「パブリック~図書館の奇跡」という映画を見ました。
2/2【Front Japan 桜・映画】優秀な社会はドラマは近未来を当てる、その実例~映画『パブリック 図書館の奇跡』[桜R2/7/13]
で紹介されてたからなんですが……
手堅く丁寧なつくりで政治的な偏りも少ない、いい映画でした。
そこで映画の見どころを紹介しつつ、関連する社会問題などについて論考してみたいと思います。ネタバレありなので、ご留意くださいね。
舞台設定
アメリカ中西部、オハイオ州のシンシナティ市。面積206㎢、人口30万ほど。
日本でいうと三重県四日市市と近いサイズ感でしょうか。人口だけでいうと、秋田市、春日井市、久留米市も近いですね。
犯罪が多めで、2013年の調査では全米で20番目に危険な都市であると報じられたそうです。
そのシンシナティ市立公共図書館が舞台となります。
時期は数年前の冬で、寒さがかなり厳しい。昨年のアメリカ中西部でも所によって氷点下30度を下回る猛烈な寒波に襲われたようですが、それに近いイメージですね。
映画冒頭から、図書館の前の路上で寒さに耐えるホームレスが登場、また夜間に凍死したホームレスが運ばれていくシーンもあります。
あらすじ
「このままでは凍死する。今夜はここを占拠する!」
と約70人のホームレスたちが閉館後の図書館に居座った。
司書のスチュアート・グッドソンは彼らの苦境を察し、クビを覚悟で共に立てこもることを決意。
しかし、検事や警察、図書館長らはこれを排除しようと動き出し、テレビ局などもやって来て大騒動に発展、事態は緊迫の様相を呈して……
主要人物紹介
- スチュアート・グッドソン(白人・男)
主人公。アルコールや薬物の依存症歴、精神病歴、ホームレス経験あり。当時の辛い状況から読書/本によって救われ、図書館司書になった。安月給のアパート住まい、独身。 - デイヴィス(白人・男)
検事。市長選に出馬予定だが、対立候補(黒人牧師)によるディスり動画がバズっており劣勢。一発逆転のチャンスを狙っている。 - ジャクソン(黒人・男)
退役軍人で、図書館常連、ホームレスたちのリーダー格。グッドソンと共に立てこもりを主導する。 - 図書館長(黒人・男)
ホームレスたちの苦境を理解しつつも、市当局・警察との間に立って苦悩する。 - アンジェラ(白人・女)
グッドソンと同じアパートに住む。アルコールその他依存症歴があり、アパートの管理人になることで糊口をしのぐ。同じような経験、悩みを持つグッドソンと心を通わせ、男女の仲に。 - ビル(白人・男)
刑事。離婚して現在独身。薬物依存で家出した息子マイケルを探している。 - レベッカ(黒人・女)
テレビキャスター。ホームレス図書館立てこもり事件の実況中継を担当。騒動が大きくなって大ニュースを扱えることを期待している。
登場人物と社会のバランス
登場人物の人種、社会的成功度合いは、たいへんバランス良くなっています。ホームレスたちも男性ばかりとはいえ、黒人白人半々くらいです。(白人の中にメキシコ系も含まれると思いますが、正直区別がつきません……)ポリコレ配慮が行き届いているとも言えますが、実際のところ白人だから地位が高い、黒人だから低い、という状況ではもはやないのでしょう。
元・財務官僚の山口真由さんも次のように述べています。
(数年前、財政問題の議論で三橋貴明さんに叩きのめされた方ですが……)
彼女(レジーナ・オースティン/黒人女性教授)の考えによれば、黒人と白人という構図はすでに曖昧になっている。「黒人」と一括りにできるような状況では、もうとっくにないという。
産経新聞 令和2年8月2日(日) 山口真由「黒人と白人 アメリカ社会の現実」
ホームレス追い出し75万ドル訴訟
映画の最初の方で、デイヴィス検事が調査にやって来ます。
においがひどいとしてグッドソンらに退館させられたホームレスが、市と図書館を訴えたのです。
賠償の要求額は75万ドル。
デイヴィスはホームレスが合衆国憲法で保障された権利を侵害されたとして、市と図書館に責任ありと判断。館長はかばおうとしますが、グッドソンは解雇されるかどうかの瀬戸際に立たされます。
この「ホームレス等においのひどい利用者」問題は、「公共/パブリック」の図書館として悩ましい問題です。
当人の利用を優先すれば、他の利用者はにおいに耐えきれず図書館を使えない。
といって当人の利用を制限すれば、彼の権利を侵害することになる。
「民主主義の砦」と権利の調整
公共図書館の機能
日本でもそうですが、公共図書館は本、インターネット、オンラインデータベースといった情報源へのアクセスを無料で保障する機関。図書館長のセリフにもあるように、「民主主義の砦」とも言われます。様々な情報に触れて、読んで比べて考えて判断することを可能にしてくれるところ。
