政治が支配される堕落した民主政治。ペリクレス死後のアテネにおいて利益や金銭によって民衆の歓心を集め、自己の野心を達しようとしたクレオンらの煽動政治家が政権を握った時代はその典型」(旺文社世界史事典)

『ポピュリズム』とは、

「労働者や貧農、都市中間層といった市民階層を「大衆」と位置づけ、大衆に対する所得再分配や政治的権利を希求する政治思想のこと」(新語時事用語辞典)

という意味だそうです。

要は、

「真のエリート層が支配力を失い、無知な大衆・民衆の歓心を買うために、巨視感を以って一国の将来を見通すことを放棄して、それらに金銭や利益を与え、扇動する政治手法」

とでも呼ぶべきでしょうか。

まぁ、政治系YouTuberに限らず、政治批評系の月刊誌や経済誌、新聞、TVから、政治に興味や関心を持ち始めた大学生の論文まで、ちょっとでも政治や経済を齧った者は、ほぼ例外なく衆愚政治やポピュリズム批判に手を染めています。

それはあたかも、政治を語る有資格者として読者や視聴者に認めてもらうための「登竜門」や「踏み絵」のようなものです。

”「国民=大衆」は国家百年の大計などそっちのけで自分の利益しか考えようとしない。

次世代や将来を見据えた選択よりも、目先の損得勘定だけで行動したがる。

よって、国民を甘やかし、彼らの意見や要望を唯々諾々と受け容れていると政治はたちまち衆愚化し劣化してしまう。”

この手の「国民に寄り添う政治=衆愚化必然論」は、国民に諸々の負担を押し付け、シバき上げるのを正当化するための“テンプレ手法”のようなものですが、これが意外と効果的なのです。

”行政に頼るのは恥ずかしい、公助を求めるのは乞食みたいなもの、政治に文句を付けるのは努力不足で無責任な輩の所業”という貧乏人同士の監視社会と化した日本では、自分以外の誰かが抜け駆けして良い思いをするのを厳しく監視・摘発する薄汚い空気が蔓延したせいか、モラルや思考力がすっかり低下し、「とにかく他人が一円でも得をする政策は絶対にイヤ! たとえ自分にもメリットがあるとしても、他人が幸せになるのは生理的に受け付けないのっ‼」という非常に見苦しい発想をする人が増えています。

これではまるで、「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい」」と言い放った上野千鶴子ばりの“一億総貧困化論”みたいなものですね。

さて、昨年、全国民に一人10万円を支給するコロナ特別給付金が行われ、それを機にBI(ベーシックインカム)や消費税廃止に関する議論が沸き起こった際にも、増税緊縮派から「国民にカネを配るだけの究極のポピュリズムだ!」、「財政危機に対する認識が甘すぎる。次世代に借金やツケを廻すのか‼」という批判があり、また一部のMMTerや労働本位制支持者からは「給付金やBIはネオリベ政策を誘導する麻薬だ!」、「社保解体や増税の導火線に火をつけることになるぞ‼」、「生産活動に基づかないカネなんて、何の価値も生まない‼」という趣旨の批判もありました。

国民から税や社保負担の名目でカネを取り上げるばかりで、一向に配ろうとしない政府が、たった10万円を配っただけで”ポピュリズムだ‼”と大騒ぎする神経がさっぱり理解できません。

なにせ、消費税だけで累計380兆円を超えますが、今回のコロナ給付金で国民に還元されたのは僅か12兆円ぽっちですよ?

この程度のおすそ分けがポピュリズムだなんて、大げさにもほどがあります。

また、「国民の実質所得をUPさせる消費税廃止には賛成。名目所得をUPさせるBIには絶対反対」と理解不能なBI嫌悪論をバラ撒く変わり者もいますが、おかしな”お薬”でも吸っているのか?と、その非論理性を疑ってしまいますね。

そういったBI反対派の愚見や勘違いも含めて、私は、政治・経済論界隈に跋扈する”衆愚政治&ポピュリズム批評家”のテンプレ型批判こそ、国民生活や実体経済の厳しさを顧みようとしない、地に足がついていない軽薄な意見だと思います。

正直言って、彼らの夢想論は、現実を直視せず情報や常識がアップデートされていない、旧バージョンの「ぬるま湯体質」そのものです。

厚労省のデータによると、2018年の平均年収(実質)は約433万円と、統計開始時の1989年/452万円より4.3%も低く、ピークだった1996年/472万円と比べて8.3%も低いという体たらくです。

普通に考えれば、世界一過酷な長時間労働国家において、30年も掛けて年収が減るなんてあり得ませんよね?

さらに、収入が一向に増えないどころかジリジリ減り続ける一方で、税や社保料の負担を合計した国民負担率は、1991年/37.4%→2020年/46.1%と年々重くなり、ついには貯蓄ゼロ世帯の割合が2007年/29.9%→2019年/38%に増加するという惨状ですから、日本はもはや”国民総貧困化”していると言っても過言ではありません。

事あるごとに衆愚政治やポピュリズム批判に精を出す軽薄な政治論者たちは、こうした現実をどうお考えなのでしょうか?

彼らが危惧する衆愚政治やポピュリズムって、いったい何時、何処で、どんな形で具現化し実行されてきたのでしょうか?

少なくともここ30年余りの政治を見る限り、衆愚政治とかポピュリズムの名に値する「大衆迎合政策=財出の大盤振る舞い=バラマキ」の類いなど一度も目にしたことはありませんが…??

それとも、本来なら20-30%であるべき消費税率をお情けで10%に抑えてやってるのがポピュリズムなんだ!とでも言うつもりなんでしょうかね?

“衆愚政治やポピュリズム”という言葉の意図的な誤用や、事実に基づかない妄想が目立ついま、その定義を根本から見直す必要があります。

「経済的成長を否定し、国民に自らの生活向上を断念させ、幸福な生活を求めようとする他者を嫌悪するように仕向け、”みんなでもっと苦労しよう、もっと我慢しよう、もっと貧しくなろう”と不幸や貧困の共有化を善とする”国民自滅思想”」こそ、平成・令和不況時代の衆愚政治・ポピュリズムと呼ぶべきではないでしょうか。

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