表現者クライテリオン・福岡シンポジウムに参加しました!|独立不羈・尚武/「空気」に負けぬ心の持ち方

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令和元年6月29日(土)、表現者クライテリオン・福岡シンポジウムに参加してきました。
登壇者は以下のとおり。
施光恒氏(九州大学大学院准教授)
藤井聡氏(『表現者クライテリオン』編集長・京都大学大学院教授)
柴山桂太氏(京都大学大学院准教授)
浜崎洋介氏(文芸批評家)
川端祐一郎氏(京都大学大学院助教)
司会:井上政典氏(九州歴史観光戦略研究所)

参加レポートをお届けします。(登壇者でもある川端氏のレポートはこちら

開始直前の写真。この後、浜崎先生と柴山先生の位置が入替となりました

議論のはじめに

「九州から考える日本再生」と題してのシンポであることから、発言のトップバッターは九州大の施光恒先生。 議論のきっかけとして提示されたのが、以下のようなもの。

東アジアは時代をさかのぼって、日清戦争前あたりに近い状況になりつつある。 日米安保も解消の方向に向かうと考えられる今、思い出すべきは独立不羈、尚武の精神である。

幕末の佐賀、薩摩、福岡はいち早く西欧に対抗すべく動き出した。 中世には元寇にも対峙し、古くは防人の地でもあった九州には独立不羈、尚武の気風がある。 この精神を日本人は取り戻すべきではないか。(以上)


実に、的を射た提言だと思いました。経世済民の実現、国力増強、自主独立のための方法についてはすでに答えが出ています。消費税増税なんて論外、むしろ減税すべき。財政赤字こそが民間の黒字を作るのだから、プライマリーバランスなど気にしてはならない。国債発行増で積極財政に転じ、インフラ・防災・教育・科学技術・福祉・防衛などあらゆる分野へ賢く投資を拡大すればよい。

問題はこの方法を実行できないこと。それは土台である思想の基盤が壊れ、独立不羈の精神を日本人の多くが失っているからである。

「空気に屈する性質」

ということで、登壇者の皆様が問題視されたのは「空気に屈する性質」。 ここでの議論を私は以下のように解しました。

東京(大都市)で空気に屈しない、読まない姿勢でいることは変人、面倒な人として見られる危険を伴う。しかし、九州をはじめとする地方ではそれが比較的自然にできるようだ。

この違いは風土の有無にあると思われる。地方では風土が比較的しっかりしている。様々な土地から人が集まって来る東京(大都市)には風土がない。風土から切り離された人間は謂わば根無し草である。

「人間は考える葦である」(パスカル)と言われるが、葦は地下で根茎を伸ばして群落を作る。地上に出ている一本いっぽんは根でつながっており、根こそが本体・本質である。この根から切り離された葦は生きてはいられない。すなわち、根無し草はすでに死んでいるとも言い得る。もっとも、近代人はほぼすべて根無し草的なところがある。

故郷の根を嫌がり、それを自ら断ち切ろうとする者も多い。そんな者たちが風土のない大都市・東京に集まるとも考えられる。東京で育まれたエリートたちは公務員になるにしても民間企業に入るにしても、転勤で全国を回り、特定の場所に根を張ることがない。それが長きにわたって我が国のエリート養成法でもあった。このシステム(※)には大きな問題がある。

(※この点については戦前の九州帝国大学の河村幹雄教授も述べています。

「根」を失って不安に襲われる

一方で、このような人々は根を失った、すなわち「つながり」を失ったことでたいへんな不安に襲われることになる。するとどうするか。一つのタイプは自らの弱さを前面に出して保護を求める。もう一つのタイプは、外的な判断基準で自分を認めてもらおうとする。肩書や権威を求め、自分で思考し判断するのではなく、その場の空気に合わせてしまう。自己防衛で頭がいっぱいになり、常に仮面をかぶって過ごす。