また、他の公共機関に比べて気軽に入れるところから、様々な行政・福祉機関にとっても情報提供の場となっています。映画の中でも、「オピオイド過剰摂取者の蘇生法研修会」の開催が通知されていたのが印象的です。
現場での調整努力
グッドソンたちも普段、この図書館の機能をあらゆる人に使ってもらうべく、
「あいつが臭くて、図書館にいられない、追い出してくれ」
「臭いから何だ、オレだって市民だ、図書館を使うぞ」
という両者の調整に苦慮しています。
ジャクソンたち常連ホームレスが図書館のトイレで頭を洗い、髭をそり、体を拭く。グッドソンはそれを黙認する。そんなシーンが出て来ますが、これも図書館にとっては「調整」の一つなのでしょう。
財政出動が支える「権利の調整」
このような「権利の調整」はまさに政治の役割です。
図書館現場での努力も大切ではありますが、やはり小手先感が否めません。
本来であれば、市政~国政が財政出動して景気浮揚、公共事業増で失業者/ホームレスを減らしつつ、福祉施設などを充実させるべきなのでしょう。福祉施設や避難所が十分な数あれば、そもそも「ホームレスの図書館立てこもり」起こらなかったわけで。
この点について、映画の中の市長候補は二人とも言及なし。「進撃の庶民」としては残念なところでした。
人の心を結びつけるもの
「声を上げろ/make some noise ! 」
映画の中盤以降、人々の心が結びついていくシーンが二つあります。
一つ目は、イエスの教え「飢えた者を救え」や黒人の歴史に言及しつつ、苦境にある自分たちの存在を知らせたいとして、ジャクソンが机をたたき始めるところ。
「声を上げろ/make some noise ! 」の唱和が70人のホームレスたちに広がっていきます。南北戦争期のシンシナティが奴隷制廃止運動の中心地であったことを踏まえた描写なのでしょう。
『怒りの葡萄』が実っていく
もう一つは、テレビ生中継電話インタビューで、グッドソンが『怒りの葡萄』の一部を朗読する場面です。
「飢えた人々の目の中には、次第にわき上がる激怒の色がある。
人々の魂の中には「怒りのぶどう」が次第に満ちて夥しく実っていく。」
名もなき人々の苦悩を浮かび上がらせる一節ですね。
この『怒りの葡萄』は世界恐慌と重なる1930年代に書かれたベストセラー小説。著者はジョン・スタインベック。聖書の「出エジプト記」をモチーフに、農業の大規模化・機械化により、故郷を追われた小作農一家の旅路と不屈の人間像を描いています。(残念ながら未読です。映画版は見ましたが、なかなか見応えありでした)
本書が描くのは、極端な貧困状態を生き延びるため、人々が、自分は個人じゃなくて、大きな種族のひとかけらなんだと、認識を改めていく姿だ。たとえば、家族の誰かが死ぬが、隣家では赤子が生まれる。誰かが出て行くが、誰かが結婚する。こうして全体として生き残ることができれば、自分が死んでも、消えないはず、と。
桜庭一樹「極貧がつくる人の強さと怖さ スタインベック「怒りの葡萄」」
「飢えるのはごめんだといって喧嘩(けんか)するやつがいたら、おれはそこにいる」「みんなが怒って怒鳴ってるとき、おれはそこにいる」「母ちゃんがどこを見たって――おれはそこにいるってことだ」
求められる「神聖なるもの」
「パブリック~図書館の奇跡」では格差、人種差別、薬物などアメリカが抱える様々な問題を扱っていますが、結局のところ、その根にあるのは人々の分断。それが立てこもり事件を通じて、(一時的にでも)解消に向かうからこそ、観客は希望を感じ、心を動かされることになる。
人々の心が結びついてゆく……その背景に置かれたのはやはり、キリスト教的道徳観・人間観でした。
主の復活だとか奇蹟だとか表面的教義・儀礼だとかではなく、アメリカにおいて今また求められているのはキリスト的なものなのでしょう。
誰もが納得し得る「神聖なるもの」。
それは映画の中でグッドソンが実践したように、自らの利益を忘れて誰かのために尽くす姿に現れるものです。
格差・分断というのは我が国においても憂慮されているところ。
日本において「神聖なるもの」は言うまでもなく、天皇です。そして我が国は「言霊の幸ふ国」。
憲法第一条にあるごとく、天皇の下に統合、大御心に沿うように力を合わせ、
単なる noise でなく、正しく問題を解決できる「消費減税、積極財政」の言霊を全国で響かせたいと思います。
>この点について、映画の中の市長候補は二人とも言及なし。「進撃の庶民」としては残念なところでした。
正直、全ての問題はここ(上記↑)だと思います・・。
つまりは、経世済民的政策の実行による、貧困問題の解決です。
貧困問題を解決すれば、おおよその国の問題は解決すると思います。
