黒人男性死亡事件を端緒に、欧米の人種差別・帝国主義を批判する視点から、当時の白人のすべてが否定される風潮が強まっています。
戦前日本にもその累が及んでいるところですが、そのような捉え方は正当なのか。
キプリングの詩「The White Man’s Burden /白人の責務/白人の重荷」をカギに考えてみたいと思います。
抗議デモ~銅像引き倒し
アメリカ、ミネアポリスでの黒人男性ジョージ・フロイド氏暴行死事件で、人種差別問題に関する抗議デモなどが世界中で起こっています。また、その余波でコロンブスや貿易商コルストン、ベルギー王レオポルド2世など、かつて偉人と目された人物の銅像が引き倒されたり、撤去されたりしているそうです。
これは人種差別(黒人差別)の原因である奴隷制や帝国主義的植民地支配が非難されてのこと。大航海時代~20世紀前半までの白人国家の伸張は欧米自身にとっても、もはや栄光ではない。むしろ「罪悪と捉えられるべき」という風潮が広がっています。
「白人が世界を支配して当然、と思い上がっていた」時代の詩
そんな恥ずべき時代、「白人が世界を支配して当然、と思い上がっていた」時代を象徴するものとしてよく取り上げられる詩が、「The White Man’s Burden /白人の責務/白人の重荷」です。作者はイギリスのノーベル賞作家ラドヤード・キプリング。
「The White Man’s Burden」は明治31年(1898)、アメリカがスペインとの戦争に勝利してフィリピンなどを獲得した際、キプリングがセオドア・ルーズベルト米大統領に贈った詩です。
日本のウェブサイトでも紹介されることが多いのですが、「差別意識丸出し」「思い上がりも甚だしい」として大抵は批判的な解釈。掲載されている訳詩にも、そのような意識がみなぎっていますが、少々行き過ぎで納得しがたいものばかり。
【台詞・言葉】白人の呪い・白人の責務(White Man’s Burden)
白人の重荷(The white man’s burden)
本当にそんなものなのか。時代に合わぬものとして唾棄してしまえるほど薄っぺらな価値のないものなのか。たいへん疑問を感じたので、自分で訳してみました。以下に原詩と併せて紹介します。
The White Man’s Burden/白き人の務め
TAKE up the White Man’s burden –
Send forth the best ye breed –
Go bind your sons to exile
To serve your captives’ need;
To wait in heavy harness
On fluttered folk and wild –
Your new-caught sullen peoples,
Half devil and half child.
白き人の務めを果たせ
一族の優れた者をば選び出せ
子供らに異郷の道を歩ませよ
君らが降した者たちの求めに応え
力の限り尽くすのだ
おののく人ら、まつろわぬ民らのために
半ばは悪魔、半ばは赤子
新たなる拗ねた囚われ人のため
Take up the White Man’s burden –
In patience to abide
To veil the threat of terror
And check the show of pride;
By open speech and simple,
An hundred times made plain,
To seek another’s profit,
And work another’s gain.
白き人の務めを果たせ
心を強く耐え忍び
怖がらせずに脅しもせずに
おごり高ぶり表に出さず
わかりよく素直な言葉で
幾百度となく説き続けよ
他の誰かの利を求め
誰かのために働くことを
Take up the White Man’s burden –
The savage wars of peace –
Fill full the mouth of famine
And bid the sickness cease;
And when your goal is nearest
The end for others sought,
Watch Sloth and heathen Folly
Bring all your hopes to nought.
白き人の務めを果たせ
静かなれども激しい戦
飢えて餓えた腹を満たさせ
流行る病を退かす
他の者らのためにとて
求めたものに近づかば
怠け心と邪悪な愚行に気をつけよ
君らの望みが消え失せかねぬ
Take up the White Man’s burden –
No tawdry rule of kings,
But toil of serf and sweeper –
The tale of common things.
The ports ye shall not enter,
The roads ye shall not tread,
Go make them with your living,
And mark them with your dead !
白き人の務めを果たせ
それは王様気取りの支配でなくて
奴隷の苦役 清掃人の労働だ
ありふれた名もなき人らの物語
自らは乗り入ることのない港
自らは踏み行くことのない道を
命を懸けて仲間と共に作りなせ
死してその名を刻むまで!
Take up the White Man’s burden –
And reap his old reward,
The blame of those ye better,
The hate of those ye guard –
The cry of hosts ye humour
(Ah slowly !) towards the light:-
“Why brought ye us from bondage,
“Our loved Egyptian night ?”
