上杉慎吉「人の相関と連続」|天皇主権説の権威による社会学説

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「消費税・緊縮財政・武漢発の新型コロナウィルス禍」による日本の経済被害を克服するには、「消費税ゼロ・補償・給付」を中心とする積極財政策の迅速な実施が必要です。安藤裕議員をはじめ、そのような主張を掲げる政治家が増加中なのはありがたいことですが……

アーティストへの補償に言及したKing Gnuの井口理さんが非難されたように、
補償や給付の対象・範囲をめぐって感情的な争いが生じています。自分以外の誰かが「救われる」ことが許せないというのは、まさに国民の分断の現われで何とも残念です。

そこで今回は人と人のつながりや国家について述べた文章を一つご紹介したいと思います。明治~昭和初期の憲法学者・上杉慎吉の「人の相関と連続」です。

S. Uesugi, Assistant Professor of Public Law in the Imp. University of Tokyo.
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上杉慎吉とは

上杉慎吉は「天皇主権説」の憲法学者です。大正時代、明治憲法上の天皇のあり方について、「天皇機関説」の美濃部達吉と議論した「天皇機関説論争」で有名です。この論争では大正デモクラシーの風に乗った美濃部に支持が集まり、学界の主流は「機関説」に移ることとなりました。(※美濃部が非難された「天皇機関説事件」は上杉の死後のことです。)

上杉は持論を捨てることはなく、その後も研究・言論活動を続けます。今回紹介するのは、大正8年(1919)の著書『暴風来』に収められた「人の相関と連続」。これを私なりに現代向けアレンジしてお届けします。(オリジナルバージョンもぜひ上記リンク先でご覧ください。)

飲み過ぎの原因は……

人はそれぞれ独立した存在であって、他人と共に存在して活動している。他人あってこその独立であり、他人と無関係に孤立して存在・活動するということはない。

自分の存在と活動を振り返ってみよう。
まず親が産んでくれたから自分は存在する。
現在の職に就いたのは学生時代にある人に出会ったからで、一つ一つの仕事は、それを依頼した人がいるからである。
今朝、頭痛薬を手にしているのは、昨夜友人に付き合って飲み過ぎたせい。その友人は昨日、仕事でひどいクレーマーに当たり、飲まずにはいられなかった。というのも、本来の担当者が……

というように、自分の存在と活動の原因として思いつくのは自分の周囲の数人だが、ちょっと考えれば、その範囲は拡大し、結局すべての人々にまで広がっていく。逆に結果についてもまた同じで、広く万人に及ぶ。いわゆるバタフライ効果である。

わずかな挙動であっても、すべての人々に基づいているのであって、逆にその影響が及ばないものもない。
例えば朝、私が自分の顔を何気なくつるりとなでる。
これもその原因はすべての人々にあり、その結果はすべての人々に及ぶ。
誰も見ていなかったとしても、その一動作によって出勤する時刻が0.5秒変わる。そうすると通勤路ですれ違う人、車なども少しずつ変わるだろう。少なくとも人々全体はその分だけ異なった状態になるはずである。私が視界の端に入ったかどうかで、どの程度の違いが出るか。それは想像のしようもないが。

プリンかゼリーか

万人はプリンやゼリーのような一体である。最も小さな一部分での最も小さな微動であっても、他の総ての部分に及んで、万人全体が揺れ動く。
例えるなら、多くの細胞から成る人体のように、一細胞の運動も全体に影響する。
私はこれを人と人との相関作用と名付ける。

人は人と目的を共有して活動する。人と人との協動は、人の力を大きくしてその効果を発揮するものであって、人間本来の性質に属す。人は協動的動物である。

また、人は互いに異なっているから協動し、各自の資質に従ってそれぞれ分担するところがある。そうしてすべての人々に各々その資質を遂げさせる、そこに独立と自由がある。協動は全体性の充実であって個性の発揮である。

フェイスブックやツイッター

およそ文明の進歩とか文化の発展とかいうものは、人の相関作用が結びつきを強め、洗練されていくことをいう。

古代において人の相関は粗雑なものに過ぎず、その及ぶ範囲もまた狭かった。当時でもすべての人々に及んではいたのだが、蝶の羽ばたきのように薄いものであったため、感知できるものではなかったのである。

文明の進展と共に、人の相関はますます密接かつ広範なものとなっていく。
現代においては人間関係の希薄化・個人化が進む一方で、人の相関作用の発達が顕著である。人生はますます複雑になっていき、各人の在り方の違いもたいへん多岐にわたるようになった。

フェイスブックやツイッターなどのSNSがわかりやすい例であるが、これに限らず、人の相関作用は微妙に鋭敏に結びつきを強めていく。それがまさに現代の文明である。

ヨコの相関、タテの相関

人は他の人と共に現在の地上において存在し、活動し、協動して相関する。これが横の相関である。
同様に、縦の相関がある。時を異にして、それぞれ共に存在し活動し協動して相関している。

私が存在するのは原始時代から今に至るまでのすべての人々の結果である。
その内のどの一人が存在しなくても、私は今の私のようには存在しなかった。

私の活動は未来永劫にわたって、全ての人々の原因である。私のどんな微細な活動も、もしそれがなかったならば、程度の差はあれ、すべての人々は永遠に異なった存在となるだろう。

人の存在と活動は、人の存在と活動を誘起し、人の存在と活動は、人の存在と活動とによって醸成される。つながりと結びつきは完全なもので、互いに引き合って一つになっている。

私は永遠に不滅です!

