新型コロナの世界的流行に伴い、多くの人々が認識を変えざるを得なくなっています。そう……グローバリズムはもう終わりだ、と。
新型コロナでグローバリズムが、なぜ終焉を迎えるのか? そしてグローバリズムが終焉を迎えた後、ポスト・グローバリズムはどのようなものか? 大胆に予測し、徹底的に解説します。
新型コロナとグローバリズムの終焉
新型コロナは我々の生活を一変させ、その認識を根底から覆しました。新型コロナが流行した都市は封鎖され、日本でも緊急事態宣言と休業要請で経済が停止しています。
外出の自粛要請や休校、テレワークの推奨にZoomの会議etc……あらゆる日常が一変しました。しかし変容したのは、日常だけではありません。
グローバリズムに対する認識もまた、覆されたに違いありません。
新型コロナが世界に知らせたグローバリズムの脆弱性
新型コロナがなぜこれほど、拡散されるスピードが速かったのか? ひとえにグローバリズムで、国境の壁が低かったからに他なりません。
想像してみてください。1990年代の中国で新型コロナが発生したとすれば、これほどまでに世界に拡散したでしょうか? 答えはおそらくNOです。
日本に新型コロナは入ってきていたでしょうか? 流入、拡散する可能性は低かったでしょう。
中国やヨーロッパ、アメリカで新型コロナは猛威を振るっています。
グローバリズムは新型コロナの危機に対して、脆弱性をさらけ出しました。新型コロナに対して各国が取った対応は、国境の壁を高くすることしかありませんでした。
危機への対応に統制経済が求められる
グローバリズムとはヒト・モノ・カネが国境を越えて、自由に行き来することです。グローバリズムのためには、自由な市場と”呼ばれるもの”が必要になります。
なぜ「呼ばれるもの」なのか? 「規制を緩和する、ルールを緩くする」というルールもまた、国が管理するものだからです。
閑話休題。
新型コロナによって、グローバリズムが礼賛していた自由市場はどうなったか? 自由競争はどうなったのか? 小さな政府は、小さな政府のままでいられたのか?
これも答えはNOです。
新型コロナの脅威に各国の政府は、大型の政府支出で国民生活を支える必要がありました。この様式を経済用語で何と言うか? 統制経済に他なりません。
「こんなのは一時期だ。新型コロナが終われば、また元に戻るさ!」との反論は、楽観的に過ぎます。現時点で多くの専門家たちが、新型コロナの終息に1年はかかる。下手をすると数年以上、との見解を発表しているからです。
国家と政治の変容と回帰
グローバリズムとは、政治が介入しない自由市場と自由経済を求めます。国境とは政治の産物ですから、当然ながらグローバリズムでは取っ払われます。加えて政府支出も極力、小さい方が望ましいとされます。政府が決定した規制、すなわちルールは緩和の方向です。
これらグローバリズムの作用は、何を示唆するのか? 国家や政治から責務を奪い去り、無意味なものに変容、堕落させる作用があると筆者は考えます。
囁かれるエリートたちの知的劣化、政治不信、ポピュリズムetc……これらは、国家と政治の責務が少なくなったことで起きた現象だと、解釈可能だからです。
けれど新型コロナは、強制的に国家による対応を促しました。新型コロナに対して、自由市場も自由経済も全くの無力だったからです。
グローバリズムで変容した国家と政治が、新型コロナで本来の姿に回帰し始めているように見えます。
グローバリズムの終焉とポスト・グローバリズム
新型コロナによってグローバリズムへの認識は、徹底的に変化しました。危機に際して自由市場や自由経済は、なにひとつ有効な手立てを打てなかったからです。それができるのは、政治を置いて他にないと知らしめました。
ではグローバリズムが新型コロナで終焉を迎え、ポスト・グローバリズムには何が置き換わるのでしょうか。
ポスト・グローバリズムは何か?
