積極財政の言説はいまいち広まらず、緊縮財政は相変わらず根強いです。その原因はどこにあるのか?
原因や理由がわかれば、解決策も講じられるというもの。
え? いままで原因はわかっていなかったの? と思うかもしれません。積極財政が広まっていない、緊縮財政がなぜか転換できていないのですから「推定した原因は間違っていた」と判断するべきでしょう。
なぜ緊縮財政が転換できないのか? その原因を解説します。
「なぜ緊縮財政が強いか」への積極財政派の回答
なぜ緊縮財政がずっと続いてきたのか? と問われると、積極財政派は合成の誤謬を理由として挙げていました。
合成の誤謬とは「ミクロで合理的な行動が、マクロで悪い結果になること」です。「デフレで企業も個人も節約したら、余計にデフレが加速する」などで例えられます。
つまり「デフレでみんな節約しているから、国も節約しろ」と、みんなが勘違いしている。従って緊縮財政になる、という説明です。
マクロとミクロの違いがわかっていないから、緊縮財政が続いているというわけ。
一見この推定は、正しいように思えます。そうであれば「マクロとミクロが違うと言うことを、広めれば緊縮財政も転換できるはず」となります。
しかしマクロとミクロが違うという考え方は、味見すらされずに「拒否」されています。正しいにもかかわらず!
この事実を掘り下げずに「あいつらはバカだから理解できない!」と、思考停止してしまうのは簡単でしょう。しかし今回は、掘り下げてみましょう。
合成の誤謬と、社会通念としての緊縮財政
まず整理しましょう。いままで「合成の誤謬も知らず、国家財政を企業や個人と混同して考えている。だから緊縮財政になる」と考えられてきました。
この考え方はすなわち「国家という視点が欠けている」との批判です。
誰に? それは人によって様々です。政治家だったり有識者だったり、そして主権者たる国民だったりです。確かに……と思わなくもありません。
一方で日本は、空気や暗黙の了解が多い社会です。社会通念が強く、それに反することは言い出せない空気があります。
例えばコロナ禍で、続々と会社に向かう会社員を見て「日本の会社員は忠誠心が強い」と言われます。三密は徹底的に避けるべし! とされている中で、通勤電車だけは例外的に扱われました。
だれも「通勤電車が三密だからダメ!」とは言いませんでした。理屈的にはダメなはずです。理屈より空気や社会通念、そういったものが強いのが日本社会の特徴ではないでしょうか。
とすると社会通念を分析して、どのような空気が存在するのかを突き止めることで「なぜ緊縮財政が根強いのか」を知ることが出来るのではないでしょうか。
日本の社会通念の多くは、有限を前提条件としています。特に海洋国家である日本は、大陸国家と異なって「外に獲りに行く」ことをしてきませんでした。よってさらに「有限な中でなんとかする」という社会通念の前提条件が強いのではないでしょうか。
有限とは例えば石油、自然、食べ物などの生活に関わるものすべてです。石油は太平洋戦争時に苦労したものですし、自然も日本では有限と考えられる傾向にあります。
では貨幣はどうか? というと、現代貨幣理論(MMT)に則れば貨幣空間は無限です。貨幣空間が無限だからこそ、国家は貨幣を――インフレ制約以外で――無制限に市場に供給することができます。
この事実は、社会通念と異なります。「外に獲りに行かない」という空気がある日本において、あまりに「無限の貨幣空間」は”都合がよすぎる”のです。
どのような都合の良さか? 「食べても太らない!」みたいな、胡散臭さを伴っていると思われます。
緊縮財政をマーケティング的に分析
整理しましょう。
- 有限が強い前提条件となった社会通念や空気
- 論理が通っていても、空気が優先される社会性
この2点が、緊縮財政の転換を難しくしているのではないか? と判断します。さらに日本の場合「なくなったら外に獲りに行けばいい」という発想は、あまりありません。従ってより、有限なものを節約して大事に扱う、という発想になるのでしょう。
また困ったことに、日本人が1997年をピークに貧困化しているという”事実”を、実感できる人はどれだけいますか?
多くの人は年齢を重ねて実感できないし、もし貧しくなったとしても「それは自分だけ」と判断する人の方が多いのではないでしょうか。
つまり「デメリットを正確に感じ取れないし、そもそも忘れる」わけです。
さらに緊縮財政は、三橋貴明氏が明らかにしたように「規制緩和や構造改革とセットで行われる」ものです。これらのシステム変更は、何かをしている気になります。効果がどうであれ、です。
緊縮財政はマーケティング的に見て、以下のような特徴に整理されます。
- 有限な中で節約して活動している、つまり困難に立ち向かっているという充足感
- 規制緩和や構造改革などのシステム変更で、何かをしている気になれる満足感
- 統計やデータから分析しなくてよいから楽
わかりやすく表現すれば、自己啓発本と一緒の効果を緊縮財政は持っています。
さらに! 自己啓発本は同じような内容であれ、しょうもない内容であれ……売れます。
ではなぜ自己啓発本は売れるのか?
上記では「じゃあなんで売れるの?答えは読者が成長・成功していないからです。」と、非常に端的に答えています。
そう、緊縮財政も一緒です。セットになる規制緩和や構造改革が、なぜ繰り返されるのか? 答えは「規制緩和や構造改革で、成長していないから」です。
なぜ緊縮財政が根強く、なぜ転換できないのか?
緊縮財政はなぜ根強いのか? は、自己啓発本がなぜ売れるのか? と一緒の理屈です。自己啓発本も「読んでいると何かした気になる」ものです。
緊縮財政とセットの規制緩和なども、やった気になれるのです。
自己啓発本はデータや統計から、改善を求めるようなことはしません。極端に言えば「気の持ちよう」で何とかしようとします。それでなんとかなれば、楽ですよね。
緊縮財政もデータや統計から、デフレ期に間違っているのは明らかです。でもデータや統計を理解するのは、面倒くさいし楽じゃありません。
もう1つ言及すれば、コストカットや効率化は「やれば必ず結果が出る」ので楽です。逆に投資したり売り上げを上げたりするのは「やっても必ず結果が出るとは限らない」ので難しいものです。
コストカットや効率化は「答えが出る問題」であり、積極財政や投資、経済成長は「何が正しいかはやってみないとわからない部分がある問題」です。だから前者の方が楽です。
まとめると緊縮財政は、楽だから根強いのです。そして自己啓発本のように、成長しない限り「緊縮財政の需要」は尽きません。
この現状に対して積極財政は、どのようにアピールしていくべきか? の考察は、またの機会に譲ります。
次回をお楽しみにって、なんじゃそりゃ!
……?