日本では信じられないことに一時期、生活保護を叩く風潮がありました。ほんの0.4%の不正を目の敵にして生活保護全体をバッシングしました。
そのときに囁かれたのが「貧困は自己責任」です。「貧困になったのは今まで甘えてきたからだ」「もっと貧困に陥る前にできることがあったはず」などと貧困が責められました。
これらは貧困自己責任論とでも呼びましょう。
貧困自己責任論者たちの頭が残念なのは自己責任です。けれども、貧困は自己責任ではありません。貧困が自己責任ではない理由についてわかりやすく解説します。
自己責任とは
まず自己責任とは何かについておさらいしましょう。自己責任の性質と、資本主義における貧困の性質を議論した後に結論を導きます。
3つの自己責任
自己責任の意味は3つあります。
①リスクを承知でしたことは他人を頼らず自分が責任を負う
自己責任の意味とは?自己責任論嫌いが自己責任を解説 | 高橋聡オフィシャルブログ バッカス
②個人は自分の過失があるときにのみ責任を負う
③個人は自分のしたことすべてに責任を負う
①は金融商品などのリスクを承知で購入すること。金融商品が下がって損失を被っても自己責任です。
②は有限責任の一種です。「自分の過失にのみ責任を負う」とは言い換えれば「自分の過失以外のいかなることにも責任を負わない」ことだからです。
過失とは「不注意でしでかす思わぬ過ち」です。熟慮して決めた結果が間違っていた場合、過失とは言いません。
③はある意味で無限責任です。自分の決定が過失でないにしても、その結果について責任を負うと言う意味です。
本来、自己責任とは②の意味でした。今では③の意味でもっぱら使われています。
自己責任論は思考停止
自己責任論は特に貧困問題に対して使われます。生活保護、貧困に陥ったこと、貧困状態に甘んじていることなどを自己責任論は揶揄します。
「生活保護は人の税金! 甘え!」
「貧困になるのは自己責任!」
「頑張れば貧困から抜け出せるはず!」
しかし、こういった自己責任論こそが思考停止です。誰かを悪者にして責めたところで貧困問題は解決しません。困窮している人たちに罵声を浴びせるのは、建設的ではありません。
むしろ、貧困を自己責任と断じることで問題を考えることを放棄しています。
こういった貧困自己責任論者の頭が弱いのは、もちろん自己責任です。
エリートたちの自己責任論
低所得層や中流層が自己責任論を吹聴するのは、肉屋を応援する豚と一緒です。いつ屠殺されるかもわからないのに、のんきなものです。
世界的に中流層は崩れ去り、どんどんと低所得層に陥っています。
自分たちが低所得層に陥り貧困にあえぐかもしれません。なのに「貧困は自己責任!」と吹聴するのは、肉屋を応援する豚にしか見えません。
閑話休題。
一方、エリートたち自己責任論を好むようです。
なぜなら、エリートたちは現在の地位が「自己責任」「自分たちの実力」によって築かれたものだと信じています。自分たちこそ自己責任でのし上がってきたと思っています。
ですから、のし上がれない、成り上がれないのも「自己責任」「努力が足りない」と感じます。
これがエリートたちが自己責任論を好む理由です。
「努力している貧困層もいる」と言えば「努力の方向が間違えているんだよ、きっと」と言い、「貧困層はいくら努力しても抜け出せない」と言えば「きっと努力が足りないんだよ。僕たちを見てごらん? 努力してきたから今があるんだ」と言います。
しかし、資本主義の構造を考えると彼らは単に運がよかっただけ。
資本主義における貧困とは何かを、この後は見ていきましょう。
資本主義における貧困の性質
資本主義、特に野放図な資本主義=新自由主義では格差が拡大します。トマ・ピケティという経済学者が過去200年分の統計から証明しました。
証明で使われた式が「r(資本収益率)>g(経済成長率)」です。
この式は「経済成長する富より、資本に収奪される富の方が多い」と示しています。要するに低所得層の所得は上がらず、高所得層や企業、資本家ばかりが裕福になります。
これが野放図な資本主義の構造でありルールです。
野放図な資本主義は自由競争を原理とします。自由競争とは換言すれば弱肉強食です。大企業や資本家が勝ち、その他は負けるしかありません。
サクセスストーリーは奇跡のように珍しいから取り上げられます。奇跡はめったに起こらないから奇跡なのです。
つまり、低所得層や貧困層は野放図な資本主義において基本的に喰われる側です。
野放図な資本主義は政治によって規制されなければなりません。でないと、どんどんと貧困が拡大するからです。
しかし、現在の世界は野放図な資本主義=新自由主義を是としているため、世界的にも国内的にも格差拡大が続いています。
椅子取りゲームで負けるのは自己責任か
子供の頃に誰しも椅子取りゲームを1回や2回はしたことがあるでしょう。椅子取りゲームは最後の1人になるまで続き、残った1人が勝ちです。
この椅子取りゲームで負けるのは自己責任でしょうか?
一般的には「ルールがそうなっているんだから、自己責任ではない」と判断されます。
では、野放図な資本主義が強いているルールの中で、貧困にあえぎ困窮している人たちは自己責任でしょうか? 椅子取りゲームと一緒で「ルールによって負けた人たち」です。
このように考えると貧困は自己責任とは言えません。椅子取りゲームか資本主義だけの違いしかありません。負けたときには貧困になる、という大きな違いもありますが――脇におきましょう。
貧困は自己責任ではない
貧困は社会構造の問題であって自己責任ではありません。貧困に陥った人を自己責任だと責めるより、社会構造の点検をするべきです。
コロナ禍で多くの非正規雇用が雇い止めに合っています。数字になっているだけで8万人です。数字に表れないものも考えると、膨大な数の非正規雇用が職を失っています。
非正規雇用から職を失うのもまた社会構造の問題です。
そして、職を失った非正規雇用が困窮するのも同様です。
日本人はとにかく自己責任が大好きです。思考放棄できるので楽なのでしょう。
しかし、貧困や困窮に陥るのは決して自己責任ではありません。社会構造的に一定数の人たちが貧困に陥るのは「決まっていること」です。
したがって、貧困に陥った際に生活保護を申請するのは当然の権利です。
貧困に陥ったり困窮したら、迷わず生活保護を申請しましょう。自己責任だと自分を責めるのは、生活保護を申請して一息ついてからでも遅くはありません。
まとめ
野放図な資本主義=新自由主義は必ず貧困を発生させます。これは野放図な資本主義のルールです。
野放図な資本主義のルールを変えるためには、政府が野放図であることを規制しなければなりません。政府の責任においてです。
現状、日本政府は社会保障を削り、規制緩和や構造改革に走っています。野放図な資本主義を加速させる方向です。
けれども、コロナ禍でその方向にもブレーキがかかっています。これからどうなるのか? 筆者にもわかりません。
貧困は自己責任ではない。わかっていることはこれだけです。