今さらですが「グローバリズム」という単語について、多少触れておきます。
○○ismという英語を元にするカタカナ語は、イデオロギーのひとつです。ファシズムやコミュニタリアニズム、リベラリズム、フェミニズムなどと、グローバリズムという単語は並列します。
従ってポスト・グローバリズムを議論するとは、次のイデオロギーを予想することです。
ポスト・グローバリズムは、社会主義(Socialism)ではないか? と筆者は考えています。ちなみに社会主義と共産主義は、別のものです。
かつてマルクスは「資本主義が成熟して、社会主義に変移する」と唱えました。けれど新型コロナの危機が、ポスト・グローバリズムを模索させています。成熟ではなく、危機こそがきっかけでした。
グローバリズム終焉と地域覇権の時代
新型コロナの前から、グローバリズムは終焉の気配を見せていました。なぜならグローバリズムは、覇権国家なしでは成り立たないからです。
グローバリズムというルールを、各国に押しつけたのはアメリカでした。アメリカが世界唯一の超大国であったから、ルールの押しつけが可能だったのです。
けれどアメリカはすでに凋落を始め、中国の台頭が始まっています。
元々のアメリカン・グローバリズムは、すでに瓦解しかけていました。
上記の文脈で考えていくと、ポスト・グローバリズムの時代は地域覇権国家が台頭すると予想されます。アメリカ大陸の覇権国家はアメリカ、ユーラシア大陸は中国、ヨーロッパはドイツでしょうか。
日本はもちろん、中国の覇権勢力下に置かれる可能性が高いでしょう。
日本はポスト・グローバリズムに耐えられるか
日本はポスト・グローバリズム時代に、耐えられるのでしょうか? つまり「政治と国家に責務が返却された時代」の空気に、耐えられるのか? との疑問です。
ぶっちゃけると、日本で政治家に敬意と尊敬の念を持っている人っています? 多分、かなり少ないと思います。それは当然で、いままで国家も政治も責務をパージしてきたんですから。
国民は国家を、根本的な部分で信頼できるのか?
国家と政治は、国民の信頼に答えられる能力があるのか?
上記2つがないと、ポスト・グローバリズムには耐えられないと思います。換言すれば「拝金的な金銭至上主義、全ての価値観を金銭で計ることから抜け出せるのか?」という問いです。
米中衝突で最後に中国が笑う
さらに国際情勢的の問題もあります。日本は現在、アメリカと日米安保を締結しています。ちなみに日米安保は、軍事同盟とは言えません。なぜなら一方的な、保護条約――宗主国の責務を、属国に対して果たすための条約――だからです。
閑話休題。
日本はアメリカに、少なくとも軍事的には頼り切りです。けれどアメリカは凋落し、中国が台頭しています。地政学的にも日本は、中国の覇権勢力下に組み込まれる可能性が高いでしょう。
将来、上記のような事態が起きたときに、日本人はその事実に耐えられるのか? 非常に不安になります。
二重覇権と属国という悪夢の可能性
さらに最悪の予想を進めてみましょう。二重属国という、歴史上で珍しい状態に陥るかもしれません。つまりアメリカ、中国の属国になる未来があり得ます。
余談ですがアメリカの政治学者の一部は、ストレートに日本を属国ないし保護国と表現するようです。属国ではない! と思っているのは、日本人だけかもしれませんね。
日本がポスト・グローバリズムを生き抜くために
そもそも日本人が、ポスト・グローバリズムに耐えられるかどうか? 非常に疑問ですが……底にこだわっても仕方がありません。
どうすれば日本がポスト・グローバリズムを生き抜けるのか? について、最後に解説します。
独立国家としての日本の復活
いきなり独立は無理でしょうが、せめて独立不羈の精神を持たねばなりません。例えば軍事的な不安が生じたときに「アメリカがいるから大丈夫!」などの考え方を、捨て去らねばなりません。「自分たちでどうにかしよう」と、考えねばなりません。
敗戦から70余年をアメリカの属国として過ごしてきたので、すぐには難しいかもしれないですね。
主流派経済学およびプライマリーバランスとの決別
いい加減に主流派経済学が唱える小さな政府と決別し、プライマリーバランスという無意味な数値を捨て去るべきです。
G7などの会合で、プライマリーバランスという言葉が出てくることはほとんどないそうです。日本だけですよ、こだわっているのは。
プライマリーバランス目標がいかに無意味か、少し触れておきます。
- 自国通貨建て国債は、そもそも無限に借り入れられる。制約は過剰なインフレのみ
- 資本主義における政府は財政赤字が正常
- 政府の財政黒字=民間の財政赤字拡大を意味し、金融危機が頻発するので政府黒字は迷惑
- 政府赤字=民間資産。つまりプライマリーバランスの黒字化とは、民間資産の収奪を意味する
新型コロナとグローバリズムの終焉まとめ
新型コロナが流行し、世界中がグローバリズムへの懐疑を深めています。現実はすでに、グローバリズムが唱える小さな政府では対応が不可能です。
グローバリズムは新型コロナの拡大に貢献してしまっただけでなく、小さな政府を推進することで政府の対応力や実行力を奪いました。加えてグローバリズムは、新型コロナに対してなにひとつ有効ではありませんでした。
すでにポスト・グローバリズムの訪れは、ほぼ確定的と言ってよいでしょう。ポスト・グローバリズムの世界を、日本はどのように生き抜いていくのか? 考え、議論し始めねば手遅れになります。
もっとも……すでに手遅れな気も、しないでもないですが……。