コロナ危機で損失補償よりもベーシックインカムが勢い付く事への違和感

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「SARS-CoV2の感染症が拡大する日本ですが、感染防止の為の自粛や休業の為に、損失補償や休業補償を行おうとの機運が弱い気がします。理由は、やはりベーシックインカムという悪しき思想のウイルスに感染した人々のパンデミックにあると予想します」

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『SARS-CoV2感染症の政府対策への違和感』

 既に今年の年明け早々から、日本の一般メディアでも、チャイナの武漢市で未知のウイルスが原因の感染症が蔓延しているとの報道が続いていました。特に今年は、1月24日からチャイナの春節7連休が始まり、多くのチャイニーズの観光客が来日が予想されていたのですから、その前にチャイナからの入国を遮断すれば、日本国内での感染防止が可能だったのは、誰でも予想が出来ますが、政府はそれを行いませんでした。恐らく、インバウンド頼みだった日本の観光産業への打撃を懸念したからでしょうが、仮に政府がチャイニーズの入国を遮断した際に発生する損害に対する補償や損害賠償への懸念が原因だったと予想します。

『インバウンド頼みの経済政策への違和感』

 そもそも安倍政権が、インバウンドを成長戦略に柱に据えて、様々な規制緩和で日本をチャイナの観光客依存の経済にしたのも、政府が緊縮財政という前提で経済成長を図ろうとしていたからです。そんな日本政府からすれば、折角、緊縮財政でカネをケチっていたのに、新型ウイルスの感染症ごときで、カネを使いたく無い。だったら様子を見ようと判断したのも十分理解できます。結果、多くの皆さんが懸念した通り、日本国内で、むざむざ新型ウイルスの感染が拡大してしまったのです。これは、国賓で来日予定だった習近平の訪日延期が発表されるまで続いたのです。経済的にも政治的にもチャイナの属国と化した日本の姿が読み取れます。

『政府関係者の言い訳への違和感』

 ここで一つ確認したいのが、政府関係者、あるいは訳知り顔の論客から流れてくる「日本には外国人の入国を規制する法律が無い」云々の言い訳ですが、国会で成立しないと制定できない法令以外、実際の行政の運営は、告示や政令や省令など、行政府が独自に行い運用できる内容のものが山ほどあります。また、法律の中には、今回の様な、国家的危機に対し、活用できる法令も山ほどあるのです。例えば「新型インフルエンザ等対策特別措置法」も、改正を行わず今回のSARS-CoV2を感染症に指定して運用すれば、非常事態宣言も1月末には行う事が可能だったでしょう。

『なぜ「自粛と補償」「休業と補償」がセットで無い違和感』

 仮に1月後半に政府が、国民の生命と安全を最優先にし、チャイナからの入国を遮断し、同時に、損害を受ける各業界への補償を明確に宣言すれば、恐らく台湾なみにSARS-CoV2感染症の蔓延を抑え込めたはずです。この、損害と補償、自粛と補償、休業と補償、という当たり前の原則だけ、政府が決めれば、例えば、当初は、インバウンド絡みの旅行代理店、航空旅客会社、ホテルなどの補償だった感染症対策の業者が、屋形船、バス会社、テーマパーク、土産物屋から、各種イベント会社、ミュージシャン、興行主などに広がり、更に飲食店、スポーツクラブ、いわゆる水商売へと、範囲を広げて補償対象となるだけの話だったのです。

『補償を打ち出したのは、共産党と安藤裕だけだった違和感』

 ところが緊縮財政の安倍政権は、実際には、SARS-CoV2感染拡大によって、様々な業界が休業、自粛に追い込まれても、補償の話は一切出ませんでした。また、この危機に対して、言論界や野党政治家からも補償の声は出ず、休業補償を真っ先に提案したのは、共産党だけであり、与党政治家では安藤裕衆議院議員だけという寂しい状況でした。例えば、俳優の西田敏行さんが、政府への補償を業界団体の代表として訴えかけても、世間の反応はむしろ冷淡だったのです。いわゆる『利権』という言葉で罵声を浴びされました。

