大西つねき氏動画から考える~ 日本の死生観と「高齢者をいつまで生きさせるか/命の選別」問題

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先々週、れいわ新選組の前・参議院議員候補の大西つねき氏が除籍処分となりました。
配信動画内での発言が「優性思想的である」として問題視されたためです。
朝日新聞にも取り上げられたほどに大炎上、謝罪~撤回で収まるかと思いきや、結局大西氏はれいわと袂を分かつこととなりました。

今回はその動画で彼が「考えてほしい」と投げかけた「死生観」「高齢者をどこまで長生きさせるか」「命の選別」という問題について取り上げてみたいと思います。

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死生観~生き方の理想と「長生き」

吉田松陰の再来と言われた昭和の軍人、杉本五郎中佐の遺著『大義』によれば、
「死は心身の滅」で「生は心身の活動」
よって、心身に左右されない「無の境地」は死と同義。

これに至れば、生死の問題を超越できる。
私心を無くし、自己を滅却して、天皇に忠義を尽くす。すなわち歴代天皇が願ってやまぬ「人々の安寧と世の平和、発展」のために活動する。

これこそが日本人の生き方の最高理想です。(公益につながるよう仕事に没頭するばかりでなく、楽しく社交すること、家族や友人を大切にすることも上記の活動に含まれます。)

「死んで生きる」ということで、まるで「自分を無くした生きる屍、ゾンビ」のように思われるかもしれませんが、実際はまるで逆。哲学者の故・池田晶子さんも『14歳からの哲学』で「無私の人であるほど、個性的な人になる」と述べているように、自我への執着をなくす方が個性を生かすことになります。

そのような生き方をすれば、楠木正成や吉田松陰のように真の意味で「長生き」ができます。
生きている間はもちろん、肉体が滅んだ後も人々の心を動かし、天皇に忠義を尽くし、世のため人のため、衆生済度のために働く者を増やすのですから。

「純忠」と公共の福祉

意識もせず、力むこともなく、ごくごく自然に行動の総てが天皇への忠義となる。
現憲法流に言えば、己の自由と権利を常に公共の福祉のために使い続けること。
そのような忠義を「純忠」と言います。

純忠に死生なし、唯々純忠に生きよ。」(『大義』第二十章「死生観」
というのが、日本人の理想的「死生観」であると思います。
この境地に至れば、生きる上での煩悩の苦しみから救われます。
仏教でいう「解脱」の状態とも言えましょう。

もっともこれは最高峰の理想であり、自らが求めてやまぬものとしても、他人に押しつけるものではありません。この理想に近づきたいと自ら努めることにより、それを見聞きした人々へ自然に広がっていくのを期待するばかりです。

高齢者の「いつまで生きるか」問題を分解してみる

とはいえ、高齢者の「いつまで生きるか」問題は厳然として存在します。上記の「死生観」に近づきたいと願う私は、これをどう考えればよいのか? それはもう「人々の安寧と世の平和、発展」「衆生済度(≒経世済民)」に基づくしかないでしょう。

一口に高齢者の「いつまで生きるか」問題といっても大き過ぎるので、まずは分解してみます。

ア 長生きするほど、医療費・年金など社会保障費が増大する

イ 長生きするほど、心身に衰弱・故障が生じ、生活の質が低下するばかりか、判断能力すら失われていく

ウ 長生きするほど、介助・介護のために人手が必要となり、家族の人生がそのために捧げられる場合すら生じる

およそ以上の3つに分解できると思います。

ア 医療費・年金など社会保障費の増大

アについては単にお金の問題です。
独自通貨発行・国債は自国通貨建て・変動為替の我が国に財政破綻(債務不履行)はあり得ません。

過度なインフレにならない限り、国債発行/通貨発行による財政出動を行ない、社会保障費を政府が賄えばいい。

早くこの認識が広まって、この「問題でないことを問題かのように扱うのをやめる」時が来てほしいものです。

イ 心身の衰弱・故障

衰えても純忠

これは「命の選択」「安楽死/尊厳死」の議論につながる問題です。

社会と科学の発展により、近代以前なら肉体が衰える前に死んでいたはずの人間の多くが、老境に入れるようになりました。
とはいえ、人は年を重ね、老いを深めるほどに体の自由がきかなくなる。目もよく見えない、耳もよく聞こえない、ものもよく食べられない、節々が痛み出す。思考も記憶も判断もあやしくなっていく。重篤な病に蝕まれる。それでも、死ぬのは怖い。できる限り長く、生を楽しみたいというのが普通の人間でしょう。

