ブラック校則廃止と反緊縮

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最近「ブラック校則」という言葉が話題になっている。ブラック校則とは、学校が服装や髪型、行動などに過剰な規定を設けて生徒を縛る校則のことで今教育現場で大きな問題になっているようだ。なかには、生まれつき地毛が茶色っぽい生徒に黒染めをさせるとか、下着の色が白と規定されていて男性教師が女子生徒に指導する、給食を全員無言で食べさせるなど非常に理不尽でセクハラ、パワハラなど深刻な人権侵害になりかねないような指導が行われている学校もあるらしい。
ブラック校則は、不登校やいじめの原因になる場合も多く児童生徒の人権上や、校則の指導のために教員が無駄に時間を割かれるという労働環境の観点など教育現場のみに着目するだけも弊害が大きいことがわかる。 

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日本社会全体に弊害をもたらすブラック校則

だが、ブラック校則は今、教育現場のみに止まらず日本社会全体に多大な弊害を及ぼしているように私には感じられる。
ブラック校則が学校現場に蔓延るのは、その規定がなぜ必要か、それを維持する場合と廃止する場合にどのようなメリットやデメリットがあるのかなどといった検討がなされず、教師は出世のために思考停止して規定を生徒に守らせるという業務を機械的にこなし、生徒や保護者は内申書などの評価が悪くなり進路に影響するのを恐れ積極的に声を上げることができないという構造によるが、これと似たような構造は一般社会にも多く見られる。

 

ブラック校則と緊縮財政の共通点

そのなかでも私達国民が最も大きな被害を被っているのが現在の政府の財政運営だ。現在、政府は国の歳出を税収の範囲内におさめる基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化という目標を掲げ、歳出の抑制や増税を行う緊縮財政をしている。冷静に考えれば、我が国がおかれている現在の諸条件をふまえれば政府が緊縮財政を行う必要性はなく、デメリットは緊縮財政を続けるほうが転換する場合よりも大きく、逆にメリットは緊縮財政を続けるより積極財政へ転換するほうがはるかに大きいという結論は容易に導き出せる。

 自国に通貨発行権のない共通通貨のユーロ建てで国債を発行していてデフォルトに陥ったギリシャなどと違い、日本政府は日銀が発行権を持つ自国通貨の円建てで国債を発行しているためデフォルトのリスクは全く無いし、民間企業は十分にモノやサービスの供給能力を有しているので過剰なインフレも起こり得ないので我が国において現時点において政府の債務、支出を減らす必要性は全く無い。一方で、防災対策への支出が不十分なために豪雨や震災で被害が拡大したり、消費税の増税で国民の貧困化が深刻化し、さらには、給付型奨学金などの教育への財政支援も不足しているため格差が固定化するなど緊縮財政は国民に多大な被害を与えているのだ。
 にもかかわらず緊縮財政が継続されているのは、財務省の官僚や与党議員が思考停止し出世のために上の方針に従い機械的に仕事をし、学者達は政府からの大学への交付金削減や学会での仲間外れを恐れ政府に忖度するというブラック校則問題とそっくりの構造があるからだろう。そして、この国の主権者である私達国民の多くがブラック校則の下で教育を受けてきた結果、理不尽な政策にも抵抗しないように洗脳されてしまっているのが一番問題なのではないだろうか。
 

大人は子ども達の手本となる行動を

そんななか、中高生がブラック校則の改善に向けて行動を起こす例も出てきている。この国の未来を担う若い世代の間でそういう動きが出ていることには希望を感じられる。私達大人も国の政策を理不尽な緊縮財政から消費税廃止、大規模財政出動という常識的な政策へと転換するために主権者としてそれぞれの立場で行動し子ども達の良いお手本とならなければならない。

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黄昏のタロ

お邪魔いたしますです。

 緊縮財政と行き過ぎた校則の共通点は藁人形論法なのではって考えてるです。

 起きないであろう出来事(藁人形)に対して、こうするべきって決め事を設けます。誰も気付かなければ、藁人形論法による決め事が、さも有効であるかのように振る舞い始めるのです。

旅丘

ブラック校則もいいですが、前回の記事の私の指摘についてはスルーですか?
間違えて恥ずかしいなら、記事ごと削除してもいいと思いますが、このままなかった事にするのは少し違うのではないでしょうか。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民