なぜデフレ下で緊縮財政は続き、有識者は財務省のせいにするのか

この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

 緊縮財政について「緊縮財政は安倍政権の独裁だから!」「積極財政のために民主主義を取り戻せ!」「財務省が緊縮財政を推進している!」「メディアが緊縮に国民を洗脳している!」などの声が、ネット上でときどき聞かれます。

 デフレなので積極財政を推し進めたいのは理解できますし、正解です。一方、ずいぶん都合のいいことばかり言うな――とも感じていました。

 筆者自身は積極財政に賛成です。それでも上記の主張に、素直に賛同できない理由を解説します。
 そして、なぜ緊縮財政路線から一向に転換できないのかも議論します。

スポンサーリンク

安倍政権は緊縮財政か否か

 基本的な認識として、安倍政権が緊縮財政だったか否かを見ておきましょう。

 安倍政権は2012年12月から2020年9月までです。上記の図では2012年をピークに新規国債発行額は下落しています。
 一方、税収は上昇し歳出は停滞しています。

 安倍政権は歳入が増え、その分を歳出に回しませんでした。
 これは明らかに緊縮財政です。

 他にも緊縮財政を裏付ける証拠はあります。2014年、2019年の二度にわたって増税された消費税です。

基本的な権力構造のおさらい

 安倍政権が緊縮財政だったのは明らかです。しかし、なぜ緊縮財政だったのかについてさまざまな説があります。

「財務省が緊縮財政を推し進め、安倍政権はそれと戦っていた」
「安倍政権が独裁だから緊縮財政が進められた」
「メディアが国民を洗脳している」

 筆者は上記どれもバカバカしいと一蹴しています。その根拠を解説する前に、一般的な権力構造についておさらいしておきましょう。

 よくやり玉に挙る財務省は行政の一省庁です。それぞれの省庁のトップには大臣がおり、その大臣を統括するのが内閣府と総理大臣です。
 総理大臣は国会での投票によって国会議員から選ばれます。

 国会議員は選挙によって国民から選出されます。

 したがって、間接的に総理大臣を選ぶのは国民です。国民の代表者である国会議員が選ぶからです。
 安倍政権の場合は「自民党を勝利させたのは国民であり、間接的に安倍政権誕生に国民が関わっている」となります。
 総理が真っ向から世論に逆らうのは難しい構造です。

 他方、緊縮財政はメディアのせいとも言われます。メディアは情報を売る産業です。売る以上は需要がないと成り立ちません
 財政健全化という言論は需要があるから成り立っています。もちろん欲しがっているのは国民に他なりません。

 ごくごく当たり前の結論ですが、日本の主権者は国民です。総理もメディアも国民世論に逆らうことは困難です。

なぜ国民の支持が厚い安倍政権で緊縮財政が続いたか

 「なぜ国民の支持が厚い安倍政権が緊縮財政だったのか?」という問いは答えでもあります。「緊縮財政だったからこそ国民の支持を受けた」と換言できるでしょう。
 その証拠に、同じく長期政権だった小泉政権も緊縮財政です。積極財政を採った小渕政権、麻生政権は短期政権でした。

 国民自身が緊縮財政を望んでいないと、緊縮財政にはなりません。日本は民主主義国家です。

 「安倍政権が独裁しているから!」と言いますが、その前から日本は緊縮財政です。1997年から20年以上にわたり、わずかな例外を除いて緊縮財政を続けています。

 「財務省が緊縮財政を推し進めているからだ!」との主張は一笑に付すしかありません。総理より強い財務省なら、政治家がそれを世論に訴えて袋だたきにしてるはずです。
 あれだけ官僚・公務員バッシングをしていた日本が、財務省をたたけないはずがありません。

 「メディアに国民が騙されている!」との指摘は一定程度の事実が含まれるかもしれません。けれど、メディアも需要があるから言論を売っています。
 一方的に国民が騙されているとするのはアンフェアでしょう。

