政府の財政政策、支出と課税、債務と償還、新規通貨の発行と通貨の回収は、こうした行動が経済にどのような結果をもたらすかという目だけでみるべきであって、健全か不健全かという確立された伝統的な教条に従うべきではない。効果だけで判断するというこの原則は、人間活動の他の領域にも適用されてきたものであって、それはスコラ主義に対抗するものとしての科学的方法として知られている。財政政策が経済の中でどのように作用し、あるいは機能しているかによって、その是非を判断する原則のことを、我々は機能的財政と呼ぼう。
機能的財政は二つの原則から成るとターナーは言う。
第一原則は、政府は、経済全体の支出総額(総需要)を適正な水準に維持すべきものであるというものである。もし、経済全体の支出総額が過剰であれば、インフレがおき、貨幣価値が下がる。逆に、支出総額が過小であれば、失業が発生する。政府は、自ら財政支出を拡大させるか、減税によって国民が支出に充当できる資金を増加させることで、経済全体の支出総額をより多くすることができる。逆に、政府が自ら財政支出を縮小させるか、増税によって国民が支出に充当できる資金を減少させることで、経済全体の支出総額はより少なくなる。こうして政府は、財政支出と課税と言う手段を操作することで、総需要を適正な水準に管理し、インフレを防いだり、完全雇用を達成したりすることができるのである。
この機能的財政の第一原則から導き出される「ある興味深い、そして多くの人々にとって衝撃的な帰結は、課税というものは、単に政府が支出するのに必要だと言う理由で行われるべきでは決してないということである。」
機能的財政においては、税金は政府支出の原資ではない。自国通貨で国債を発行できる政府に、財政ハジョウはある得ないのだから、財政支出のために税収を確保する必要はない。課税の是非は、財政支出がどうかではなく、それが国民経済全体に及ぼす効果によってのみ、判断されなければならない。「したがって、納税者が支出を減らすことが望ましい場合、たとえば、納税者の支出が減らなければインフレが起きてしまうような場合にのみ、課税は行われるべきである。」
このことを逆に言えば、デフレの時には国民に課税する必要はないという、「多くの人々にとって衝撃的な帰結」を一つ追加することができる。
ただし、課税が国民経済に対して及ぼす影響は景気水準だけではない。たとえば累進課税は、所得格差を縮小させる効果を持つ。農業関税は、国内農業の保護となる。温室効果ガスの排出源に対する課税は、地球温暖化対策となる。特定の戦略的産業に対する減税は、その産業の成長を促す。このように政府は、課税と言う手段を用いて、国内産業の構造を変化させたり、経済成長を促したりすることができるのであり、またそうすべきである。
中野剛志「富国と強兵」より
これらの事柄が事実であるならば、国家を運営するもの、運営を担わせられた者達の、その国家、国民に対する責任は、今まで考えられていたそれの数万倍大きいものとなる。さらに言えば、彼らのその担わされた重責は、彼ら自身が曾て持ち合わせていたであろう使命感、やりがいを、十二分に満足させるに足るものであり、今日、明日、1年後などという短期的な視野から解放され、国家の百年、千年後を見据えた、文字通り国家運営と呼ぶにふさわしい政治を行わせるだろう。
政治家の仕事とは何か?日本において政治家の使命とは人々の利害関係の調整だと考えられてきた。いわゆる富の再配分というものだが、それがいつしか、ここにある林檎の半分は貴方に、その半分は貴方に、といった、今あるものの配分にのみ、血道を上げるようになった。
国家のこれから進むべき進路、国民経済の到達すべき未来、本当であれば政治家が考えるべき、もっと大きな国家のデザインを描く事が出来る可能性が、この機能的財政論という考え方にはある。
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