私はこれを人の連続と名付ける。人の連続は真に不滅である。人の精神は真に永遠である。人は不滅であり、永遠である。

私の血肉は祖先の血肉である。祖先というのは私に先立つすべての人々である。祖先は一人も残らず私において生き生きと活躍している。私の存在と活動は、祖先の存在と活動である。生死は一如である。

生まれるのはこの連続の間においてであり、死んでも永久にこの連続に参加している。私の一生は不滅であり、永久であり、未来永劫、私の子孫において生き生きと活躍する。ここで言う子孫とは当然、私自身の血を継ぐ者に限らぬ、未来のすべての人々である。

進歩と発展

文明の進歩や文化の発展は、人の相関と連続との進歩発展である。人は個人ではない。空間を広げてすべての人々の相関する一体の、時間に連続して、原始より永久にわたる、全ての人々の不滅の一体たる「人」である。

私は単独で存在するのではない。このすべての人々の相関と連続の内に存在する。この相関し連続する一体たる人は、一個の無限の生命を有す。この生命の成長を文明の進歩または文化の発展という。

要するに、これが人の発展であり進歩であり、理想に至ることであり、道徳に向かうことであり、人が人であることを無限に発展することなのである。

承認欲求と自己実現欲求

人はこの相関と連続の内において、自らを発展させる。私の生活は私を発展させる生活である。そしてこの相関と連続がなければ、自分を発展させることはできないのである。

また逆に自分を発展させることは、この「人の相関と連続」とを発展させることである。相関して連続する一体である人を発展させることなのである。

人には承認欲求や自己実現欲求がある。これは相関と連続の内に位置して、自分を発展させる欲求と言える。そして自分を発展させることは、相関と連続に参加する人の本務である。

相関と連続は私のために存在する。相関と連続が発展することは私の発展の要件である。逆に私の発展が足らないことは、相関し連続する一体を損なうことである。
私は共に存在し活動するすべての人々に対し、自分を発展させる責任を有する。私は祖先と子孫を連続する結鎖として、自分を発展させる義務を負っている。

個々人が相関と連続の一分子。その分担するところは、時空を通じ共に存在し活動する、すべての人々のためのものとなる。

人の道徳とはこの意味において、人の相関と連続を、自分を発展させることで発展させることをいう。宗教も政治も法律も経済も、一切の文化はこの相関と連続を発展させることに他ならない。

相関・連続 ⇒ 国家

この人と人の相関と連続が最も緊密に、最も完全に発展した一体が国家である。
もちろんここでいう「国家」は政府や官僚機構のみを指すのではなく、全国民の一大家族・共同体のことである。

文化は国家を基礎として存在し、国家は最高の道徳となる。人は国家的動物であって、人の相関連続は国家において最高の発展を見る。

人は国家において同胞であり、感情と目的を共有する。各国、歴史の深浅はあれど、それが国家というものである。

私は祖先の国家たる日本において私であり、日本の歴史は私の生命。祖先の国家は私において生きている。血のつながりに関わらず、祖先と子孫は私を結び目として一体となり、国家を形成する。

霊魂は国家において真に不滅、人が永久に生きられるのは国家においてなのである。

最良の相関と連続に至るために

これが、私が国家及び法律の根本原理と信じるものの概略である。

国家には主権があり、法律があり、相関連続を結合し、組織して整理する。
同胞民族が、祖先の国家において、子孫の祖先として主権によって相関と連続を統一し、法律を設けて相関と連続を規律する。
各人の個性を発揮させ、協動を完全にし、分担を定め、関係を調え、相関連続を発展させる。

ところが現代日本においては、自由な個人こそが尊いと信じ、国家を忌避して弱体化させるのを良しとする風潮が極めて強い。
また国家を人道文化の敵であると錯誤し、国家をないがしろにしてグローバルな人道文化をつくろうとする思潮も強力である。
おかげで逆に、人道も文化も発展を阻止されてしまっている。

悠久の歴史を持つ国家・日本は、最良の相関と連続を持ち得るのである。日本人はそのことを深く省慮せねばならない。

同胞の努力に感謝し、苦境を哀しみ、問題解決への道を虚心に探る。
祖先に敬意を払い、過去に学び、子孫を思いやり、未来に奉仕する。
これすなわち、相関と連続をより良いものとすべく力を尽くすこと。

そのような人が一人でも多く増えてこそ、拝金主義でケチで卑しい政治を転換し、理想の国家へと近づくこともできるのである。

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