白き人の務めを果たせ
古きなじみの酬いを受けよ
手塩にかけた人らの詰り
守ってきた人らの憎悪
(ああ一歩ずつ!)光の方へ
ご機嫌とって連れてきた者らが嘆く
「何で自由にしてくれた、
エジプトの夜闇がなつかしい」
Take up the White Man’s burden –
Ye dare not stoop to less –
Nor call too loud on Freedom
To cloak your weariness;
By all ye cry or whisper,
By all ye leave or do,
The silent sullen peoples
Shall weigh your Gods and you.
白き人の務めを果たせ
弱き人らに屈するなかれ
うんざりしたのを悟られまいと
声高に自由を唱えてもならぬ
君らが叫ぶあるいはささやく全てによって
放っておくも行うも、全てによって
だんまり無口な民たちは
神々と君らを値踏みするから
Take up the White Man’s burden –
Have done with childish days –
The lightly proffered laurel,
The easy, ungrudged praise.
Comes now, to search your manhood
Through all the thankless years,
Cold-edged with dear-bought wisdom,
The judgement of your peers.
白き人の務めを果たせ
たやすく得られる栄誉の冠
いと甘く、紛うことない喜びの
子供時代は過ぎ去った
これからは大人の自分を探すのだ
報われぬ幾年月を重ねつつ
価値ある智恵で怜悧に磨け
仲間の眼こそが君らの鑑
利他の精神と「黄人の重荷」
いかがでしょうか。征服地の人民に対して「上から目線」と言えばそうですが、メインテーマは「利他の精神」です。支配下にある人民を教育し、インフラを整え、その福利を向上するべく努力しようということ。海外統治の理想をうたったものとも言えます。
この精神を受け継ぎ、より正しく実践したのが日本です。
英国の文人キップリング氏は、白人の重荷を歌へり。是れ白皙人種が他の人種を、統御するの責任あり、且つ権威あるとを、自覚したる告白なり。然も若し白人に重荷ありとせば、黄人にも亦た重荷あらざる可らず。吾人は我か大和民族に向て、此の重荷の自覚を促さずんばあらず。
徳富蘇峰「黄人の重荷」明治39年 483コマ目
未開の国土を拓化して、文明の徳沢を及ぼすは、白人が従来久しく其負担なりと信じたる所なりき。今や日本国民は絶東の海表に起ちて、白人の大任を分たんと欲す。知らず我国民は果して黄人の負担を遂ぐるの幹能ありや否や、台湾統治の成敗は、此問題を解決するの試金石と云はざるべからず。
竹越与三郎「台湾統治志に題す」明治38年 8コマ目
「黄人の負担」を遂げた日本
「四害(アヘン、盗賊、風土病、反乱する原住民)」に悩みながらも、日本は見事に台湾を統治し、文明化しました。朝鮮や満洲も同様です。「黄人の負担」を遂げてみせたと言えるでしょう。
針原崇志「歴史教科書を斬る」
第三章 台湾統治
第五章 朝鮮統治
第六章 満洲事変
欧米帝国主義のもたらしたもの
とはいえ、日本ほど優良な統治ではなかったにしても、欧米帝国主義の統治とてそれなりに「白人の重荷/白き人の務め」を果たしていたと考えられます。害悪一辺倒ではなかったはずなのです。
(ヨーロッパの)諸帝国が積み上げた新しい知識によって、少なくとも理論上は、征服された諸民族への援助が可能になり、「進歩」の恩恵を与えられるようになった。つまり、医療や教育を施し、鉄道や用水路を造り、正義や繁栄を保証することができるようになった。
ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』第15章
(中略)
じつのところ、迫害や搾取の物語も「白人の責務」のナラティブも、事実にぴたりと符合しているわけではない。ヨーロッパの諸帝国はあまりにも多様なことをあまりにも大規模に行ったため、帝国についてどんなことを言いたかろうと、それを裏づける例はいくらでも見つけられる。これらの帝国は死や迫害、不正義を世界に広めた邪悪な怪物だと思うとする。だとしたら、彼らの犯した罪でたやすく百科事典が一冊埋まるだろう。いや実際は、新しい医療や経済状態の改善、高い安全性をもたらし、被支配民の境遇を改善したのだと主張したいとする。それならば、帝国の功績で別の百科事典が一冊埋まるだろう。ヨーロッパの諸帝国は、科学との密接な協力により、あまりにも巨大な権力を行使し、あまりにも大きく世界を変えたので、これらの帝国を単純には善や悪に分類できないのではないか。ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、そのなかには、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ。
「利他の精神」こそが問題解決に資する
