政府の命の選別を黙認する国民は皆相模原事件の植松聖と同類

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相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、職員を含む26人がけがをした事件で殺人などの罪に問われている植松聖被告の公判が横浜地裁で現在行われており、3月16日に判決が言い渡される予定となっている。植松被告が犯行に至った動機といわれている人命を生産性の有無で選別する独善的な考えはこの社会において絶対に許容されてはならない。しかし、植松被告を極刑によって罰するのみではこの社会から人命選別考えを完全には排除できないと思う。 なぜなら、現在、日本政府は植松被告と同じ歪んだ思想に基づいているとしか思えない政策により植松被告以上に多くの人命を奪っていることを国民が事実上黙認しており、多くの国民の心のなかに植松と同じような考えが潜んでいるとしか思えないからだ。

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高齢者の命の所得や居住地による選別

私がそれを強く感じたのがこの国の医療、介護政策だ。私の祖母は現在体調を崩して公立病院に入院しているのだが、最初は最初は空きがなくやむを得ず個室に入っていたのだが、病院側都合なのに個室料金を取られそれに10%消費税が課税されていることに驚いた。その後空きができ大部屋に移ることになったのだが、そこで他の患者さんの風邪が移り病状が悪化してしまっている。この経験から、病院の個室増設、医療スタッフ増員を進め感染症に弱い高齢者などが無料で個室を利用できるようにしたり、ハード、ソフトの院内感染対策強化を図る。全国どこでも高齢者が介護度が低い段階からでも各種の介護サービスや在宅医療、介護予防支援などを低い負担で受けられるようにし、高齢者が可能な限り住み慣れた自宅で暮らせ、入院や要介護度の上昇を防げるようにするなど医療、介護への財政出動が必要だと思った。しかし、現実には政府は積極財政で医療、介護の充実を図るどころか、現在祖母が入院している病院を含む地方の公立病院の統廃合を促したり、高齢者の医療や介護の自己負担増の検討を進めるなど緊縮財政を行っている。   これは植松被告が障害者は不幸を生むとか国の財政を圧迫すると思い込み犯行に及んだのと同じであると思う。政府は高齢者への支出を無駄と考え、医療や介護の予算を削ることで高齢者を早く死なせ年金などの支出も抑えようとしているということだ。やまゆり園の入所者がそのご家族など周りの人達にとってかけがえのない存在であるのと同じように、私にとって祖母はかけがえのない大切な存在であり、政府の行いは絶対に許すことができない。
 

首都圏と地方で国民の命の価値に差をつける政府

近年毎年のように発生している大きな自然災害でも政府の人命選別により多くの尊い命が無惨に奪われている。この選別の基準は、首都圏住民か地方住民かというものだ。昨年の台風19号では各地で大規模な水害や土砂災害が発生した。しかし、首都圏外郭放水路、八ッ場ダム、頑丈な河川堤防など多額の予算を投じた治水対策により首都圏の被害は比較的少なくなった一方、長野県や宮城県、福島県では治水対策が不十分だったために多くの人命が失われ、生き残った方々も家など田畑など大切な財産を失いその復旧、復興のめどは立っていない。  これは、地方に住む国民の命の価値は低く、東京に住む国民の命の価値は高いという歪んだ考えに基づき、地方の防災への支出を抑え東京は手厚くするという緊縮財政により地方の国民の命が奪われたということだ。
 

植松聖と同じ誤解をしている政府と日本国民

植松被告は、障害者福祉への支出が財政を圧迫することを問題視していたようだが、日本のような100%自国通貨建てで国債を発行している国には財政破綻のリスクは全く無いので障害者福祉で政府支出が増えても全く問題は無い。それなのに植松被告があのような犯行に及んだ結果、警察や消防が多数出動したり、負傷者の医療費や全国の施設のセキュリティ強化で逆に政府支出を増やしてしまった。この意味でも植松被告の考えが間違っているのは明らかだ。   同じ考えに基づき進められている政府の政策も当然、同じ結果を招いている。   高齢者の医療や介護への目先の支出を削ろうとして逆に要介護度を上げてしまったり、治水対策の費用をケチった結果、水害により甚大な被害を出しその復旧、復興で事前対策にかかる費用を上回る支出が必要になるなどしているのである。

植松聖を死刑にしても愚かな政府と国民によって多くの命が脅かされ続ける

植松被告を極刑に処したとしても、同じ思想に基づく政府の政策を止めなければ、多くの人命が脅かされ続けるということに私達国民は一刻も早く気付かなければならない。

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黄昏のタロ
1 年 前

お邪魔いたしますです。

 植松聖被告の考え方はもっともだと思うです。実行するかしないかかが境目ではありますが。
 おいらも毒親を何度殺そうかと思ったか、数え切れないです。当然ですが、おいらも自殺を考えました。
 殺す選択は、本人を含めた家族が決めることで、赤の他人に決められるべき事ではないです。もしも、毒親が植松聖被告に殺されたとしても、感謝の言葉を言う気はないです。

 じーちゃんは小児麻痺で身体障害者でした。右足首に変形がありました。外出は長靴。中には高さを調整する台を仕込んでたです。おいらも、お世話をしたですけど、それなりに負担になるです。
 毒親は発達障害。見た目は正常ですから、本人も含めて理解してもらえず、苦悩の日々です。

 この記事は、家族の苦悩には触れられていません。控除や障害者年金では、埋められるものではありません。
 国が福祉を手厚くしてくれれば、本人は救われても、家族になにをしてくれるでしょうか。おいらが失ったものは自己責任なのでしょう。

 制度の問題で、緊縮財政批判の道具に使われるべき題材ではないと考えてるです。
 
 

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
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