『給付金の提言が反緊縮派と緊縮派の双方から出た違和感』

 それとは異なりSARS-CoV2感染拡大を受けて巻き起こった経済対策で一番多かったのは、全国民一律の給付金です。これは普段は財政破綻論を吹聴する政治家や評論家から、反緊縮を掲げるグループまで、正に緊縮と反緊縮の垣根を超えて給付金を求める声が、大きく沸き起こったのです。消費税減税を主張する勢力までもが、先ず第一に給付金を主張し、次に消費税減税を掲げました。消費税増税を主張する勢力は、消費税減税を封じる為に、給付金を唱えたのです。この恐ろしい動きによって、安藤裕さんらのグループの唱えた消費税0%の主張は一時は、注目を集めたものの、政府の緊急経済対策からは外されてしまいました。

『自粛し休業する人々の責任問題を問う違和感』

 SARS-CoV2感染で、被害を受けた業界の皆さんが、メディアに出て語ったのを聞くと、例えば、屋形船の女将は月末に200万円必要だと語り、観光バスの社長は月末に500万円必要なのでバスを毎月1台ずつ売却すると語り、5000人のライブを強行した椎名林檎の場合、チケットが1枚1万円なので、恐らくライブを中止すると5000万円以上の損害が発生するなど、各業界、各業態で、必要な金額は様々です。ここで確認したいのは、屋形船も観光バス会社も椎名林檎も、中止や自粛や休業せざるを得ない責任は、一切無いという点です。責任は全てSARS-CoV2というウイルスにあるのです。今回のパンデミックによる経済被害の当事者には責任は一切ないという点が極めて重要です。

『給付金は、少なすぎ、多すぎる事実を無視する違和感』

 ところが給付金の場合、200万円必要な人の場合も、500万円必要な場合も、5000万円必要な人の場合も、全て一律に、10万円とか、20万円とか、30万円とか、決められた金額を払うというのです。これでは仮に30万人を全ての人に一律に配られても、5000万円必要な人の場合は4970万円足りないし、500万円必要な人の場合は470万円足りないし、200万円必要な人の場合は170万円足りないのです。逆に今回のパンデミックでも大学教授や年金生活者など全く金銭的に被害を受けていない人々は、ナゼか?30万円を貰うという変な話になります。給付金の問題点は、ある人には少なすぎ、ある人には多すぎるので、全く使い物にならないのです。

『給付金には、そもそも根拠があるのか?という違和感』

 給付金には『帯に短し襷に長し』という現実的な問題点と、そもそも、その金額に根拠が無いという根本的な問題点があります。屋形船の200万円、観光バスの500万円、椎名林檎の5000万円は、全て根拠があるので、必要な金額です。しかも、屋形船にも観光バスにも椎名林檎にも落ち度は無いのですから、政府が救済措置として補償するのは、全く合理的です。ところが給付金の金額10万円、20万円、30万円には、全く根拠がありません。あるのは雰囲気だけです。これは正直、いわゆる見舞金なのです。気持ちなのですから、どうにでもなるし、逆に何の具体的な効果も無いのです。そして実際、起きる事は、金額のディスカウントです。安倍政権は徹底的なディスカウントを行っています。

『見舞金なのだから「やってる感だけ出せば良い」との違和感』

 結果、見せかけだけ重視する安倍政権が取った政策は、30万円という給付金論者が唱える一番大きな金額をぶち上げて、対象を絞るという作戦でした。繰り返しますが、この30万円には何の根拠も無いのです。30万円の収入を得ている人に30万円の給付を、休業補償で出すなら分かります。25万円の人に25万円の休業補償を出すのも問題ありません。何の根拠も無い30万円という数字だけが一人歩きした空虚な30万円の結果、本当に必要な、補償が大きく削られているのです。

『感染防止と経済損失は、二者択一では無いのに、その声が小さい事にへの大いなる違和感』

 現在のSARS-CoV2の感染が拡大する状況で、当初はインバウンド関連の産業のみだった被害が、徐々にあらゆる業界に拡大しつつあります。これは十分な休業や自粛によるウイルスの感染防止策が取られなかった事が原因ですが、結局、政府が『休業=補償』という極めて単純で明快な原則を打ち出せなかった事に起因する失策です。感染防止と経済的損失は、二者択一なのでは無く、政府の休業補償による損失補填により、ウイルスの感染防止を最優先にした対策が可能となります。ところが、このシンプルな方法を唱える声が、意外なほど小さい事に私は大きな違和感を感じているのです。