そのような人間にとっては、自然に息ができ、普通にしゃべれる場所を持っているかが重要である。例えば家族や友人グループだが、そういった「つながり」を通じて自らの内で働くものが理性。外の物差し(空気や権威)に照らすだけでは理性は発動しない。この理性でもって真剣に物事をとらえようとするならば、何が正しいかは自然にわかる。デフレで消費税増税はあり得ないのはまさに自明だ。

ヘーゲルによれば、そもそもまともに考えるためには「つながり」「根」が必要なのだ。非共同体的な精神は存在しない。ニヒリズムに覆われた日本を救うには、リアルな共同体の中から出て来た「精神を持つ」人が政治に関わる必要がある。九州をはじめとする地方の人には比較的その可能性が高い。

教養による独立不羈(どくりつふき)

根無し草な人間、あるいはその傾向が強い人間であっても、「精神」を取り戻すことはできる。そのために絶対に必要なものが教養である。芸術、文学、音楽、漫画でもよい。現代においては特に教養を持たねばならぬ。

ただし、教養を身につけるには自ら求める、内発性に基づく必要がある。本を読むにしても、単に周囲のみんなが読むのに合わせるだけではよくない。自らの内にある問いへの答えを探す読書が大切。幕末の佐賀藩や薩摩藩が西洋の技術を学び、自らのものとしたように、また明治日本が西洋文明を翻訳し、国民のものとして土着化したように、自ら考えて試行錯誤を重ねなければならない。

空気に流されずに自分で考えて行動することを学ぶには、いわゆる偉人の話を学ぶのが効果的である。福岡で言えば明石元二郎や頭山満であるが、そういう国家について考え、そのために行動した人物について子供たちが学ぶ機会が少ない。日教組の影響で学校図書館に偉人伝が置かれなくなったようである。

伝記本といえば科学者や戦後経済人についてのものが多い状況で、国づくりにおいて大事な人物の話に触れる機会が少ない。男子にとっての「手本」「あこがれ」となり得る人物について学べているのか疑問である。楠木正成や新田義貞について学んでほしいところである。そこから独立不羈、尚武の心を持ちたい。

ともあれ、日本の現状に違和感を持つ人は増えている。ただその違和感をネオリベ改革に利用されている。それを知って怒りを向けねばならない。自分に何ができるか、それぞれ考えてほしい。

終了~懇親会

まさにあっという間の2時間でシンポジウムは終了、その後の懇親会にも参加しました。 同じテーブルには柴山佳太先生! また「進撃の庶民」読者だという方も一人おられて、ものすごくうれしかったです。普段なかなかできない会話、議論が自然にできて本当に楽しい時間でした。

今回は、懇親会の参加率がこれまでで一番だったそうですが、こういったシンポジウムの際は懇親会にも参加するのがオススメです! 自然に話せる仲間やつながり――理性を発揮するために必要な「つながり」――を増やせる可能性が高いですから。ちなみに今回、「進撃の庶民」の簡単なチラシを作って、懇親会で手近な人に渡したのですが、会話のきっかけづくりにもなっていいですね。こちらもオススメです。

参院選も始まり、積極財政への転換の萌芽も見えつつありますが、まだまだ道遠し。根気強く、経世済民思想の普及に努めたいところです。(普段の連載であまりPV稼げてないのが申し訳ないですが)

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 シンポジウム、お疲れ様です。
 私も柴山桂太先生とシンポジウム懇親会で、同席させていただきました。むっちゃいい人ですよね。柴山桂太先生だけで、記事が3本書けるくらい(笑)

 チラシ、ありがとうございます。発想の外でした……私も機会があればなんか作ろ……。
 進撃の庶民の読者の方までおられるとはっ! 嬉しい話です。励みになります。

かずぅ

福岡シンポの模様は動画でアップされないんでしょうかね。
観られるものなら観たいのですが・・・。

 大阪のシンポジウムでも、動画がアップされなかったので……今度、藤井先生にお伝えしてみます。「需要あるよ~」と。

当ブログは2019年5月に移転しました。旧進撃の庶民