信用貨幣論と商品貨幣論の貨幣史-信用と負債と現代貨幣理論(MMT)

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 報道される現代貨幣理論(MMT)批判を見ていますと、いかに「経済学者が貨幣に無頓着で、無知であるか?」が見えます。
 無頓着、無知であるばかりか、むしろ避けたがっているようにすら見える。

 一般に流通している貨幣の起源のイメージは、「物々交換から経済は発展し、人類は貨幣を発明した」ではないでしょうか?
 このイメージは哲学者のジョン・ロックや、古典派経済学者のアダム・スミスらが唱え、根付いたイメージです。

 しかし本当でしょうか? 考古学者、人類学者、民俗学者などによれば「物々交換経済があった、いかなる証拠も発見できていない」のです。

 本日は現代貨幣理論(MMT)の前身、貨幣と負債の歴史を紐解いていきましょう。

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貨幣の歴史と負債の歴史はどちらが長い?

 貨幣と負債は、どちらが先に発明されたのでしょう? 一般のイメージ通り「物々交換経済が発展し、貨幣が発明された」のなら、貨幣が先のはずです。

 物々交換経済とは「いま持っている商品を、貨幣や信用を介さずに、その価値のみで取引できる経済」です。

 ところが考古学的には、人類最古の文明といわれるメソポタミア文明において、すでに債務と債権の記録があったそうです。
 しかし古代メソポタミア文明は、貨幣を持っていませんでした。

 21世紀の貨幣論(フェリクッス・マーティン)によれば、メソポタミア文明は高度に発展した、官僚社会だったそうです。
 さらに困ったことに、考古学も人類学も民俗学も……「物々交換で経済が成り立っていた、いかなる証拠も発見できていない」のです。

 純然たる考古学などの学問に頼るならば、貨幣史において最初に「信用」があり、債務と債権の記録が文字とともに生まれた、と見るべきでしょう。

 ではそれ以前はどうだったのか? ホメロスの叙事詩に、人類学者は歴史を求めます。というのもこの頃の(暗黒時代といわれる)ギリシャは、端的にいえば「未開の部族」だったからです。

 端的にいえば「部族内で、生贄(動物)をささげ、それをみんなで食べる(共同体や秩序の形成と再生産。いわば縄文時代の儀式やお祭り)」と「戦利品や贈り物を交換し合う」の2つの取引があったと見られます。
 現代イメージ的には……ご近所さんに「この料理、余ったからあげるわ~」みたいな感じですね。

 不義理を働いたら、つまり信用を損ねる行為をしたら、ご近所付き合いもできなくなります。

 この経済形態が成り立つのは「共同体内で、信用があるから」にほかなりません。信用や共同体秩序はどう形成されるか? 儀式やお祭りで、形成されるのです。
 当然、貨幣は存在しませんでした。

 貨幣より、信用と負債の歴史は長かったのです。表現を変えれば、譲渡(信用)と返礼(負債解消)の歴史です。

物々交換の神話-ジョン・ロックとアダム・スミスの創作神話

 貨幣について最も古く、言及しているのはアリストテレスといわれます。アリストテレスは貨幣を、度量衡であり「共通の経済的価値という価値観」を生み出すものと定義します。
 ただし、アリストテレスやギリシャの人々はこの「経済的価値」を警戒していました。

 中国のことわざで「魚は水を見ることができない」というものが、あるそうです。当時のギリシャの人々は、まだ新しい「貨幣」という制度を、水に入ることなく陸から見れたのかも知れません。

 現在の一般的に流布されている貨幣のイメージ、歴史はジョン・ロックとアダム・スミスによって形作られました。
「物々交換が発展し、やがて貨幣が発明された」

 これは21世紀の貨幣論と、歴史から見てきたとおり「間違い」です。

 なぜ偉大といわれるジョン・ロックや、アダム・スミスはこのような間違いを犯したのでしょう。
 ヒントは当時の「科学的世界観」にあるでしょう。ジョン・ロック、アダム・スミスともに古典力学の世界観を採用しています。

 古典力学の世界観とは後に、唯物論や機械論ともいわれる「静的世界における、演繹法」です。
 ジョン・ロックやアダム・スミスにとって「信用と負債」などという「不確実なもの」は考えるに値しなかったのだと思われます。

 ゆえに「物々交換」という「価値と価値が瞬時に取引される、静的世界観」から「貨幣が始まった」と見なしました。
 この世界観では、貨幣は「商品の1つ」として扱われます。信用など入る余地はありません。

 この貨幣観を、商品貨幣論ないし外生的貨幣供給説といいます。
 現在の主流派経済学、新古典派経済学が貨幣を無視するのは「貨幣も商品の1つ」という、ジョン・ロックやアダム・スミスの貨幣観から発展したからです。

イギリスの銀貨は、摩耗したり削られても額面通りに流通した

 21世紀の貨幣論には、面白い事実も載っています。
 17世紀、イギリスは銀本位制を取っておりました。ジョン・ロックの時代です。

 当時のイギリスでは、銀貨を削り取って転売するということが、盛んに行われていたようです。流通する殆どの銀貨が、摩耗していたといいます。

 貨幣が「商品」であれば、摩耗したぶんだけ銀貨の価値は下がるはずです。ところが不思議なことに、銀貨は額面通りの値段で流通していました。
※当然銀貨に含まれる、銀の市場価格より、額面のほうが大きい

 ジョン・ロックはイギリス議会で、銀貨について聞かれ「商品貨幣論そのまんまの原理主義」を主張して、イギリス経済に多大な悪影響を及ぼし失敗します。
 このあたりは、三橋貴明さんも[三橋実況中継]金属主義の大罪 | 「新」経世済民新聞で、書かれているようです。