『新自由主義の権化としての自己責任論の蔓延に対する違和感』

 ところが世間では、感染防止と経済損失は、二者択一であるかの論調が多く『ジレンマ』という言葉も、飛び出す始末ですが、一つは通貨の発行者である政府の支出能力には、限界が無いという貨幣論的な原理原則を理解していない事という、知識不足、認識不足の側面。そして、それに端を発する新自由主義的な自己責任論の蔓延と、その延長線上にあるベーシックインカムが、的外れな給付金の議論が、緊縮派と反緊縮派の双方から盛り上がるという事態を招いています。

『ベーシックインカムの金額に対する違和感』

 SARS-CoV2感染対策における給付金の問題点を列挙しましたが、実は、これは思想的には、ベーシックインカムの問題と全く相似形です。恐らく給付金を声高に主張する方も、その背景にはベーシックインカムが横たわると予想します。ベーシックインカムも月7万とか年間100万円とか、全く根拠の無い数字が出てきます。実は、これは社会保障を全廃した場合の金額が元々根拠なのですが、彼らは、その金額の真実は隠蔽し、1万円でも貰えれば助かるだろう?と息巻くのです。そしてベーシックインカムでは、暮らして行けない微妙な金額なのは、今回のウイルス蔓延で、具体的な損害を受けた金額とは、程遠い金額なのとも相似しているのです。

『経済を壊死させない事の重要性を認識しない違和感』

SARS-CoV2との闘いを成功させるには、短期的には、国内のウイルス蔓延を阻止する以外方法はありません。その上で、入国管理を厳格化し海外からのウイルス進入を阻止する二本立てが必須です。その意味で、感染阻止の為に必要な休業を適宜行う事が重要であり、休業補償という原則の確立こそウイルスに勝つために必要な措置です。人間も死んだから生き返りませんが、経済システムも同じく死んでしまえば、その再生は大きな困難を伴います。その意味で休業補償は、経済を壊死させない為の、経済の人工呼吸器みたいなものであり、その存在は絶対的に重要です。

『一億総生活保護にならない為に必要な事を無視する違和感』

 私はベーシックインカムは一億総生活保護と同じと批判しましたが、このままSARS-CoV2が蔓延すれば、経済主体は全て破綻し、本当に日本社会は一億総生活保護が現実のとなります。休業補償では無く、ベーシックインカム論者が固執する一律同額の金額による給付の声が強まれば、あらゆる産業が壊死し最後には日本経済全体が死に至ります。徹底した休業補償による経済の保護が実現しない場合、新自由主義への降伏であるベーシックインカムという思想のウイルスが既に、蔓延していたという事になります。我々はSARS-CoV2というウイルスと、ベーシックインカムというウイルスという二つの殺人ウイルスとの闘いを余儀なくされている二方面作戦に瀕しています。

『休業補償は簡単に実現できるという事実を無視する違和感』

 ほぼ全ての人々は銀行口座を持ちます。既存の銀行システムを用いれば、休業補償は瞬時に可能です。銀行に書類一枚提出し、その休業によって生じた損失分の金額を口座に記載すれば良いのです。この記載された金額と同額を、今度は政府が日銀当座預金の民間銀行口座に記載すれば完了します。書くだけデータだけの処理で瞬時に決済が終わるので一瞬で完了です。因みに、休業補償の網からこぼれ落ちる弱者の方の救済は、それこそ生活保護の審査基準を一時停止しウイルスの感染防止の緊急事態が出ている間は、直ちに各種サービスを受けられる措置をすれば良いでしょう。政府は休業補償は行わないという驚くべき方針を示しており、国民に『感染予防の為に経済的に死ね』と強要しています。政府の支出能力は無限であり、この国家の力を駆使した休業補償を直ちに実現させるのは、感染防止の意味で極めて重要です。

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