 とどのつまり「国民が望んでいるから緊縮財政は続いている」が結論です。

なぜ有識者は緊縮財政を財務省のせいにするのか

 有識者の中には「財務省が緊縮財政を進める黒幕だ」という議論があります。この議論も「国民が本質的には緊縮財政を望んでいる」と仮定すると腑に落ちます。

 有識者は人気商売です。国民に支持されてこそ商売になります。霞を食べて生きているわけではありませんから、人気のために言説を変えるのはやむを得ない側面もあります。

 積極財政を進める有識者や評論家は「国民のせいで緊縮財政になっている」とは言いづらいのです。敵に回して得など一つもありません。

 すなわち「安倍政権が緊縮財政だが、支持している国民が悪いわけじゃない。安倍政権は財務省の傀儡で、本当に悪いのは財務省なんだ!」というストーリーをでっち上げないと、自分が国民の敵に回ってしまいます。
 また、誰しも「お前が悪い!」と言われたら反発します。
 「君は騙されていただけなんだよ」と囁かれて説得されるものです。

 こういった構造もあり、有識者や評論家で積極財政派の人たちは「緊縮財政は財務省のせい!」という言説を繰り広げます。

デフレでも続く無謬の大衆による緊縮・全体主義

 ここまで議論してきたことが真ならば、緊縮財政は国民が望んでいます。

 緊縮財政の弊害は明らかです。では、その弊害を「お前たちのせいだ!」と指摘して何になるでしょうか? 民主主義国家においては「やりたくてやってるんだから放っておいてくれ」が関の山。

 緊縮財政は明らかに間違っています。その間違いを正面から指摘しても、待っているのは多くの反発と敵意でしょう。
 明らかに間違っていたとしても――国民、大衆は無謬です。決して責任は取りません。

 太平洋戦争に突っ走ったことですら、戦後は軍部の暴走のせいにされています。決して戦前の国民のせいにはされません。

 現在の有様は「緊縮・全体主義」とでも表現する他ありません。

 緊縮・全体主義はかなり狂ったところまで来ています。
 コロナ禍の最中に「コロナの財源のために増税議論」をやらかすくらいには狂っています。
 他にも「生産性向上のため中小企業を半減させる議論」もありました。
 今、コロナ禍だぜ?! と顎が外れそうになりました。

 この狂った議論にメディアや国民は騒ぎもしません。

 日本でなぜ緊縮財政が終わらないのか? 緊縮財政を他ならぬ国民が望み、緊縮・全体主義とすら言える状態だからではないでしょうか。

まとめ

 積極財政が正しいと確信したのは十数年前です。十数年の運動の成果? ほとんどないと言っていいでしょう。

 積極財政推進運動は日の目を見ません。多くの人は「自分の主張は間違っていないはずなのに、なぜこんなに黙殺されるのか……」とダメージを受けます。
 そうして、ある種の現実逃避に走ります。

 「安倍政権が独裁しているせいだ……。民主主義さえ取り戻せば……」「メディアにみんな騙されているんだ……。目を覚まさせてあげないと!」などなど。

 しかし、真正面から考えてみるとどうも「国民自身が緊縮財政を望んでいる」が結論のように思えます。

 なら、どうしますか? と問いかけて本稿を終わります。

Subscribe
更新通知を受け取る »
12 コメント
Oldest
Newest Most Voted
Inline Feedbacks
View all comments
Muse
11 日 前

>日本でなぜ緊縮財政が終わらないのか? 緊縮財政を他ならぬ国民が望み、緊縮・全体主義とすら言える状態だからではないでしょうか。

緊縮財政のみならず、構造改革やインバウンド政策への漠然とした支持も同じことが言えます。もちろん、戦後平和主義や日米安保体制=対米従属体制も大多数の国民が望んできたからであり、逆に言えば、憲法9条改正とか自主防衛体制の確立、ましてや核武装など論外といったところでしょう。

