安倍内閣の退陣は、進撃の庶民メンバーや読者にとって衝撃的的でした。どう長くても2021年に安倍内閣は終わることは決定していました。しかし、それでもなお衝撃を受けたはずです。
なぜそこまで衝撃的だったのか? 舌鋒鋭く安倍内閣を批判していた人たちが、ボロボロと欠ける櫛の歯のようにいなくなってしまったのはなぜか?
安倍内閣退陣の衝撃と反安倍の”居心地”について総括し、反安倍運動がどのような結末を迎えたのか議論します。
反安倍と安倍内閣総辞職・退陣の衝撃
2020年9月16日、令和2年の秋に安倍内閣は退陣しました。退陣理由は潰瘍性大腸炎に悪化の気配があるという健康不安が理由です。
第1次安倍内閣を含めると3188日、第2次安倍内閣からでも2822日と憲政史上最長の内閣でした。国家安全保障会議や内閣主導などの功績とともに、モリカケ問題や公文書改ざんという負の遺産も残しました。
NHKが報じたところによれば、各大臣は以下のように述べました。
萩生田文科相「再任し 継続的な課題しっかり対応」
安倍内閣総辞職 閣僚の反応 | 注目の発言集 | NHK政治マガジン
江藤農相「台風災害に思い切った対策」
西村経済再生相「菅内閣の一員として引き続き全力」
西村官房副長官「極めて濃密な1年だった」
個人的に安倍内閣とはどのような内閣だったのか? 世論を読むのにたけており、また世論が忘れるという性質も上手く利用する内閣でした。
さまざまな物議を醸し出す一方、一向に支持率が落ちなかったのは世論の利用が上手かったからでしょう。
加えて、世論に従順な内閣でもありました。安保法制などは例外ですが、それ以外では世論が求めるままに政策を実施したと言えます。
大きな政策の方向性はグローバリズム・新自由主義でした。しかし、支持率が落ちなかったところを見ると世論が求めていたに違いありません。
こうした動きに対して進撃の庶民や一部の有識者、そして左派は反安倍を掲げました。
舌鋒の目標を失った反安倍
安倍内閣が長期政権だったからこそ、反安倍もまた安定したと言えます。反安倍とはまさに、安倍内閣あってこその批判でした。
筆者自身も反安倍でしたが、じつはここ1年の記事で反安倍はそこまで書いていません。特に2021年の安倍内閣退陣が見えてきてからは、反安倍運動にむなしさを覚えた面もあります。
そのむなしさとは、こうです。
「舌鋒鋭く安倍内閣を批判してきた。我々自身の手で安倍内閣を倒閣したかった。しかしどうしたことだ!? 支持率は下がらず、もう任期による終わりが見えてきた。このままでは反安倍運動を何のためにしていたのかわからなくなってしまう」
特に反安倍、安倍批判に力を入れていた人ほど虚無感に襲われたはずです。
こうして2020年9月16日、抱いていた虚無感や恐れは現実のものとなりました。
批判はある種、その批判対象に依存する部分があります。安倍内閣退陣で反安倍は批判対象を失い、茫然自失とたたずむしかありませんでした。
もっと踏み込めば――安倍批判をしていた人たちの中には、安倍内閣が存続することを願った人もいたことでしょう。
安倍内閣退陣で世の中は変わったか?
現在、安倍内閣が退陣してから4ヶ月ほどになります。世の中は果たして変わったでしょうか?
