先日、Twitterで「#政治の仕事は公助です」というハッシュタグがトレンド入りしました。加えてバケツリレーさんが、以下のような記事を書いています。
ぜひ、ご一読を。おすすめですよ。
本稿では「自助・共助・公助」が話題になっている背景と、言葉の定義を解説します。加えて菅総理が「自助・共助・公助、そして絆」と使用した意味も、深掘りします。
結論から先に言えば、日本は2010年から未だに被災中と菅総理は言い放った! となります。なぜそうなるのか? ぼちぼち解説します。
菅総理「自助・共助・公助、そして絆」
安倍総理が持病を理由に辞任し、菅義偉議員が自民党総裁選で圧勝。菅総理誕生となりました。
菅総理は理念として「自助・共助・公助、そして絆」を掲げました。対してTwitterでは「#政治の仕事は公助です」と、反発が起きました。
すでに自助も限界だ! と反発しました。
菅総理が言った自助・共助・公助、じつは防災用語です。
自助・共助・公助とは防災用語
自助・共助・公助とは、防災用語です。「自助」「共助」「公助」-防災危機管理eカレッジ(総務省)で使用されるように、防災や災害時の行動についての概念、方法です。
自助とは災害に遭ったときに、自分で生き延びることです。共助は周りとの助け合い。
自助と共助は、公助がない状態だからこそ重要になります。
「自助、共助で生き延びつつ、公助という公的支援を待ってください」が、自助・共助・公助の意味です。
他にも自助・共助・公助とは何ですか? | FAQ | 姫路市や、平成30年版 防災白書|第1部 第1章 第1節 1-1 国民の防災意識の向上 : 防災情報のページ – 内閣府でも、防災、災害用語として使用されています。
板橋区公式ホームページのように、生活で自助・共助・公助を使用しているケースもあります。しかしこのケースは、「自助・共助・公助」における自助の意味を捉え損ねています。
自助・共助・公助の言葉の定義
自助の意味は、以下になります。
- 他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること。「自助の精神」「自助自立」
- 国際法上、国家が自力で自国の権利を確保すること。自力救済。
もしくは「自分で自分の身を助けること。他人の力を借りることなく、自分の力で切り抜けること」だそうです。
自助とは「自分の力『だけ』で物事を進める、成し遂げる」ことです。したがって自助と共助は両立しません。公助と自助も同様です。
だからこそ、災害用語として使用されます。
災害で助け合う人もいない、公的支援も期待できない状態ではまず「自分だけでなんとかしなければならない」から自助。
そして次に、他の人たちと助け合う共助。最後に行政は復旧して行われる公助と、発展していきます。
平時は行政が働き、警察や消防も機能しています。公助が機能しているなら、自助の機会はありません。
なお災害時の自助や共助は「本当は公助するべきだが、無理なので仕方なく」という意味合いです。
菅総理の言う自助・共助・公助は「国に甘えんな、まずは自分でなんとかしろ」と感じてしまいます。
なぜなら……平時に自分でできることは、すでにやっているからです。言われなくたって、というわけ。菅総理の発言に、イラッとした人が多いのはこのためです。
あと、コロナなの渦中です。イラッときて当然かもしれません。
自民党の綱領
菅総理の「自助・共助・公助、そして絆」という言葉は、自民党の綱領から来ています。この事実を指摘する人は、あまりに少ないようです。
2010年に定められた新綱領
2010年に定められた、自民党の新綱領は以下で参照できます。
(3) 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
【綱領編】まっとうな政治。理念のある政党。自民党プラットフォーム | 政策 | ニュース | 自由民主党
(4) 自律と秩序ある市場経済を確立する
2008年にリーマンショックが起きて、2009年8月の選挙で自民党は下野しました。与党から野党になった反省から、新綱領を定める動きが活発化しました。
そうして2010年に、自民党は新綱領を定めました。
民主党政権を追い落とし、政権奪還するための第一歩です。
立党宣言の旧綱領
ところで自民党の旧綱領、立党宣言はご存じでしょうか。
この旧綱領には、自助・共助・公助という言葉は出てきません。自助・共助・公助という言葉は、2010年の新綱領によって初めて使用されました。
余談ですが旧綱領では、完全雇用を目指すとあります。新綱領でこの文言は、削られました。
個人的な見解ですが、旧綱領の方が良いと思います。
日本は2010年代から被災中
東日本大震災が起こったのは2011年ですが、どうも自民党新綱領によれば2010年から日本は被災中です。
自助と共助や公助は両立しません。自助は「自分”だけ”でなんとかすること」だからです。自助が強調され、必要となるのは災害などの非常事態。
自民党が新綱領に自助・共助・公助と盛り込んだことは、とても象徴的です。
リーマンショック・経済大国転落・東日本大震災
2010年代の始まりは、惨憺たるもの。
2008年のリーマンショックは、世界経済の長期停滞を引き起こしました。
2010年にちょうど日本は、中国にGDPを追い抜かれました。
2011年には、東日本大震災が起きました。
自民党は当時の民主党政権を、災害だと認識したのでしょうか? さにあらず。
2020年に菅政権は「自助・共助・公助そして絆」と言った
改めて菅総理は、自助・共助・公助を2020年に強調しました。したがって日本は、未だ被災中と解釈できます。
なにせ自助を強調する必要性があるのは、災害時だけです。
民主党政権に関係なく2010年代の日本は惨憺たる状況で、なおかつ公助が足りず自助でなんとかしてほしい! と、総理が言い放ったと言えます。
大事なことなのでもう一度、言いましょう。
自助とは「自分の力”だけ”でなんとかすること」であり、「公助と自助が両立した状態」などあり得ません。
だからこそ公助が喪失した災害時に、自助がまずは強調されるのです。
2010年に自民党は綱領で、自助・共助・公助と言った。そして2020年に菅総理が、自助・共助・公助、そして絆と言った。
この二つは奇しくも、リーマンショック、コロナ禍という歴史に残る悲惨な状況で使用されました。
未だ日本国民、被災中。これが本日の結論です。
まとめ
10年間にわたって被災し続けているとすると、安倍政権は何をやっていたんだ! となります。答えは「何もやっていなかった、ないし状況をさらにひどくした」です。
菅総理は安倍政権を継承する、と公言しています。
安倍政権を戦後最悪の政権と、評する声がありました。しかしシェイクスピアは、こう言います。
「これが最悪だ」などと言えるうちは、まだ最悪ではない。
安倍政権が終焉を迎え、我々はさらなる最悪の扉を開いたのかもしれません。
「国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どちらが主でどちらが従であるか、民主主義社会にとっては自明の理でしょう。」
銀英伝におけるヤンの名言ですが、これに習うなら国家(政府)の存在自体が自助・共助の結果であり特定の個人・団体に偏重したり、公平性を欠く事情が無い限り、公助が先陣を切るべきだと考えます。
ですね~。
あまり難しく考えずとも、積極的に運用できるものが公助しかないので、政府が仕事をするなら必然的に公助をどうするか?という話になるかと~。