ではなぜ、日本国民が緊縮財政を望み、緊縮全体主義ともいえる状態になったのか?その根本原因は何か?また、一口に日本国民と言っても、政財界や官界、マスメディアあるいは学者といった指導的立場にある人間(いわゆるエスタブリッシュメント)から、生計を立てるため日々の生業を営む一般庶民に至るまで、それぞれの立場は千差万別です。

本エントリーはそうした分析まで立ち入らない趣旨だとは思いますが、「国民自身が緊縮財政を望んでいる」その一言で片づけるのはいかにも物足りない。余裕のある時に別のエントリーで、もっと具体的な原因分析をされることを希望します。

>ごくごく当たり前の結論ですが、日本の主権者は国民です。総理もメディアも国民世論に逆らうことは困難です。

ではその国民世論といっても、その世論を形成する国民(特に普段から政治経済、国際問題等などに関心の薄い人間たちの)の中で、例えば、「緊縮財政は是か非か」等の問題に対して「他者の意見に左右されずに主体的な意見」を表明できる人間がはたしてどれだけいるのか?個人的意見ですが、極めて少ないはずです。年齢層にもよりますが、ほとんどの人は、地上波のメディアや新聞、雑誌等の媒体、あるいはTwitter、YouTube等のネット媒体の発信内容に多大な影響を受け、その情報を鵜呑みにしているだけだと思います。

つまり、多くの国民の政治意識、つまり国民世論の形成に直接間接に影響を及ぼしている「発信主体」の力を過小評価すべきではないといえます。ここで発信主体として一番先に思い浮かぶのはテレビメディアですが、もちろんその背後にはスポンサー企業、つまり経団連を筆頭とする経済界があり、彼らが政治献金を送っている政権与党もいる。要は「(米中などの外国企業を含めた)利権がらみの癒着構造」で結びついた諸勢力が巧みに世論誘導してきたという側面を否定することはできないでしょう。

>有識者の中には「財務省が緊縮財政を進める黒幕だ」という議論があります。

3年前以上前に「財務省が日本を滅ぼす」という本を出した三橋貴明さんも、以前はほぼそれに近い言説をされていたと思います。今はどうか定かではありませんが。

>積極財政を進める有識者や評論家は「国民のせいで緊縮財政になっている」とは言いづらいのです。敵に回して得など一つもありません。

それは当然ですね。ただ、別に言論で食べているわけではないど素人がTwitterやブログ等で、「緊縮財政が続くのは国民のせいだ!」と声高に主張したところで、経済的実害などほとんどなく(PVが低下して広告収入が減るかもしれないが)、あえてポジショントークなどする必要はないわけです。別にそれでフォロワーが減ったり、PVが低下したりしても、「離れた奴は所詮、自己批判力のかけらもないバカ国民の一人だ!」と超然としていればよいだけです。

Muse

>つまり国民も強いドイツを望み、ドイツの復活を望んでいました。

それは、第一次大戦の敗戦とベルサイユ条約によって、ハイパーインフレ等が起き、ドイツ国民が塗炭の苦しみを受けたことが最大の理由だと考えられます。

では、日本国民が自分自身の判断で緊縮財政を受け入れている最大の理由は何ですか?

Muse

「平和主義は貧困への道」。ヤンさんや自分など、佐藤さんの本を読んだ人間にとっては至極当然の道理ではあります。旧社会党や共産党などの野党には戦後一貫してこうした発想が根強くあり、彼らは政府による積極財政出動(公共事業費、防衛費など)には反対でした。しかし、一般国民(特に政治意識が低いノンポリ層)のレベルで、果たして「平和主義の尊重→自主防衛の否定→防衛予算の削減→小さな政府志向→緊縮財政の支持」という思考回路が働いていると言えるでしょうか?