しかし、そんな老境にあっても「純忠」となれないわけではない。
周囲に笑顔で接し、世話をしてくれる者に感謝の意を伝えるなどして、関わる人々に喜びや生きがいを与えられるなら、歴代天皇が願ってやまぬ「人々の安寧と世の平和、発展」につながる生活ができます。
(おまけに、介護サービスなどを利用するなら、その職にある人々の暮らしを支えて、国民経済上も役に立っていると言えますね。)

チャンスの保障が国家の務め

「純忠」になってもらうことが真の意味での「衆生済度」であるとすれば、その境地にたどり着けるチャンスをできる限り長く保障するのが国家の務めだと思います。

すなわち、医療技術開発への公共投資を進め、老いを重ねてもできる限り生活の質を保てるようにせねばなりません。まあこの点はアと同じく財政に関する認識の問題ですね。

とはいえ、技術がどれほど発展しても、個々人にとって老いや病の苦しみに耐えられなくなることはある。認知能力を失い、自己の意思を示すことができなくなる場合もあります。
そのような時には、本人または家族の意思により「死の選択」を正当になせるよう、あらかじめ政府が仕組みを整えておくべきです。

ウ 介助・介護のための人手問題

介護に回せる人材はない?

ウについては、高齢者介護の担い手/供給能力の問題です。
現在でも介護人材の不足と悪待遇が叫ばれているのに加え、今後はさらに生産年齢人口に対する高齢者比率が大きくなり、問題の悪化が確実視されています。

他の産業も併せて人手不足となることから、
「介護に回せる人材はない」
よって「高齢者をいつまでも延命させるのはムリ」「移民を入れるしか解決策はない」
といった意見が出て来ていると考えられます。

積極財政に転換で解決

もっとも、これまた多くは積極財政への転換で解決できる部分が大きい。

〇介護報酬の大幅引き上げ、待遇改善によって、介護人材希望者の増加が期待できます。

〇介護サービスや高齢者施設への入居にかかる個人負担の軽減で、家族の介護のため働くことができなかった人々が就労可能になります。

〇その他公共投資や研究開発投資、社会保障費等の大幅増で景気がよくなると、労働の自動化・機械化が進み、介護業界のみならず人手不足は解消に向かうと思われます。

この件については、cargo さんがデータを用いて分析されていて、たいへん参考になります。
「人口動態と供給能力の上限問題に関して」

ただし移民の必要性については、疑問に思います。
上にも書いたとおり、積極財政への転換が実現すれば、産業界全体での人手不足解消に加え、所得増加による婚姻増~出生率向上が期待できるためです。
もっとも、この転換を急がなければ「タイムオーバー」となる点については同意。

命の優先順位

「タイムオーバー」になった時に現実味を帯びるのが、これまた「命の選別」「高齢者をどこまで生きさせるか」です。

「命の優先順位」というのは簡単です。
はるかな昔からこれまで、先人たちがどのようにして命をつないで、私たちを存在させてくれたのかを考えれば自ずと答えが出ます。

健康な生産年齢世代が最優先、次いで健康な子供たち。高齢者、障碍者、病気の者、虚弱な者は後回しにされてしまうでしょう。
(子供といっても幼児の場合は優先順位は下がるかもしれません。貧しかった時代には子殺しも多かったようですので。現在の政策も子供たちよりは高齢者優先ですね。)

皆等しく天皇の百姓(おおみたから/大御宝)

しかし優先順位の低い者を見捨てるというのは、畏れ多くも大御心に背くこと。歴代天皇の願い「人々の安寧と世の平和、発展」「衆生済度」に反します。

高齢者施設、障碍者施設、病院等を天皇陛下がお見舞いになるのは、皆等しく陛下の百姓(おおみたから/大御宝)であるからです。

「タイムオーバー」を避けるためには、私たち国民が小異を捨てて力を合わせ、政治を動かし、積極財政と国民のための規制改善を実現せねばなりません。協力いただける方が一人でも増えることを願います。

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2 ヶ月 前

気鋭の政治家・山本太郎さんの気苦労も大変なものとなってるだろうが、大西つねき殿の不見識な言動に見る通り、兎角、新進政治家を囲む有志らには情緒的に不安定で民主主義社会に適さない活動家を集め易いことに十分留意する必要が有ろう。https://eukolos.fc2.net

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
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