文明化と負債の紐づけ論-縄文時代をどう説明するか

 縄文時代には、集落内で貨幣は流通していませんでした。集落と集落の取引では、存在していたという説もあります。

 上述したように、ギリシャのホメロス叙事詩の部族と、同じような経済形態だったのでしょう。
 端的にいえば、規模が大きくないために「負債(返礼しなきゃいけない義務)を記録せずとも、覚えておける」ということです。

 また儀式などが盛んに行われていたのも、ホメロス叙事詩に出てくる暗黒時代のギリシャと、似通っています。
 もっとも暗黒時代のギリシャと異なり、縄文時代は平和な時代だったとする説が有力でしょう。
※暗黒時代のギリシャでは、当然ながら戦争や略奪もあったそうです。

 余談ですが、縄文土器より弥生土器のほうが簡素になっています。これは渡来人によって、戦争などがあり、生産が他に振り向けられたからでは? との説もあります。

 ……私の好みは、弥生土器です(笑)

 そして文明が大きくなると、負債は記録が必要になり、やがて石貨や物品貨幣がその記録のトークン(しるし)となったと考えるのが、自然な解釈でしょう。

イングランドの柳の貨幣「タリー」

 イングランドでは19世紀以前、タリーという独特の貨幣がありました。なんと柳の木で作った割符です。ここに「◯◯にいくら借りた」とか、書かれていまして、市場でも流通していたそうです。
 残念ながら19世紀にタリーは廃止され、ほとんどが暖炉にくべられたとのことです。

 もしかしたら昔にも、紙幣が存在したかも知れません。
 しかしイングランドのタリーと同じく、金属ほどに耐久性がないので「歴史に埋もれてしまった」可能性もあります。

 古い時代の貨幣が、硬貨しか見つからないのは単に「耐久性の問題」だったりします。

貨幣とはなにか?共同体と貨幣が紐付けられなかった時代は存在しない

 結論だけ端的に書きましょう。貨幣とは「会計システム全般(負債と信用の記録)」を指す言葉です。

 なぜなら見てきたとおり、硬貨や紙幣は「負債と信用の記録の後」に生まれました。
 つまり……その共同体の会計システム全般が「これは負債と信用の記録だ」と保証するからこそ、お金の価値は保証されるのです。

 お金が存在しない古代世界、そこでも「信用と負債・譲渡と返礼」が存在しました。これを数量化したものが「貨幣」という「システム」なのです。

 そして「信用と負債・譲渡と返礼」は「共同体内」でしか、基本的には通用しません。
 共同体が国家であれば、当然ながら国家と貨幣は大いに関係し、紐付けられます。

 共同体が部族であれば、その部族と「信用と負債・譲渡と返礼」が紐付けられるでしょう。

 この結論はすなわち、信用貨幣論や内生的貨幣供給説の正しさを証明するものと思います。

 貨幣とは「会計システム全般(負債と信用の記録)」を、分散化させたものともいえます。故に理解しづらいのでしょう。
 逆にソビエトなどは、お金を忌み嫌い、貨幣を封じ込めようとしました。

 実際にソビエトでは、お金を使ってホテルが取れない! なんてこともあったようです。

 上記の例からも、現代において貨幣とは「国家制度であり、会計制度である=信用と負債の記録」と理解できるかと思います。

21世紀の貨幣論(フェリクッス・マーティン)をおすすめする

 21世紀の貨幣論はまだ、読了まで至っておりません(汗)500P弱ある大著です。

 しかし貨幣の歴史を知り、起源を知るには最高の1冊でしょう。
 本書を読み終えたあとは、デヴィッド・グレーバーの負債論も、ぜひとも購入したいものです。

 21世紀の貨幣論を読むことで、知ることができるのはなにか?
 貨幣というシステムは、共同体から生まれたものであるということです。

 「共同体を無視した、経済政策や貨幣論などありえない」のです。市場も「国家の制度の1つにしか過ぎない」のであり、市場原理主義などというものは「幻想」です。
 したがって主流派経済学の理屈も、外生的貨幣供給説も「幻想にしか過ぎない」のです。

 貨幣史から紐解いて、ありありと見えてくる「歴史のノンフィクションと事実」は、非常に知的好奇心を掻き立てます。
 ぜひとも機会があれば、21世紀の貨幣論を読んでみることをおすすめします。

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4 年 前

名作漫画『自殺島』であれ、クソ海外ドラマ「LOST」であれ、島の住民同士でお金を交換している描写は出てきません。これは現在の日本のド田舎の慣習をイメージしてみてもそうですが、余った生産物をご近所にお裾分けするとか物々交換はあっても、商店や市場となれば話は別ですが、顔見知り同士(同じ共同体の住民)だといちいち現金で決済しないことの方が多いように感じます。手形や借用証すら発行しない「貸し借り」(助け合い)でコミュニティが成立しています。

外国のスラムのドキュメンタリーなんかを見ても、逆に「現金収入をいかに確保するか?」で貧困層の住民は悩んでいたりして、色々と興味深いところです。前出の無人島に不時着してサバイバルするみたいな物語のケースもそうでしょうけれど、自分たちとは違うコミュニティの、信用関係(貸し借り)が成立しにくい多部族みたいな集団が登場すると、それは商品貨幣から表券貨幣に至るまで、色々なバリエーションの貨幣が相手との信用度合いに応じて使われることになるのだろうと思います。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民
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