試しに、ヤンさんも知り合いの何人かに、「政府による計画的かつ大規模な財政出動を支持するか?」、それから「もし支持しないとしたら、その理由は何か?」とか聞いてみたらいかがですか?おそらく、「そんなに政府がカネを出したら、自分たちの払う税金が増える」とか、「国の借金が1000兆円を超えていてそのうち財政破綻する!」とか「国の借金がどんどん膨らめば、年金財政も悪化して将来、年金がもらえなくなる」等々の答えが返ってくるかと思います。逆に「平和を守るためには軍事費は少ないほうがいい、そのためには小さな政府、つまり緊縮財政が望ましい」などと答える人が果たしているでしょうか?

Muse

了解です。ただ、エントリーの記事内容に納得しがたい部分があって質問したまでのことです。返信は結構です。当エントリーについてこれ以上、コメントは致しません。

阿吽

平和主義とも言いますが、現実逃避って感じもしますねえ・・・・・。

歴史を勉強してる者でも、今の日本に必要なのはフィリピンみたいなうまい立ち回りだってみたいな考えを持ってる人もいますし・・・、

歴史を勉強していれば、そんなんじゃ付け焼刃すぎて長期的視点で見ればなんにもならないことも理解できそうなものをって思うんですが・・、これも平和主義なのか、現実逃避なのか・・・。

軍事力の均衡を保つことこそが、現状平和に一番近いとも思うんですが。

膨張し続ける中国に対して。

弱すぎればこの先の日本みたいに飲み込まれそうですが、最低でも飲み込まれない程度には力を付けないといけないと思うんですけどねえ・・・・。

ほんと、異国船内払令とか出してた頃の日本て、みんなこんな感じだったのかなあって思っちゃいますね・・。

あとは、最近は全体主義っていうのも、欲求不満が貯まりにたまった結果、ていう感じもしますね・・。

大正に日比谷焼き討ちが起こったのに、昭和には民衆はなにもおこさなかったのはそういう結果なのかなって感じもします。

欲求不満が貯まりにたまったから、戦前も、ある意味では今もその入り口に入っていますが、全体主義的になってきているんじゃないかとも思います。

阿吽

ちょっと、思い出したことを書いたぐらいのことにはなってしまいますが・・、

昔の、『ガサラキ』ってアニメがあって、そのラストの方で、これはその小説版だったか、革命家というか超国家主義的人物が出てきてアメリカ相手にひと悶着起こすんですが、その時にたしか、日本人は豊かになりすぎたから貧乏にならなきゃいかんみたいなことも言ってたんですよね・・・。

これは小説での話なので、そのノベライズ版作者(アニメのシリーズ構成もしていた人ですが・・)の思想も入ってるのかなあとも思いますが・・・。

Last edited 10 日 前 by 阿吽
阿吽
10 日 前

>なら、どうしますか? と問いかけて本稿を終わります。

言い方は悪いですが・・、どうもこうもないですね・・・・。

いつか芽が出る日を祈って続ける以外にはないのではないかとは思います。

戦前に反軍演説をした斎藤隆夫は、誰も言わないことを言っただけです。

言ったら、その時代の空気に袋叩きにされるか最悪殺されるかもしれないのに、彼は言いたくなってしまったから言ったのです。

吉田茂も今よりもはるかに悪い当時の状況で、空気も読まずに反軍に動いたわけです。

後の世の人間からすると、彼らの行為は英雄的行為とも映るかもしれませんが、当時の人からすれば、空気の読まないカス扱いだったわけです。

しかし、彼らの行動がまた、時代を変え、のちの時代を動かす原動力の一つにもなったわけです。

というわけで、現状では、やることをやるだけやって、あとは天のみぞ知る、という感じなのかもしれません。

正しいことを言っても誰も一顧だにしないかもしれませんが、私は利口者よりもバカの方が好感を持てます。

自分の心に嘘ついて回りにあわせて利口者になるよりも、自分の信念貫きとおしてバカを見る者の方が、人として輝いて見えます。

バカを見れと言わなければならないので、あまり人には勧められない生き方ですが・・。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
12
0
Would love your thoughts, please comment.x
()
x