現在、人種差別や植民地搾取といった帝国主義時代の悪を断罪するのが世界の趨勢ですが、あまり真摯な取り組みとは思えません。(黒人の歩みがたいへんなものであったことは承知していても)
そこには
・「人権意識が足りなかった」と先人たちにマウンティングする
・既存の秩序や価値観を破壊し、社会を混乱させて自らがのし上がる好機とする
というような意識が感じられます。身近な人間関係で考えれば明らかですが、相手に道徳的な完璧さを求め、先祖の非をあげつらって論難したところで関係が改善されるはずがありません。
それよりもやはり、
・互いに同じ国民であることを重視する
・当時の状況・価値観の中を生き抜き、我々へ命と思想をつないだ先人に敬意を持つ
・今ここにある問題(貧困や差別など)を改善すべく努めること
これらが欧米のみならず日本においても大切だと思います。自意識を抑制し、「The White Man’s Burden」の訴えた「利他の精神」を発揮することこそが、現にある人種差別を乗り越えることにつながるのです。
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レオポルド2世の植民地経営に関しては、これは氏の存命中の価値観でもわりかしアウトだったようですので・・。
・・擁護しづらいと言いますか、言ってしまえば多少なりとも妥当とも思えてしまう所が、これはなんとも・・・・(-_-;)
(いうてしまえば、この人の植民地経営は利他の精神の対極とも言えたかもと・・)
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今回の暴動ですが、結局、貧困層の白人がトランプを支持し、貧困層の黒人がそれに反発する・・。
アメリカの国内統治の不備が招いた結果とも見えますね・・。
社会不安と怒りで双方とも「利他の精神」をどこかにおきざりにしてしまったのでしょうか・・。
日本もアメリカのミニチュア版で後追いしている感じです。
10年後の日本の姿にならなければ、とも・・。
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利他の精神と言えば、こんな話があります。
>三尺三寸箸 極楽の箸はなぜ長いのか
>https://bukkyouwakaru.com/dic/s34.html
(詳細は上記urlを御一読ください。m(__)m)
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箸ではないですが、今回のコロナ騒ぎだって、みんなでマスクをつければみんなが助かるわけです。
マスクの効果の大部分については、唾液が飛ばない所ではないかと個人的には思っています。
つまり、1人1人が唾液を飛ばさないようになれば、誰もコロナに感染しなくなるのです。(それ以外の要因も当然必要ですが)
地獄と極楽の箸の話しではないですが、マスクなんかも利他の精神を持つことによって、つまりは1人1人が他者への影響を鑑みることによって、本来の効果がいかんなく最大限に発揮できるのではないかと思うのです。
みんなが付ければ、結果としてみんなが助かるのです。
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アメリカについてですが、アメリカは残念ながら、ブラックもホワイトも、色ではなく、ただの同じアメリカ人という意識をなかなかに持てないように見えます。
カラーの下にアメリカ人という概念が、今はあるように見えます。
結局、現代においても、黒人も白人も、アジア系もネイティブも全部をひっくるめた『アメリカ人』という概念をアメリカは生み出せなかったのでしょうか・・?
日本は幸か不幸か、だいたい同一種族なので、家族意識をアメリカよりかは強く持てます。(異民族との共生も、少数なら軋轢も少なくなりますので同じ国の家族として接しやすくなります)
(三橋さんも、緊縮派はバカだが『同じ』日本国民とはっきり言います。家族としての意識を彼も一応忘れてはいません)
その方が、団結し利他の精神を他者に向けるには好都合な意識でしょう。
それが、最終的には、排他主義ではなく、外国に対する利他となれば、100点ではないでしょうか。
そのための経世済民であってほしいと思います。
(ただし、日本でも社会の上下の分断がかなり進んできています。また、外国人技能実習生という現代版奴隷制度とも呼ぶべき忌むべき制度も導入がどんどんと進んでいます・・。上記のアメリカのようなことを回避するための、日本国民に残されたその時間は、わりと少ないでしょう・・)
確かにレオポルド2世は当時から批判が多かったようですが、ベルギー国民が敬意を持ち続けるのは全くかまわないと思います。モンゴルが大虐殺者チンギス・ハーンを敬愛しまくっているのと同じで。
逆に、彼の銅像を撤去することで、自国の歴史を悪しきものと捉えてしまう風潮ができてしまう方がまずいのではないかと思いますね。
まあベルギーはグローバリズムの優等生で移民も多いので、歴史に対する価値観の共有が困難なのは否めないでしょうが。
>結局、現代においても、黒人も白人も、アジア系もネイティブも全部をひっくるめた『アメリカ人』という概念をアメリカは生み出せなかったのでしょうか・・?