まず結論からいきましょう。反安倍の運動は成果が乏しかったと言えます。最大の目標である安倍内閣退陣は反安倍運動にかかわりがなく、試合終了のホイッスルが鳴っただけでした。
ですから、よしんば安倍内閣退陣で世の中がよくなったとしても――反安倍の手柄とは言いにくいでしょう。
こういったことを踏まえた上で、安倍内閣退陣によって世の中は変わったでしょうか? 反安倍の人たちの一部は「安倍内閣さえ退陣させれば世の中がよくなる」と本気で信じている節もありました。
- 安倍内閣は世論の利用が上手だったが、菅内閣はどうも下手くそ
- 世論や空気から察するに日本のグローバリズム志向は変わらない
- 緊縮財政も変わる気配は感じられない
以上の3つが筆者が感じていることです。2.と3.は絶望的ですが、少なくとも1.はやや明るい材料です。なぜなら菅内閣が無能であればあるほど、グローバリズムへの突進は緩やかなものになるはずだからです。
このようにコロナ禍前なら評価できていたでしょう。しかし、コロナ禍が始まって評価は一変しました。
コロナ禍でグローバリズムの機運が世界的に潰えました。少なくとも、楽観的にグローバリズムを推進する空気は一掃されました。
日本が単独でグローバリズムを推進しようとしても不可能です。他の国が同調しないのですから。
グローバリズムへの懸念は、コロナ禍前に比べてずいぶんと減少しています。緊縮財政についても同様でしょう。世界的に積極財政政策が採られています。日本もまだまだ足りないものの、積極財政を「せざるを得ない」状況です。
こういった状況は安倍内閣だろうが菅内閣だろうが、あまり変わりなかったでしょう。とすると「安倍内閣退陣が原因でよくなったこと」は「ないかもしれない」という恐ろしい結論に行き着きます。
批判とは何か再度考えよう
何度も言いますが筆者自身も反安倍でした。その上で今回の記事を書いています。
反安倍の批判のすべてが無駄だったと言いたいわけではありません。批判は政治に欠くべからざるものです。批判されない政治などと言うものは存在しませんし、健全な批判は政治をよくするはずです。
一方で、安倍内閣に寄りかかった反安倍という批判は健全だったのか? と、我々は一度、総括しなければなりません。「安倍内閣を批判していればいっぱしの批判者たり得た」「かっこがついた」「いいねが押してもらえた」ということはなかったでしょうか。
筆者はありました。
もし総括しないままに「次は菅内閣だ! 反菅だ!」などとやり始めれば、それは理念なきネトウヨたちと何も変わらなくなってしまいます。
批判とは何か? 何がために批判するのか? 本当に私たちの批判は正当だったのか?
少し胸に手を当てて考え、振り返る時間が必要です。
まとめ
安倍内閣が退陣し、反安倍を語っていた人たちが櫛の歯が欠けるようにボロボロといなくなっていきます。Twitter界隈でも見られる現象です。
しかし有り体に言って「世の中をよくするために批判している」という人は、これから先も絶望と虚無感にさいなまれるでしょう。
なぜなら○○内閣を退陣させたから世の中がよくなる! なんてことはありません。世の中はもっと複雑です。
「無駄とわかっていても批判しなければならない」と考える人でないと、身が持たないことでしょう。
私も含めて一度、皆さんも「自分自身がどうだったのか?」を考えてみてください。
批判ではなく、建設的な提言をすれば良いのではないかと思います。
その結果は、不正行為は不平等や腐敗の温床になるからやめるべきだと言い、また、積極財政を推進しない今の政府は間違っている、とかそういう提言、話しになるかと思います。
安倍さんがやめてやる気をなくしてしまったというtwitter界隈の人は、建設的な提言をあんまりできなかった人ではないでしょうか。
だって、なんだかんだで三橋さんの政府批判はもう、コロナ以降もどんどんヒートアップしているくらいですから・・・。
確固たる己の目指すべき国家像さえあれば、安倍さんがやめようが菅さんがやめようが、そんなものはただの道中のステージクリアの一幕にすぎないと思います。
ラストバトルはまだまだ先です。(しかも、最近はラストバトルをへて大団円を迎えたと思ったら、クソ認定みたいな続編登場という危機感?問題?さえあるくらいです(笑))(ゲームとか漫画、たまに映画とかでもよくある続編物の話ですw)
結局はまあ、安倍前総理の辞任も、その程度のものという認識になるのではないかと思います。
だって、目指すべきは、なでしこの最終回みたいな、豊かで、安心安全で、平和で、それでいて力強い、そんな日本なんですから・・。
建設的な提言って難しいんですよね。一旦批判すると、ずーっと批判しなきゃいけない気になりますしね(笑)
>だって、目指すべきは、なでしこの最終回みたいな、豊かで、安心安全で、平和で、それでいて力強い、そんな日本なんですから・・。
こんな日本がいつか来たらいいですね~。