アメリカの白人も黒人も先住民もアジア系もヒスパニック系も、全ての層での貧困を解決できれば、アメリカは平和になると思います。(総中流化)
まあその達成には、本来は万人に平等に運営されるべき法律の問題や、経済政策等々、さまざまな要因を諸々解決しなければならないので、一筋縄ではいく問題とは思いませんが・・、貧困家庭が社会不安を増大する大きな要因であることは、為政者なんかは良く認識すべきなんじゃないかとは思いますね・・・。
(正直、日本の5・15も、22・6事件も、その根本はその当時の日本の貧困家庭を改善できなかったことが遠因、というよりも原因だとさえ思います)
これはちょっと余談なのですが・・、
アメリカでの興味深い話を見つけたのですが、ニューヨークタイムズが『The 1619 Project』というのを発表されたそうです。(詳細は下記をご参照ください。m(__)m)
米国の「不名誉な歴史の見直し」論争
http://agora-web.jp/archives/2046782.html#:~:text=%E9%BB%92%E4%BA%BA%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E3%81%8C%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AB,%E3%81%A8%E5%90%8D%E4%BB%98%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82&text=%E3%81%A9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%82%82%E6%B0%91%E6%97%8F,%E8%A9%B1%E3%82%84%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82&text=%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AF%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6%E3%82%92,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%80%82
この話が実際のところ、アメリカでどれだけ支持されているのかはわかりませんが、アメリカ社会の思想の分断というのは、もはやかなり深刻なところまで来ているのかもしれません・・。
コメントありがとうございます!
>米国の「不名誉な歴史の見直し」論争
アメリカ版「自虐史観」ですね……
歴史の研究というのは自由に学問的真実を追究すべきでしょうし、各研究者がどのような歴史観を持つのも自由であるべきでしょうが、
国家としての歴史観(国民の大多数が共有する歴史観)は必ずしもそうでない。それらを育む歴史教育において最重視されるべきものは、「歴史の真実」ではない。
もっとも大切なのは先人・過去への敬愛と感謝であり、国民の間に互いに助け合う同胞意識・一体感を育むことだと思います。
といって、歴史上の美点をねつ造・礼賛はすべきでない。それは虚偽によって先人にこび・へつらうことであって、逆に先人と過去を貶めます。また逆に、歴史上の罪悪や「醜い真実」をあげつらうことにも慎重であるべきです。
先人たちの境遇、社会状況、置かれた立場などを理解し、その志を人々が共有し、その苦闘を人々が自らの経験とできるよう、国家としての歴史は語られるべきだと思います。
それが歴史教育に携わる方々の念頭にあってほしいところですが、実際にはなかなか難しいところですね。
まあ、アメリカにも不幸な歴史はあったとは思いますが、それでもさすがに、1619プロジェクトはアメリカ左翼もちょっとやりすぎですね・・(-_-;)
(でも、支持する人もそこそこいるみたいで驚きです・・)
1619というよりかは、『ピルグリム・ファーザーズ(1620年)』を根幹とするか、『アメリカ合衆国独立(1776年)』を根幹に持つかの違いのような気もしますね・・。
そういうふうに考えれば、アメリカという国は、2つの建国神話を持つ国とも見れるんでしょうかね・・・?
そう考えると、この2つの建国神話をまるごと大きく梱包していたキリスト教と英語の、その2つのアメリカ国内での地位低下によって、アメリカという国が思想的に分断されていくのもある意味では必然だったのでしょうかね・・・。
(もしくは好景気なら、このような【些細な違い】なんてあまり気にならなかったのかもしれませんが、アメリカも貧富の格差の拡大で、このことを些細なんて余裕のある言葉で言ってられるような状況でもすでにないのかもしれませんね・・)