「絶対の権威」がない国では難しいんでしょうね。キリスト教や英語といった共通項も弱まるばかりのようですし。クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』という映画では、その『アメリカ人』という概念をどう次代へ伝えるか、その苦心が描かれていると思います。
>排他主義ではなく、外国に対する利他
それは大事な点ですね。利他というと短絡的には、国境の垣根なく外国人にも日本人同様に雇用を与えるべき、と考えられがちですが、それは真の意味で利他にはならない。安い労働力を欲する財界の私欲に利用されるばかりです。
各国がそれぞれ自らに合ったやり方で自立・発展するのがいいですね。その意味でも、外国人技能実習制度は本来の趣旨を貫徹するよう、規制を厳しくせねばなりません。また同時に実習受入企業がまともに事業継続できるよう、設備投資減税や助成なども併せて行うべきだと思います。
バケツリレーさん、これはちょっと思い付きのような考えなので大変恐縮なのですが・・、
アメリカと言う国は、WASP的な考えの伝統と、アメリカ独立の精神である自由・平等の精神という伝統・・、その2つの伝統がぶつかり合う国、という考え方もできるのでしょうか?
思い付きのようなことなので申し訳ないのですが、バケツリレーさんはこのような考えはどう思いますでしょうか?
返信が遅くなってすみません。
面白い視点ですね。いずれもキリスト教から派生した伝統/価値観だと思いますが、大元のキリスト教の衰退で、
「規制は不要、自由競争こそ至上」という苛烈な「自由」とプロテスタント的「金儲けは善」とが猛威を振るい、その反動で過激化した「平等」精神がさらに国民国家を分断していっている。現代のアメリカにはそんな印象を持っています。
>大元のキリスト教の衰退で、
ああー、なるほどです・・。
キリスト教という欧米人の根幹にあったはずの倫理規定が失われて、暴走しているという考えも十二分にできますね・・。
よく、海外の反応サイトで、欧米人が日本人に対して、『どうして日本人は宗教心が薄いのに、高い道徳性を保ってるんだ?』・・みたいな記事がたまにあがっていますが、それはつまり逆に考えれば、欧米人にとっては宗教がなければ道徳はいじできないんじゃないかという考えが、根幹にあったということなのかもしれません・・。
そして、今現在は、欧米では宗教(キリスト教)よりも、ポリコレ的なものを信仰している人が多いようにさえも見えます・・。
神を信じるよりも、現代的価値観の倫理規定(ポリコレ)を信仰しているというかなんというか・・。
神の延長で神の前の人間の平等を訴えていた時代と違い、神よりさらに平等を信仰するというかなんというか・・。
昔はWASPとも、神の信仰で繋がっていたのが、信仰心も薄くなり、よりアメリカ社会を広範囲でカバーする思想(キリスト教)みたいなものがなくなってきているのが、アメリカ社会の分断の一要因だったりもするんでしょうかね・・・?
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バケツリレーさんがおっしゃるように、WASP的な伝統と、独立の精神の伝統を繋ぐもの(神への信仰)が薄まってしまった結果、この2つの伝統を基盤に持つ両陣営は、どんどん分離していっているという考えもできるかもしれませんね・・。
(ちなみに前者的な伝統は共和党に、後者的な伝統は民主党に繋がっていると言っている方もいました)
また、アメリカは建国以来、フロンティア精神で拡大し、アメリカ大陸の拡大が終わった後は太平洋に、東アジアに、中東に広まっていきました。
この拡大を志向する精神(フロンティアスピリット)によって、アメリカの2つの伝統は一致団結して(戦争とかをして)、アメリカの内包する2つの相矛盾する思想を結果として統合していたんでしょうかね・・?(そんなふうな感じのことを言われてる方もいました)
そうなりますと、フロンティアは終わり、膨張するどころか少しずつ内的にさえなり始めている現代のアメリカと言う国は、そういった要因でも、2つの伝統的価値観を繋ぎとめる要素が薄れて、アメリカという国の分裂のその要因の、これもまたその一つとしているのかもしれませんね・・・。
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個人的には、それらを解消するもっとも手っ取り早い方法は・・、ローマ帝国が元首制の国から中央集権的な国になったように・・、皇帝的権力を有した人物の誕生が、アメリカを繋ぎとめる要素になるかもしれないとも、ちょい考えてしまいますね・・。
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