だいぶ前に読んだ、中野剛志さんの著作「日本の没落」をレビューします。
日本の没落は、シュペングラーの「西洋の没落」の研究本です。西洋の没落は、奇書と言われます。また預言書とも言われます。
なぜ奇書を、中野剛志さんは真面目に研究したのか?
書評の中には「シュペングラーの奇書を解説するなんて、レベルが落ちた」という、辛辣なものもあります。
本当でしょうか?
諸々、解説していきましょう。
※本稿は構成せず、緊急に書いてます。拙く、短い部分はご了承ください。
「日本の没落」と「保守とは何だろうか」
「保守とは何だろうか」は、同じく中野剛志さんによるコールリッジの研究本です。歴史に埋もれた「非主流派」を好む、中野剛志さんらしい著作です。
コールリッジは言います。「文明が行き過ぎると、凋落する」「文化の行き過ぎはOK」。
文明とは何か? 科学と合理主義と、解釈できます。
文化とは何か? 精神や思想です。
ある人が産業革命以後に、哲学者に聞きました。
「哲学なんて何になるんだい? お金にもならないじゃないか」
哲学者は答えます。
「恐ろしいことだ。お金になるかならないかで、判断するのかい?」
うろ覚えですが、昔は新聞に哲学や思想も記事になったそうです。
今は? 「何がビジネスになる」「何が効率化だ」。こんな記事が主流です。哲学? 思想? 金になるのか? という風潮。
日本の没落は、西洋の没落をもとにしています。つまりコールリッジのいう「文化が凋落していく。したがって文明が行き過ぎる」「よって文明も凋落する」。
これが日本の没落の、エッセンスかと思います。
不徳と不実は、蔓延する
シェイクスピアは言います。「 『これが最悪だ』などと言えるうちは、まだ最悪ではない」と。
堤未果さんは現代社会を「今だけ、金だけ、自分だけ」と表現します。
彼ら、彼女らの見ている「現実」は「不徳で不実」です。
最悪と思えたことはさらに、最悪に転がるのは「不実」だからです。そして「今だけ、金だけ、自分だけ」は、不徳でしょう。
同じ光景を、日本の没落の中野剛志さんと、シュペングラーも見たのでしょう。
「悪貨は良貨を駆逐する」とは、有名な言い回しです。
トクヴィルによれば、民主主義とは「誰も抗えない、抗っていると思っているものすら資している運命」であったそうです。
運命は変えられない。個人では抗えない。
民主主義という「文明」が花開き、人の思想、哲学、思考は凋落しました。
オルテガは「大衆人」と言い、トクヴィルは「多数の専制」と書いた。
そしてシュペングラーは、西洋の没落を書いたのです。
「日本の没落」への評価は、視線によって変わる
アマゾンのレビューで前に、随分と御大層なレビューを見ました。曰く「シュペングラーの奇書は、どうとでも解釈できる。本気で研究するなんて、馬鹿げている」です。
私的な経験ですが先日、「自由主義は新旧2つに分かれる」という御大層なコメントを頂きました。それ自体は間違いじゃないです。
ただ、浅かった。
子供に大人の経験を話して、理解されるでしょうか? 共感されますか? あり得ません。
社会科学の難しいところは、ここにあります。
思想や哲学は、その人の人生の経験を通してしか理解できません。子供には、真に理解できないのです。
ソクラテスの弁明は、貴方には理解できましたか? 私に真の理解は、難しかったです。
子供に核兵器をもたせたら……何が起こるか? 誰でも想像できる話です。
まさにその時、無知の知を知りました。「まだ理解できないこと」は「将来にも理解できないこと」ではないのです。
シュペングラーの「西洋の没落」を理解できない。奇書という。これは「まだ理解できない」という謙虚さを忘れた行為です。
つまり「不徳で不実」です。
シュペングラーの、この言葉がしみる
中野剛志さんの「日本の没落」から、引用します。
われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。これ以外に道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。――彼が死んだのはヴェスビオ火山の噴火のときに、人びとが彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。これが偉大さであり、これが血すじの良さというものである。この誠実な最後は、人間から取り上げることのできない、ただひとつのものである。
日本の没落P278
シュペングラーもまた「悪貨は良貨を駆逐する」を承知しつつ、「良貨であってほしい」と書いたのではないでしょうか。
ハンナ・アーレントは言います。「思考停止は、人間を拒絶した者だ」と。パスカルは言います。「人間は考える葦である」と。
人が「金という文明」にかまけて、文化――精神をおろそかにしたとき。それは「凋落するとき」ではないでしょうか。
日本の没落はまざまざと、エッセンスを見せつけます。